【書評】 『大学にキリスト教は必要か――新しい時代を拓くもの』 梅津順一

 20世紀が進むにつれて人、思想、学問分野が多元化し、宗教と学問は明確に切り離されるようになった。本書はその流れの中であえてキリスト教大学、キリスト教教育の持つ意味とは何かを再考したもの。

 著者は青山学院院長(2014~18年)、キリスト教学校教育同盟理事長(2016~18年)を務め、キリスト教学校、キリスト教教育の現状を経験しながらその特徴と可能性を考察し続けてきた。青山学院大学での最終講義を含め、さまざまな学校や教師研修会での講演も収録している。著者の体験、キリスト教と家庭、ライフワークであるマックスヴェーバーの研究、宗教教育、メソジスト研究などテーマは多岐にわたる。

 しかし、一貫しているのはキリスト教と教育というテーマ。明治期以降の日本の歴史を丁寧に振り返りながら、グローバル化が求められる国際社会においてキリスト教主義学校の意義、課題、可能性について述べている。

 「キリスト教を掲げた教育は素晴らしい成果を上げているとともに、大きな困難にも直面している、と。日本ではキリスト教教育は白地に絵を描くように、新しい世界を作り上げることは出来ないのです。しかし、つぶさに見るとき、確かに新しい貴重なものが芽生え育っている。『大学にキリスト教は必要か』との問いは、思想的に討論すべきテーマではありますが、結局のところ、教育の成果によって答えられ、決着がつけられるものと言えます」(「あとがき」より)

 世俗化していく社会、若者の教会離れと連動するかのように、キリスト教主義に立った学校もまた何を持ってキリスト教主義と言えるのかが問われつつある。神学教育や信仰の存在が前提であった時代は過ぎ去り、欧米の技術、知識、宗教的伝統に積極的な評価を与えた時代は変化し、日本のキリスト教主義学校もその存在理由を捉え直す時期に差しかかっている。

 「キリスト教学校において、キリスト教が重視されていますが、それを学生・生徒に強要することはありません。キリスト教的な人間観に基づいてよりよい人間に育てる課題は、キリスト教徒を生み出すこととは区別されています。キリスト者を生み出すことは、教会の課題です」(第2章「日本におけるキリスト教学校の使命」より)

 教会でもない、公立の学校でもない、キリスト教主義という学校は、グローバル化が進み、世俗社会と呼ばれる現代においてどのような意義を持ち得るのか。本書はそのような問いに対する試論でもある。

【1,870円(本体1,700円+税)】
【教文館】978-4764261662

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