【書評】 『絶望に寄りそう聖書の言葉』 小友 聡

 聖書は絶望を否定するどころか、むしろ「寄りそう」のだというタイトルに惹かれて手に取る人が多いのではないだろうか。本書は、『聖書 聖書協会共同訳』で旧約聖書部分の原語担当も務め、最近ではNHK「心の時代」の「それでも生きる――旧約聖書『コヘレトの言葉』」で講師として出演した著者が、一般読者に向けて聖書の語るメッセージを丁寧に平易な言葉で伝えようとする試みから生まれた新書。

 「孤独に立ちすくんだとき」「働くことに疲れたら」「妬みの気持ちに向き合うために」「家族の大切さを忘れかけたとき」「死を受け入れるために」という五つの章と30のエピソードから構成されており、いずれの箇所も現実に生きる私たちがどこかで直面する具体的な絶望に言及している。30のエピソードでは絶望を繰り返し、現実につまずくユニークな聖書の人物たち(ヨブ、コヘレト、イザヤ、エリヤ、ナオミ、ヨナ、ペテロ、パウロなど)の姿が赤裸々に記されている。特に旧約聖書の難解かつ理解に苦しむエピソードや、登場人物たちの言動に著者自身も驚き、戸惑い、寄りそいながら、それでも聖書が発する現代を生き抜くメッセージを描き出す。また、各エピソードはそれぞれが独立したものではなく、つながりと継続性を持っているので、読み進めるごとに聖書の大枠を理解できるよう工夫されている。

 聖書の中でも異彩を放つコヘレトの言葉の解説が興味深い。

 「コヘレトは、『労苦する』という言葉を否定的な意味で使っているわけではありません。『労苦』には、労働による結果や実りも含まれます。『アマール』を『労苦』と訳すと、『苦労ばかりの骨折り仕事』のように受け取られてしまいますが、そうではありません。コヘレトの言う労苦とはむしろ生きることのすべてを含んでいるのです」(第2章「働くことに疲れたら」59頁)。

 「死について考えるコヘレトと、人生の明るさや幸せを説くコヘレトは、どのように結びつくのでしょうか。これを矛盾と考えるのではなく、むしろ一つのものと考えることができるのではないでしょうか。逆説的ですが、コヘレトは死を見つめることで、生には意味があるということを表現しています。……コヘレトが死を見つめ、その結論として伝えるメッセージは『空しい』ではなく、『生きよ』です。空しいからこそ、生きよと呼びかけているのです」(第4章「死を受け入れるために」188〜189頁)。

 長大な旧約聖書の凝縮されたエッセンスに触れ、新約聖書の入り口を垣間見たかのような読後感。タイトルからは聖書の言葉(一部)が絶望に満ちた現実の世界への処方箋として述べられているように見えるが、それ以上に聖書そのものの人間理解の深さ、現実を鋭く捉えた描写に引き込まれるだろう。聖書を読んだことがない読者は改めて聖書自体を読んでみたいと思うだろうし、聖書を読んだことがある人にとっても改めて現実に光を当てる聖書の言葉の魅力に気づくだろう。

【924円(本体840円+税)】
【筑摩書房】978-4480075055

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