【書評】 『ジャーナリスト与謝野晶子』 松村由利子

 華麗奔放に恋愛を謳歌した歌集『みだれ髪』の作者、与謝野晶子が、多くの新聞雑誌に社会評論を寄稿していたことはほとんど知られていない。明治末期から昭和初期にかけての20年余りにわたり、晶子は男女平等・労働問題・教育制度などについて活発に評論を行った。ちょうど大正デモクラシーが起こったり、言論統制が強化されたりした時期に重なる。日本は急速に近代化を進める一方で、戦争をし、国中に格差が広がっていた。このような厳しい時代に、歌人として華々しくデビューした晶子が、なぜ社会評論を書くようになったのか。どのようにして自己の論考や思想を深め、幅広いテーマを論じることがでるようになったのか。本書は時代背景と晶子の生涯を詳細にたどりながら探っていく。

 「与謝野晶子の作品で最もよく知られているのは、歌集『みだれ髪』と『君死にたまふことなかれ』だろう。『みだれ髪』が恋愛を大胆華麗に歌い上げたのに対し、『君死にたまふことなかれ』は、日露戦争に出征した弟の身を案じた真情あふれる詩である。……

 日露戦争の開戦から半年ほどしか経たない一九〇四(明治三十七)年九月、『明星』に晶子の『君死にたまふこと勿れ』が掲載された。文芸評論家の大町桂月が『戦争を非とするもの』『余りに大胆過ぐる言葉』と批判すると、晶子は夫に宛てた私信の形をとった『ひらきぶみ』で『歌は歌に候』と述べ、歌詠みの自分は『後の人に笑われぬ、まことの心を歌いおきたく候』とやんわりとかわした」(第二章 表現の自由を求めて)

 大国ロシアとの戦争に国中が熱狂している時、戦場の肉親を案じる詩が危険視されかねないことを晶子もわかっていただろう。当時、政府はこのような厭戦気分を助長する言論を厳しく取り締まっていた。しかし晶子は、「君死にたまふことなかれ」だけでなく、1909年発表の「灰色の日」でも言論統制への憤りを詠んだ。ここにジャーナリストの萌芽を見てとることができる。

 夫を追いかけるようにして渡欧し、ヨーロッパで見聞を広めた晶子は、以前にもまして精力的に社会評論を書くようになった。時代もまた、豊かな教養を蓄え高い理想を掲げる晶子という書き手を必要としていた。

 1919年、衆議院選挙法が改正され、直接国税3円以上を納める25歳以上の男子に選挙権が与えられることとなった。この法改正を受け、晶子は『太陽』3月号に「似非(えせ)普通選挙運動」という過激なタイトルで寄稿し、改正をめぐる議論において、女性参政権についてまったく論じられなかったことを批判した。『婦人公論』に寄稿した「婦人参政権を要求す」では、女性参政権を、新たに獲得するものでなく、「回復」すべき権利であると主張した。

 同じころ、母性保護論争が複数の雑誌で取り上げられ、熱い議論が繰り広げられていた。平塚らいてうは女工たちの過酷な労働環境の早期改善や子育てしながら働く女性の保護救済を課題と考えた。だが晶子は、「親とならないで一生を送る男女も少なくない」とし、子どもをもたなくても精神的に豊かに暮らす男女はおり、「産む性」としてのみ女性を捉えることに疑問を呈した。

 晶子はファッション・広告の仕事もこなしたが、その一つが高島屋百貨店の顧問として参画した「百選会」。19年春から40年秋まで流行色として選ばれた286色に晶子は名前を付けた。第一次世界大戦が終結した19年、流行色に晶子が初めて命名したのは「平和色」だった。

 「そのやや暗みを帯びたグリーンは、『日本の伝統色』などを参照すると、『うぐいす色』や『松葉色』といった色に近いが、晶子はオリーブ色を連想したのかもしれない。

 聖書だく子人の御親(みおや)の墓に伏して弥勒(みろく)の名をば夕に喚びぬ  『みだれ髪』

 淵の水になげし聖書を又もひろひ空(そら)仰き泣くわれまとひの子

 晶子は若いころから聖書に親しみ、『みだれ髪』にもキリスト教的なイメージを多く盛り込んだ。平和を願ったとき、ノアの方舟にオリーブの枝を持ち帰った鳩の逸話を思い出し、『オリーブ色』=『平和色』と考えた可能性はある」(第十章 カルピスと百選会)

 フランスの新聞記者から、女性の新しい仕事として何が最上かと問われた際、晶子は「新聞記者」と答えた。本人自身がジャーナリストであったといえるが、晶子は取材される立場、書かれる側でもあった。同時代の記者にはない特質と観点があっただろう。また、優れた文学者であると同時に、私生活では13人の子を産み、11人を育てた母でもあった。そのような多忙な身の上で、社会評論をものにするには並外れた努力と才能が必要だったはずだ。その原動力になったものは何だったのか。著者は以下のように綴って本書の結びとする。

 「晶子にとって最も大切なものは、民主主義の基本である自由と平等だった。言論統制の強い時代だったにもかかわらず、時の政府に対しておもねったり忖度したりすることなく書き続けた彼女には、自らの仕事を闇夜に灯す『燈火』と思う自負があったに違いない。

 スウェーデンの調査機関V-dem研究所の二〇一九年の報告によると、世界における民主 主義国家・地域の数は十八年ぶりに非民主主義国を下回った。激変する世界の中でジャーナリズムも大きく揺さぶられる今、晶子の希求した社会を問い直しつつ、この厳しい時代に立ち向かわなければ、と思う。晶子のさまざまな提言は、きっとその一助になると信じている」(「おわりに」)

【2,750円(本体2,500円+税)】
【短歌研究社】978-4862727206

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