【書評】 『図説 クリスマス全史』 タラ・ムーア 著、大島 力 監修、黒木章人 訳

 本来、教会暦にある主要祝日の中でもイースターより下位に位置するクリスマスが、キリスト教徒はむろんのこと、大半の無宗教の人々の間でもプレゼント交換やパーティーを介して絆を再確認するツールとして利用されている。この星で暮らすすべての人々の精神と感情、そして商業に影響を及ぼし続けてきたクリスマスを、本書ではその発祥から展開、各国での祝い方、文化への影響まで軽快に解説。多角的にクリスマスの「歴史」を読み解いていく。

 「今ではもうすっかり世俗の垢にまみれてしまったクリスマスだが、それでもキリスト教では光り輝く象徴とされてきた。しかし教派のなかにはこの祝日を寿ぐ派もあれば否定する派もあり、いきおい場所と時代によってクリスマスは迫害されてきた。たとえば一七世紀、護国卿オリヴァー・クロムウエル支配下のイングランドで、清教徒たちが移り住んだマサチューセッツ湾植民地で、そして長老派教会が牛耳るスコットランドで、クリスマスはあまりにカトリック的だとして禁じられた。……

 スコットランドでは一五六〇年にカルヴァン派の一派の長老派教会による宗教改革が起こり、その翌年にはクリスマスと公現祭、そしてさまざまな聖名祝日が廃止された。長老派教会によるクリスマス糾弾の動きは南に伝わった。清教徒革命(イングランド内戦)の最中の一六四三年、……議会を支配するピューリタンたちは国王同様にクリスマスも廃絶するべく動いた。教会暦からすべての聖名祝日と祭日が一掃され、安息日のみが聖なる祝日とされた」(4章 禁じられたクリスマス)

 5章では各国のクリスマス文化、6章ではクリスマスと商業主義が幅広く紹介される。教会におけるクリスマスに商業主義が与えた影響も否定できない。

 「キリスト教の祝日のなかで一番重要なのはクリスマスだというイメージは、降誕祭(クリスマス)の世俗的な進化の影響を受けて発展してきたものだ。キリスト教会のさまざまな教派は、典礼書でさまざまな礼拝の儀式を規定している。古くから受け継がれてきた典礼では、復活祭は聖日としてクリスマスよりかなり格上に位置づけられている。つまり待降節(アドヴェント)、降誕祭、そして受難節(レント)は、すべての信徒の無上の喜び、すなわち復活祭でキリストの復活を祝うためのものなのだ。……とりわけ東方正教会では、復活祭は神学面でも実践面でもクリスマスよりも重視される。西方教会の典礼書でもイエスの復活は降誕より重きが置かれているが、商業主義という観点から見ればクリスマスのほうが商売に直結する部分が復活祭よりも多く、市場もずっと大きい。その結果、キリスト教世界にクリスマスが一年のハイライトになっている地域が出てきた」(6章 クリスマスと商業主義)

 クリスマスの登場人物といえばサンタクロースだろう。4世紀に実在した聖ニコラウスに対する崇敬は10世紀にはヨーロッパに中に広まっていたが、この聖人とサンタクロースはまったく別の存在だ。にもかかわらず、近代に入ると両者は融合してしまった。

 また、クリスマスといえば「平和」のイメージが浮かぶが、クリスマスツリーが国家間に緊張をもたらすこともあった。

 「クリスマスツリーは平和ではなく極度の緊張をもたらすこともある。その好例が北朝鮮の軍事行動に対して韓国の教会が南北の非武装軍事境界線沿いに飾ったツリーだ。このクリスマスツリーは南北関係の緊張緩和を受けて二〇〇四年から七年間飾られていなかったが、二〇一〇年に四人が死亡した延坪島砲撃事件が発生すると再開された。ソウルの汝矣島純福音教会は、高さ三〇メートルの塔を、クリスマスと北朝鮮の信仰の自由を象徴するイルミネーションと巨大な十字架で飾った。この巨大なクリスマスツリーはDMZ付近の北朝鮮市民に南の贅沢と豊富な電力量を見せつけるものだとして、北朝鮮の政権は当然のように激怒し、報復も辞さないと脅した。翌二〇一一年には北朝鮮の指導者金正日の死去を受けてライトアップは中止された」(9章 公共空間でのクリスマス)

 今では王族から庶民まで欧米ではクリスマスを当然のように祝っているが、いつごろからプロテスタント諸派でもクリスマスを祝うようになったのだろうか。英国国教会では、18世紀に入るとクリスマスに聖餐式を行うようになり、クリスマスに宗教的意義が与えられたことでクリスマス礼拝がスタンダードなものになっていった。

 「新大陸のピューリタンたちがクリスマスとの戦いから手を引くと、アメリカのキリスト教徒の大半は当たり前のようにクリスマスの礼拝に参列するようになった。しかし、そこにいたるまでにはかなりの時間を要した。カルヴァン派は頑なにクリスマスを受け入れようとはしなかった。長老派は一八〇〇年頃でもクリスマスをカトリックの腐敗の一例であり、迷信的で反キリスト教的なものだとしていた節がある。……会衆派もクリスマスを非難した。……どうやらアメリカの長老派とバプテスト派と会衆派、そしてその他の教派は、一八五〇年代にはクリスマスに対する厳しい姿勢を和らげたようだ。クエーカー派は一九世紀末になってようやく世俗のクリスマスを受け入れたが、キリスト教の祝祭としては拒みつづけた」(10章 クリスマスと教会)

 今年2022年はクリスマスが日曜日にあたるが、プロテスタント教会のなかには日曜日にあたった年はクリスマス礼拝を中止したり回数を少なくしたりしているところがある。11年にアメリカで行われた調査によれば、9パーセントのプロテスタント教会がクリスマス礼拝を止めてしまったという。それはクリスマス礼拝と行事によって多忙となり、教会スタッフとボランティアが家族と過ごせなくなるのを防ぐためだった。キリストを礼拝したいという思いと、この日には家族と過ごしたいというアメリカの神聖な伝統とのあいだの葛藤といえよう。

 知っているようで知らないクリスマスの「歴史」。ここ100年ほどの間に、クリスマスは聖と俗の二つの大きな流れに分かれていった。だが、どちらか一方だけが「本当の」クリスマスだと極言すると何かを見落としてしまうだろう。2000年前のベツレヘムに子どもが生まれたという、たった一つの出来事が今に至るまで大きな波紋を世界中に広げている意味を改めて考えずにはいられない。

【3,850円(本体3,500円+税)】
【原書房】978-4562059430

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