【書評】 『吉野作造と海老名彈正』 關岡一成

 『広辞苑』の吉野作造の項には、「海老名弾正門下のクリスチャン」とある。だが吉野は、仙台にいたころすでに洗礼を受けており、最初から海老名の門下生だったわけではない。それなのになぜ、「海老名弾正門下のクリスチャン」とされるのか。吉野自身が、受洗や海老名が牧会する本郷教会(現・日本基督教団弓町本郷教会)に転籍した理由を述べた史料はないが、その理由を探ることは近代日本のキリスト教を考える上でも重要だ。本書は吉野・海老名それぞれの著作から思想の変遷を丹念に追い、2人のキリスト教信仰の根幹にあったものを論究する。

 著者は、海老名に関する多くの書籍・論文を執筆し、『海老名彈正』(日本の説教1、日本キリスト教団出版局、2003年)の編集・解説を手がけた神戸市外国語大学名誉教授。浩瀚(こうかん)な文献史料によって海老名の生涯をたどり、その思想の本質を明らかにした業績で知られる。

 「吉野がキリスト教に接したのは、中学生の時のようであるが、本格的にキリスト教について学び始めたのは、宜教師ミス・ブゼルのバイブル・クラスに参加するようになった、仙台の第二高等学校に入学してからである。しかも、一年を終えた時に、二年先輩で卒業式の前日という時に受洗した内ヶ崎作三郎と共に洗礼を受けた。東京帝大に入学して、しばらくは、バプテスト教会に通った。比較的早い時期にバプテスト教会から海老名の本郷教会に転籍している。残念ながら、本人が述べる転籍の理由はない。学生時代の海老名の説教が決定的であったことは上述の言葉によって明らかである」

 本書の特長は、従来もっぱら法学・政治学の立場から論じられてきた吉野を、神学・宗教学の視点から捉え直した点にある。

 「海老名と吉野のキリスト教には、人間を捉える視点として、『罪人』という視点がない。 これがミス・ブゼルのキリスト教から海老名のキリスト教への転籍の最大の理由である。吉野は、東京には、すでに植村正久と内村鑑三という、著名なキリスト教の指導者がいたにもかかわらず、海老名の本郷教会に転籍し、同じ二高から転籍した先輩の内ヶ崎や同級生だった小山東助がユニテリアンに転籍したにもかかわらず、海老名のキリスト教に留まり、海老名のクリスチャン門下生としてその生涯を閉じた」

 海老名がユニテリアンに転じなかった理由についても、安部磯雄など周囲にいた人物と対比して考察。さらに、海老名・吉野に共通する思想がどのようなものであったか史料を基に推察する。

 「海老名・吉野に共通するものは、キリスト教信仰である。人間をどう理解するか。海老名が明治維新の時、『三千万同胞』という言葉に驚き、若い血を沸かしたとのことである。 士農工商の階級社会、身分社会が崩壊し、これからの日本が三千万同胞の時代となる、ここに侍として今後どう生活するかという不安と、新しい同胞としての平等人間観に不安であるが希望を見出したのである。吉野は、ヒュウマニティ中にディヴィニティが必要なことを次のように述べている。……」(以上「むすびにかえて」より)

 「吉野作造」といえば、「大正デモクラシー」「民本主義」。誰もが知っている政治学者・思想家だが、その信仰まで言及されている書籍は少ない。クリスチャンであったことまでは書かれていても、「海老名弾正門下のクリスチャン」とされる意味まで問われることはまずないだろう。しかし、そこに目を向ける時、近代日本でキリスト教信仰を自らのものとしようとした者たちがぶつかった壁、それでもキリスト教を選び取った理由と意志が見えてくる。吉野が内面化した海老名のキリスト教は、現代社会においても思想の地下水脈として流れ続けているのかもしれない。

【1,980円(本体1,800円+税)】
【教文館】978-4764261624

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