【書評】 『長崎と天草の潜伏キリシタン 「禁教社会」の新見地』 安高啓明 編著

 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産が世界文化遺産に登録されて5年になろうとしている。世界遺産になって以来、教育・観光などの分野から熱い視線が送られてきたが、潜伏キリシタン研究の最前線はどうなっているのか。長崎と天草を中心にフィールドワークを行う編著者と研究室メンバーが、その研究成果(論文12編、コラム10本)をまとめて刊行した。編著者の調査によって新たに発見された天草のキリシタン関連文書の報告・分析も所収。潜伏キリシタンの「実態」に関する新しい知見が示されている。

 熊本県天草地方は布教期においてはキリスト教布教の重要拠点であり、禁教期においては潜伏キリシタンの多かった地域として知られる。にもかかわらず、類族改〔筆者注=キリシタンの子孫がキリシタンにならないための検索制度。キリシタンの子孫を類族と呼び、類族の職業・生活状態・住居などを登録した類族改帳を年2回奉行に提出した〕の実態については、資料的な限界によって詳細が不明であった。しかし、「天草崩れ」とよばれる潜伏キリシタンの大量発覚が起こった地域の一つである高浜村で、編著者が2020年から調査を開始したところ、類族に関する資料を含む22点のキリシタン関係文書が新出した。これら新出資料の中間報告は論文の形ですでに世に出されているが、本書では資料の分析から見えてくる潜伏キリシタンの実態を考察する。

 「天草では、類族管理も厳密に行ない、かつ宗門改、ひいては絵踏・影踏も実施している。こうしてキリシタンがいない表層的状況が創出されていき、潜伏キリシタンは、類族とも異なる信仰や生活を保持していくことにつながったのである。類族は忌掛りと同系統的に把握されていたことに対して、潜伏キリシタンは統制外の存在だった。換言すれば、類族も潜伏キリシタンとは一線を画していたといえ、双方は同じ地域社会の構成員でもあった。 天草崩れによって、新たに『異宗信仰者』という〝第三極〟が生まれ、天草島内には、非キリシタン・類族・異宗信仰者が混成した社会が形成されたのである。また、類族を後ろ盾にしながら、潜伏キリシタンは生存していくことを可能にしたとも評価できるのである」(第4章 安高啓明「天草一町田村と高浜村における類族改の実態」)

 天草は、「鎖国」状態でも海外貿易が行われた港市長崎に近く、異国船が近海を往来する地域にもあたっていたため、キリスト教流入を阻止する沿岸警備が重視された。異国船の監視や漂着船の送還を担当した遠見番の記録からは、長崎と天草、さらには天草を預かり所としていた島原藩とを結ぶ防衛体制が確立されていった経緯がうかがえる。

 また江戸時代の天草は、幕府によって遠島刑に処された流人が差遣される公儀流島の一つであった。第5章では、史料を土台に、公儀流人の受け入れと中断、受け入れ再開と「天草崩れ」までの推移を明らかにし、流人への宗門改(絵踏み)を論じる。あまりキリシタン関連書では扱われてこなかった内容だが、欠けてはならない視点だと気づかされる。

 「近世前期に天草へ多数差遣されていたのは江戸流人である。史料上確認されるもので最も古いのは元禄5(1692)年で、高野山の行人600人余りが幕府から遠島処分を受け、うち140人が天草に差遣されている。次いで元禄15(1702)年に江戸の無宿者55人、翌年には同じく江戸の無宿者45人が差遣されている。このように、江戸流人は一度で50人前後、多い時には100人以上の大人数が一括して差遣されていたことがわかる」(第5章 山田悠太朗「天草への公儀流人の差遣と禁教政策」)

 コラムではキリシタン関連のさまざまなトピックスを紹介。鉄川與助とガルニエ神父、パリ外国宣教会、ド・ロ版画などだが、中でも長崎くんちが果たした役割を論じたコラムが興味をひく。

 「長崎くんちは、寛永11(1634)年に長崎の氏神である諏訪神社に2人の遊女が謡曲『小舞』を奉納したことが起源である。この頃、幕府は禁教政策を強化し、『鎖国』状態を形成していた過渡期である。まさに、幕府の禁教政策を象徴するかのような祭礼がここに始まったといえるのである。〔…〕

 くんちは単なる民俗祭礼ではなく、行政的要素を含んだものでもあった。長崎奉行がくんちを奨励していたのもそのためで、奉納にあたって長崎奉行所の意向が働いていた。例えば、嘉永6(1853)年にはロシア使節プチャーチンが来崎したことにより、日程を11月1日に変更している。これは、神事かつ民俗祭礼というよりも、行政的事情が優先されていたことを示す。また、くんちへの参加の意義には、非キリシタンの証明、かつ『神威』による排キリシタンがあった。遊女町である丸山町・寄合町が、毎年、奉納踊をしていることは、そのためである。『宗教』には『宗教』で対峙させるという、幕府が確立した寺請制度に通底する原理がここにもみられる。かつてキリシタンが多かった長崎では、祭礼にも禁教の要素が包含されていたのである。そのため、延期してまでも、執り行なわれているのである」(コラムⅡ-1 安高啓明「長崎くんちの天草への伝播」)

 本書では長崎と天草に加え、その周辺域にあたる五島や島原、豊後国岡藩を射程に入れ、幕府の禁教政策と長崎奉行所の政治的思惑、各地域での受け止め方という三要素が交錯した禁教期の「実態」を詳らかにする。潜伏キリシタンは、近世から近代へ、江戸幕府から明治政府へ、「鎖国」状態から開国へと移り変わる中で生きてきた。したがって、その「実態」が一律だったはずがない。また、潜伏キリシタンの歴史は「迫害と殉教」、「潜伏と復活」といった単純な図式で割り切れるものではない。より解像度が高くなった最新研究に触れるほど、従来のステレオタイプ化された潜伏キリシタンのイメージが打破されていく。そこに見えてくるのはキリシタンの「生きられた」歴史、潜伏キリシタンの「実態」だ。キリシタンを見る視点を新しい見地に高めるために利用したい1冊。

【3,520円(本体3,200円+税)】
【雄山閣】978-4639028680

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