【書評】 『微笑みは永遠に 日本とロシアを愛したニコライ・ドミートリエフ神父』 スヴェトラーナ山崎ひとみ

 日本で永眠したロシア人正教会神父ニコライ・ドミートリエフに対する追悼の思いを込めた、妻からのレクイエム・エッセイ。著者スヴェトラーナ山崎ひとみ氏は『ロシア語(初級)』の編著者、CD『正教会聖歌Ⅱ』の指揮者でもある。

 2人が初めて言葉を交わしたのは1986年の大晦日、ロシア正教会サンクトペテルブルク神学アカデミーでのことだった。著者は前年から神学アカデミーの聖歌隊指揮学科に留学中で、のちに夫となるニコライは神学生だった。

 ロシア正教会の男子神学生にとって結婚は選択肢の一つ。選択肢は大きく分けて三つあり、一つ目が結婚して聖職者になるという道で、この道を選ぶ者が最も多い。二つ目は結婚しないで聖職者になる道、三つ目は結婚してもしなくても聖職者にならないという道だ。結婚する場合は、聖職者の最初の段階である輔祭に叙聖される前に結婚しておかなければならない。ちなみに結婚のことは「婚配機密」という。

 1990年、2人の婚配機密はニコライの父、ビクトル神父によって執り行われた。91年、ニコライはアレクシイ二世総主教の按手を受けて、司祭叙聖を受けてニコライ神父になった。だが、この年はソビエト連邦崩壊という激動の年でもあった。品不足はソ連経済の代名詞のようなものだったが、この年は特にひどくあらゆる食糧が店頭から消えた。92年、2人は日本への移住を決意。ひとまず妻の実家である長野県松本市に落ち着いた。

 2008年、函館に移り、ニコライ神父は亡くなる年まで11年間函館ハリストス正教会を管轄した。函館ハリストス正教会の前身は1860年に建てられた在箱館ロシア領事館付属聖堂。函館ハリストス正教会は日本で最初の正教会聖堂で、教会になったときから「復活聖堂」という名が付けられている。それは「かつてこの国に存在していたけれども滅ぼされてしまったキリスト教がふたたびこの国に現れつつある」という意味もこめて命名されたという。

 「キリスト教を再び日本に」という思いに共鳴し、箱館領事館付属聖堂の第二代管轄司祭として来日し、のちに東京復活大聖堂を建てたのが宣教師ニコライだ。それから一世紀以上が経ち、新たにニコライ神父が赴任したため、新聞は「函館ハリストス正教会に着任した115年ぶりのロシア人司祭」という見出しで紹介記事を掲載した。

 函館は人気観光地で、正教会にも多くの人が訪れる。祈りの場でありながら観光スポットでもあるということは容易ならざる環境だ。宗教法人であると同時に、聖堂が重要文化財であるということも、管轄司祭にとって細かな配慮が必要だった。しかし、そんな中でも夫妻は力を合わせ、2011年に聖ニコライ渡来150年を迎えるにあたり記念CDを制作し、12年には聖ニコライ永眠100年記念式典が東京で行われるのに際して、函館に第一歩を印そうと来日したキリル総主教を迎えるなどした。

 19年6月、祈祷の途中ニコライ神父は倒れて帰らぬ人となった。59歳だった。墓所は函館のハリストス正教会墓地に建てられた。その傍らに山崎家の小さな墓も設けられ、著者の亡き父の骨も納められた。儒教精神を体現したような昔気質の父親だったが、亡くなる一週間前、妻に「洗礼を受ける」と言ったのだという。後日、妻が遺品を整理していたら、「聖なるもの」とだけ書かれたノートを見つけた。ニコライと出会ってから、父の心の中でずっと何かが育っていたのではないかと著者は述べる。

 「それが何なのかと問われれば、『ことばではつかめなくて、しかし心の中で確信できるもの』という答えになるだろうか。それを父が敢えて記そうとしたとき、『聖なるもの』というフレーズになったのだと思う」

 いつか著者と、著者に続いて正教信徒となった母親もそこに眠ることになる。ニコライ神父は土葬なので大きな墓、3人は火葬だから小さな墓として。

 「私たち家族のお墓が函館の地でこのような形になろうとは思ってもみなかった。今思うに、父がとても喜んでいるような気がする」(以上、第二章)

 巻末には、著者の手によるロシア史が付されている。ロシアの歴史と宗教は縒り合されて1本の糸になっているので、歴史的な文脈を抜きにして正教会を語ることはできない。加えて、2人がともに歩んだのはロシアが大きく転換していく時代でもあった。二つの国の歴史と文化を背負い、任された使命を果たし、日本の土になったニコライ神父。その微笑みの生涯を記憶に留めたい。

【1,650円(本体1,500円+税)】
【教文館】978-4764299955

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