【書評】 『隣人のあなた』 安田菜津紀

 2022年5月、世界全体で迫害や紛争により移動を強いられた人々が、初めて1億人を超えたと報じられた。多くの移民・避難民・難民が押し寄せる日本はいまや「事実上、移民国家」といわれる。しかし入管、技能実習生の実態、外国人ヘイトなど、彼らをめぐる状況は依然厳しい。国内外で苦境にある人々を見つめてきた著者が現状をレポートし、日本の歩むべき道を問う。

 昨年のロシアによるウクライナ侵攻で、国連の発表ではこれまでに1300万人もの人が住む家を追われ、避難生活を送っているという。各国が支援に手を挙げる中で、日本も避難民の受け入れを表明した。

 「日本には、二〇二二年六月一八日時点で一三〇〇人以上がウクライナから入国している。政府はホテルなどの一時滞在施設を提供しているほか、身元保証人などのいない人に対しては、施設を出る際に一時金として一六万円を、その後も日あたり、四○○円を支給している。

 ウクライナから避難する人々に対しての要件が緩和され、支援策が次々と打ち出されていく一方で、問われるのは『整合性』と『説明責任』だ。例えばアフガニスタンから逃れてこようとする人々に対しては、来日自体に高いハードルが課されたままのうえ、二〇二〇年八月時点で入国したとされる八二〇人には、生活保障や定住支援といった対応はとられていない。二〇二一年二月一日に軍によるクーデターが起きたミャンマーの人々も、新た にビザを取得しての来日は困難を極めている」

 難民の人たちを出身国で〝選別〟することは適切ではないが、難民申請者には「偽装が多いのでは」といった偏見が根強く、難民認定のハードルは高い。

 スリランカから来日したウィシュマさんが入管で死亡した事件は記憶に新しい。21年6月、名古屋市内の大学教員が保護責任者遺棄致傷容疑で名古屋入管の関係者らを告発し、11月には遺族側が、入管側に「未必の故意」があったとして、当時の局長や看守責任者らを殺人容疑で告訴していた。だが22年6月、全員に「不起訴」の判断が下された。

 外国人技能実習生の人権問題もたびたび報じられている。22年1月、孤立出産の後、死体遺棄したとして罪に問われたベトナム人技能実習生リンさんに、懲役3カ月、執行猶予2年の判決が言い渡された。

 「『技能実習制度』の“建前”は、さまざまな技術を学んでもらう『技能移転』を通して『国際貢献』することだ。ただ実際には、過酷な労働現場で、“安価な労働力の補填”にこの制度が利用されていることが指摘され続けてきた。コロナ禍で外国人の来日が難しくなってからは、『技能実習生が来ず、人手不足』という、〝建前〟さえなし崩しにする報道も見受けられ、メディアの発信がこの制度の問題を上塗りしてしまった面もあるだろう」

 「リンさんの身に起きたことや過去の判決には、日本社会がこれまで十分に目を向けてこなかった、外国人差別や女性差別、人間を労働力として『商品化』する動きや格差など、あらゆる問題が凝縮されている。島津さん〔筆者注:認定NPO法人NEXTEP理事長・小児科医〕も指摘するように、問われているのはリンさんの行為ではなく、この社会の脆弱さそのものではないだろうか」

 本書に聖書は引用されていないが、「隣人」と聞いて浮かぶのは、ルカによる福音書にある「善きサマリア人のたとえ」だろう。「私の隣人とは誰ですか」と尋ねる律法学者に、イエスが話した有名なたとえ話。ある人が強盗に遭い半死半生で放置されたが、そこへ祭司、レビ人、サマリア人が通りかかり、サマリア人だけが強盗に襲われた人を介抱し、費用の面倒までみた。「この三人のうち、だれが強盗に襲われた人の隣人になったと思うか」。彼らが「その人に憐れみをかけた人です」と答えると、イエスは「行ってあなたも同じようにしなさい」と言われた(ルカによる福音書10章26~37節)。

 たとえ話の祭司とレビ人は律法の精神ではなく、書かれていることを表面的に守っているに過ぎなかった。だがイエスは、愛は国籍や宗教によって制約を受けず、限界もないと教えた。自己責任論やマイノリティ蔑視が蔓延し、「高齢者は集団自決」といった言説まで飛び出す現代日本。弱者切り捨ての社会で、イエスの言葉はどんな意味を持つのか。2000年前の声が「隣人のあなた」と呼びかけている。

【638円(本体580円+税)】
【岩波書店】978-4002710716

書籍一覧ページへ

  • 聖コレクション リアル神ゲーあります。「聖書で、遊ぼう。」聖書コレクション
  • 求人/募集/招聘