【書評】 『力と交換様式』 柄谷行人

 この大著は、世界史を貫く「交換様式」とそれが生み出す「力」の葛藤を見極めようとする。その壮大かつ深淵な叙述は、宗教と非宗教の境界を完全につきぬけて、世界史の構造を解明してゆく。

 とはいえ著者の思考は、宗教を軽蔑して回避するような態度とはおよそ異質である。むしろ本書は伝統宗教が秘めていた社会変革の可能性、とりわけキリスト教の中心に秘められた「力」を捉えようとする。その点で本書がキリスト者の信仰理解にとって重要な洞察に富むことは間違いない。

 その洞察をあえてひと言で表すならば、伝統的な終末論のまったく新しい発見である。著者の言葉を借りて、それを終末論の「高次元の回復」と呼ぶことにしたい。そもそも著者の最初期の著作群から今日の最新著に至るまで、終末論的な思考は何十年間にもわたってその思考を貫いてきたものであり、それが今「力と交換様式」論という形をとって新たに結実したように思われる。

 著者の哲学的思考は高度で抽象的に見えるが、常に同時代の状況とラディカルに対決している。とりわけ本書が対峙する状況は、国家と資本の支配によって私たちが生きる社会が荒廃し、ますます生存を脅かされつつある事態である。経済恐慌、自然破壊、世界戦争が混然一体となって、私たちに襲いかかろうとしている。

 それでは国家と資本を廃絶することは可能だろうか。「できない」と著者は言う。なぜならば、国家と資本が持つ「交換様式」が生み出す「力」は、意志や人為を超えた「怪獣(リヴァイアサン)」や「物神(フェティッシュ)」と呼ぶべきものであり、容易に克服することができないほど強力なものだからだ。これらの力を前にして、あらゆる変革の希望はいったん打ち砕かれるほかない。

 だとすればもはやお終(しま)いか。決してそうではない。著者は最終的に、人為や意志を超えた仕方で、別の「力」が到来することを哲学的に指し示す。著者によるイエスの復活解釈も、まさにそれを表現するものである。それは絶望の彼方から未来が到来することだと言ってよい。キリスト教界でよく知られたバルトやモルトマンの名前が本書に登場することも偶然ではない。

 本書は衰退しつつあるキリスト教を蘇生させるような「力」を指し示している。ただしそれは、昔の状態を復旧する力ではなく「高次元の回復」をもたらす力である。本書をひもとく読者は、もはや単なる護教的な「低次元の回復」に甘んじてはならないだろう。

(評者・福嶋 揚=神学博士、東京大学大学院などにて講師)

【3,850円(本体3,500円+税)】
【岩波書店】978-4000615594

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