【書評】 『死刑について』 平野啓一郎

 私たちは死刑の存在する国に生きている。死刑執行のニュースを聞き、思うところがありながらも、死刑制度の存廃に関して積極的に発信することは多くない。酷いことをした犯罪者を罰する必要性も、命の大切さも理解できるからだ。だが、EUではすでに死刑を廃止し、死刑制度を持つ国でもその執行は数十年間も行われていなかったりする。

 芥川賞作家の平野氏は、20代後半までは死刑制度を必要と考える「存置派」だったという。存置派と廃止派という二項対立で理解していたわけではないが、死刑制度があることはやむを得ないと考えていた。

 1歳の時、病気で父を失った平野氏には、死について考えさせられる機会が多くあった。もし父の死が、病気ではなく誰かによって命を奪われたものだとしたら――。

 亡くなった人はその時点でこの世から消えてしまうのに、命を奪った側がその後も生き続けているとしたら、あまりにも不合理な、非対称な関係ではないか。このアンフェアな非対称性が、平野氏が死刑制度はやむを得ないものだと思う理由となっていた。世論調査で聞かれる「死刑のやむを得ない」という表現も、これと同様の気持ちから起こるものだろう。

 死刑制度に賛成の人も、多くは、すき好んで国家による殺人を肯定するわけではない。実際に重罪を犯し、被害者が死刑を望んでいるのだから仕方ないではないか、と考える。「やむを得ない」とするだけの心理的な負担を経た上での意見であるのに、そんな心理的な負担を回避し、臆面もなく、加害者の人権といった「きれいごと」を振りかざす廃止派の主張は、どこか偽善的に聞こえてしまう。

 1999年に起きた山口県光市母子殺害事件では、加害者が当時18歳の少年だったこともあり、メディアで大きく取り上げられ、議論を巻き起こした。2012年に死刑判決が確定したが、今なおこの問題を取り上げる論者は多い。平野氏は死刑廃止運動を行う人たちから話を聞く一方で、「全国犯罪被害者の会」の集会に参加し、被害者たちの声に注意深く耳を傾けた。すると、被害者たちは犯罪者への怒りだけではなく、司法制度に対する怒りも強く抱いていることに気づいた。そして、死刑廃止運動が必ずしも成功していない要因の一つが、被害者への理解、ケアという視点が弱かったからではないかと考えるに至った。

 「オウム真理教事件や光市母子殺害事件など、死刑求刑される事件の加害者弁護士を務めてきた安田好弘さんとは、死刑問題を通じて知り合い、彼の長年の活動を僕も尊敬しています。ただ、光市母子殺害事件で、加害者の少年の理解しがたい供述を記者会見で説明しているのをテレビで観た時には、メディアの切り取り方の問題もあったでしょうが、被害者の尊厳がひどく損なわれているように感じ、反発を覚えました。実際、被害者遺族の男性はひどく憤っていました。

 死刑廃止運動のことだけではありません。そもそも、被害者に対するケアという視点が、この国ではとても弱いと感じます。彼らは犯罪に巻き込まれたうえに、社会からも置き去りにされていると感じているし、実際にそのような現実もあります。制度的には、九〇年代以降、犯罪被害者の権利保護は進展してきましたが」

 加害者が劣悪な生育環境に置かれている場合や、精神面で問題を抱えている場合もある。「親ガチャ」という言葉が浸透している昨今、国がそうした環境を放置しておきながら、罪を犯した途端に「自己責任」だと追及するのが正しいだろうかという問いが浮かぶ。

 重大な犯罪が起きたら死刑にして、存在自体を消してしまい、問題がなかったかのようにして、社会の安定を維持しようとしても、根本的な問題が解決されていない以上、同様な犯罪は繰り返されるだろうと平野氏は述べる。

 さらに、冤罪の可能性、死刑制度を運用する内実についても知る必要がある。誰がいつ死刑を執行されるのかなどは、政治と官僚組織の中でほとんど恣意的に決められている。例えば、選挙が近いから、法務大臣が代わるからといった具体的な政治日程の中で、「いつまでに何人執行しなければならない」「1人も執行しないというのはマズいだろう」といった話し合いがなされている。

 元々存置派だった平野氏は、現在は死刑廃止の立場に立つ。死刑制度というのは、ある事情のもとでは人を殺すことのできる社会にしてしまうこと。このような例外規定が設けられている限り、何らかの事情があれば人を殺しても仕方がないという思想がなくなることはないだろうと。

 ユダヤ人思想家ハンナ・アーレントは、憎しみを終わらせるものとして、「ゆるし」の機能に人類で初めて気づいたのがナザレのイエスだと論じた。「憎しみ」で連帯する社会か、それとも、被害者に寄り添うからこその「優しさ」を選ぶ社会となるのか。

 私たちは死刑の存在する国に生きている。それをどこか抽象的に感じているかもしれないが、死刑をめぐる議論は、この国をどのようなものにしていくかという課題と切り離すことはできない。

【1,320円(本体1,200円+税)】
【岩波書店】978-4000615402

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