【書評】 『ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち』 レジー

 ひろゆき、中田敦彦、カズレーザー、前澤友作、堀江貴文など、たびたびネットを騒がせる面々は、インフルエンサーであると同時に「ビジネス・教養系YouTuber」の上位陣でもある(2021年エンターテインメントサイト「モデルプレス」調べ)。これらの人々が「新時代を生き抜くための教養」と主張する「教養」は、ビジネスに役立つ知識としての教養、サバイバーツールとしての教養である。著者は「ビジネスに役に立つことが大事」という画一的な判断に支えられた「教養」を「ファスト教養」と命名。「ファスト教養」に引きつけられるビジネスパーソンの「焦り」や、「ファスト教養」が体現する価値観が受け入れられている日本社会の現在地を考察する。

 「ファスト」という通り、ファスト教養に求められているのは即効性である。昨今、「タイパ」という言葉もよく聞かれるが、時間もコストと考えるなら、すぐに使えれば使えるほどコスパ(コストパフォーマンス)が良いということになる。だが、かつて慶応義塾大学塾長を務めた小泉信三は「すぐに役立つ人間はすぐに役に立たなくなるとは至言である。同様の意味において、すぐに役立つ本はすぐに役に立たなくなる本であるといえる」と述べた。

 「『すぐ役に立つ』を突き詰めたものは基本的に普遍性を失う。なぜなら、それはすなわち個別事情に最適化したものだからである。自身の好みと合致するようにアルゴリズムで整頓されたSNSのタイムラインを見るのは心地よいが、そこに現れる世界は決して『社会全体』ではない。また、流行りのビジネス用語を解説するような書籍は、数年後にまた異なる概念が盛り上がりを見せ始める頃には無用の長物となる」

 出口治明の『人生を面白くする 本物の教養』や、池上彰の『大人の教養』シリーズなどでは「すぐ役に立つ」ことへの警鐘を鳴らした上で、自分を支える教養の大切さを説く。しかしそれさえも、結果的には「教養は役に立つツール」というメッセージとして伝わってしまう側面がある。

 教養=「リベラルアーツ」と語られることが多いが、「リベラルアーツ」を直訳するなら「自由のための技術」。自由になるために必要なものは何だろうかと考え、「それはお金だ」とシンプルな答えを提示するのがファスト教養の価値観だ。「金を稼いでいる人こそ偉い」「人生の成功者だ」といった考え方は、その対極にいる人を見下し、失敗者とみなすスタンスにつながる。ひろゆきの言動が示してきたとおり、ファスト教養の世界には自助、自己責任論こそあれ、弱者の社会性を認めようとする発想はうかがえない。それは「昨今の政府の方針とも奇妙につながっている」と著者は指摘する。

 歴史的経緯をふり返ると、教養というものの重要性が認識され直すきっかけになった出来事の一つとして挙げられるのは1990年代半ばに起こったオウム真理教事件だったと池上はいう。当時、理工系のエリート大学を出た人たちがあっけなくオウム真理教に入信し、猛毒ガスのサリンを作ったりした。宗教の知識も教養であるが、そういった教養がすっぽり抜けてしまうと、第二、第三のオウム真理教が登場しないとは限らない。そこでさまざまな教養を身につける必要があると、教養の重要性が見直されたのだ。

 「受験における偏差値が高くても、その能力をおかしなことに使ってしまっては元も子もない。カルトにはまらないための多様な視点を身につけるとともに、人としての倫理を獲得するための方策として教養というものが求められた――そんな過去の流れと現在の状況を改めて見比べた時に、ビジネスシーンで振り回すための大雑把な知識をコスパ重視で学ぼうという今のファスト教養のあり方は『オウム』的なものへの対抗策になっているのだろうか。ビジネスでの成功に何よりも高い価値を置く人たちの示す教養が主流になることで、経済的なメリットのために深い思考プロセスや守るべき倫理観を平気で放棄できる新しい『オウム』が生まれかねないのではないか」(以上、第二章 不安な時代のファスト教養)

 池上のいうように宗教の知識も教養であり、宗教を知らなければ世界の動きも分からないからと、近年、宗教全般やキリスト教、聖書について学ぼうとする人が多くいる。信者になろうとは思わないが、「教養」としてキリスト教の基本知識を身につけたいと考える人々だ。そのようなニーズに応える出版物が、社会学者やキリスト教関係者など多様なジャンルの書き手によって手がけられている。だがキリスト教や聖書に関する出版物が、数ある「ファスト教養」の一つとして消費されていくだけであれば、「ファスト教養」の価値観の下に流用され、「自由のための技術」として使われる機会を逃す。今のファスト教養のあり方では「オウム」的なものへの対抗策になっていないのではないかという著者の指摘を重く受け止め、キリスト教や聖書に関する知識も、真の教養になり得る知識として提供されることが求められている。

【1,056円(本体960円+税)】
【集英社】978-4087212334

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