【書評】 『徹底討論!問われる宗教と“カルト”』 島薗 進、釈 徹宗、若松英輔、櫻井義秀、川島堅二、小原克博

 NHK教育テレビ「こころの時代~宗教・人生」で放送され大きな反響を呼んだ「問われる宗教と〝カルト〟」が書籍化された。番組では第一線の研究者・宗教者6人(島薗進、釈徹宗、若松英輔、櫻井義秀、川島堅二、小原克博の各氏)が、政治と宗教、宗教と〝カルト〟をめぐり討論したが、書籍版にはその内容に加え、登壇者たちが書き下ろした論考を所収。人間と社会、そこに宗教がいかに関わるべきかを問い直す。

 島薗進氏(宗教学者)「私のように宗教学や宗教社会学を研究している立場、あるいは、おそらく法学の立場からも、カルトの定義は非常に難しい。なので、カルトという言葉は学術用語としては使えないというのが、私たち学者の考えです。

 けれどもいま、社会が懸念していることに関して言えることは、カルトが『非常に閉鎖的で、排外的』ということでしょう。閉鎖的にひきこもるだけではなくて、敵との対立感を強く持って外に向かって攻撃的に打って出る側面があります。

 そのような団体は通常、社会との摩擦を激しく起こすので、社会からのさまざまな抑制が働く場合が多い。しかし、旧統一教会の場合はその点が非常に特殊です。つまり、かなり攻撃的に社会に関わったにもかかわらず、抑制がきかなかった。これは政治的な庇護を受けたことが、非常に大きいですね」(第一章 〝カルト〟とは何か?)

 若松英輔氏(批評家、随筆家)「私は人が、『自分はいま、信仰生活から離れてみたい』と思うことがあっても、それでいいんだと思うんです。そのときに、宗教の側から『そういうことはしてはならない。留まりなさい』と引き戻すべきではない。その人が離れていくのだとしても、その人のために祈るのが宗教だと思うからです。

 人には信じる自由だけではなく、迷う自由もあると思うんです。人の迷いまで奪ってしまうのは、とても恐ろしいことです。だから、人が立ち止まり、迷い、そして何かを探求することが、宗教を信じることによって失われていくのだとしたら、私は残念な気がします」(以上、第一章 〝カルト〟とは何か?)

 旧統一教会については、櫻井義秀氏(宗教社会学者)が解説。「真の父母が生まれた国がアダム国、すなわち韓国であり、韓国を四〇年にわたって植民地支配した日本がエバ国とされる。〔…〕

 こうした旧統一教会の恨みの弁、反日主義的なコリア・ナショナリズムを自民党議員は知ってか知らずか、旧統一教会と関係を結んできた。選挙で勝つことを国益や国民の権利より優先したのである。日本会議など保守的な政治運動の有力な支援者であった安倍元首相が、旧統一教会関連団体と関係を維持してきたために、自民党議員たちは旧統一教会を利することが日本の保守の行為として妥当なものかどうかを考えてこなかった。

 自民党の保守政治の底の浅さを露呈させた今回の事件は、日本国民を驚かせると共に海外の政治家やメディアをも驚愕させた。日本国民が保守政治の虚像に気がつくことができれば、安倍元首相を襲った悲劇、テロリズムの最大の教訓となるのではないか。霊感霊視商法にご注意であると共に、『日本を守る』といった言説にも注意が必要だということである」(論考「保守政治という虚像」)

 釈徹宗氏(浄土真宗本願寺派住職)は宗教コミュニティの意義を論じる。「今回の議論の中でも触れたのだが、我々の社会は急速に中間共同体が痩せてきている。家族という小さな共同体と、国など大きな共同体との『中間』が脆弱になっている。世界各国の中で、とりわけ日本が顕著らしい。〔…〕

 人間の身心は何ものかに『つながっている』という実感がないと、生きていくのがとても難しくなる。〔…〕宗教コミュニティもこの一翼を担っている。

 と同時に、今回の旧統一教会問題のように、宗教共同体の特性が悪用される事態も起こることを見落としてはならない。同じ道を歩むために集まったはずのメンバーを、搾取やコントロールの対象としてしか考えていない集団だってあるのだ」(論考「宗教で“苦しみ”はなくなるのか」)

 近代国家において政教分離がいかに採り入れられていったかは、小原克博氏(神学部教授)が歴史的背景をふまえて解説する。「冒頭で述べた政治と宗教の分離は、社会の近代化にともない自然に成立したものではない。中世ヨーロッパを見れば明らかなように、かつて宗教は強大な政治的影響力を持ち、また政治のほうも宗教的権威を利用していた。〔…〕

 ヨーロッパで政教分離の考え方が出てきたのは、ドイツ国内のカトリックとプロテスタントの対立に端を発し、次第に周辺国の覇権争いに飛び火した三十年戦争(一六一八~四八年)がきっかけだった。〔…〕

 この戦争を終結させるため、一六四八年に、史上初の多国間条約であるウェストファリア条約が締結され、この条約が後のヨーロッパの国際秩序に大きな影響を与えることになった。〔…〕

 そして、ウェストファリア体制に基づいた主権国家を成立させるには、国家は領民の忠誠心を宗教から国家へと移行させる必要があった。それは同時に、宗教を公的な領域から私的な領域へと移行させることを意味していた。宗教が持っていた共同体的な性格を剥奪し、個人的な信仰心のレベルに限定することが、国家の安定のために欠かせなかったのだ。それが近代以降の新しい宗教理解の基本となったのである」(論考「近代国家が生んだ『犠牲のシステム』」)

 討論の中では、いま必要な「宗教リテラシー」はどういったものであるかが論じられた。

 川島堅二氏(牧師、宗教学者)「ジョン・ヒックという二〇世紀後半の宗教哲学者がいます。彼は、他の宗教に対してどのような立ち位置の取り方があるのかについて、三つの類型を示しています。それが『排他主義』『包括主義』『多元主義』です。

 排他主義とは自分たちだけが正しい真理だとする立場のことです。包括主義とは、他の宗教も真理の断片は持っているけれども、自分たちの宗教こそが究極の真理を持っているとする立場のこと。それに対して多元主義とは、対等にすべてを等しく認めていく立場のことです。

いま、宗教者のあいだで最も取られている立場は、包括主義的な立場です。一つ目で述べた『ここがダメなら、他でもいいよ』ということを、宗教者自身が言えるだけの寛容さを持てるかどうかが大切だと思います」(第六章 宗教の〝公共性〟とは)

 安倍晋三元首相銃撃事件は政治権力と旧統一教会との癒着を暴き出すきっかけとなり、各メディアは一斉に〝カルト〟問題に注目するようになった。他方、政治と宗教、社会における宗教の意義、宗教と〝カルト〟の境界などについては慎重な議論が必要であるにもかかわらず、ショッキングな事件・問題にのみ報道が終始する向きもあった。根源的な問いが棚上げされたまま、政治家と特定宗教の深い関わりがスクープされた。それらの報道にはもちろん大きな意味があったが、ほとんどの視聴者にとっては〝カルト〟の問題は自分とは関係のない「事件」と映ったかもしれない。

 しかし人間という存在を顧みるなら、誰もが社会と宗教という問題の当事者だといえる。宗教(学)の最前線で活動してきた論者たちによる多角的な討論に触れることで、自らの宗教観を見つめ直し、いま自分が生きている世界がどのような状況にあるのか――日本社会の心の現在地を確認したい。

【913円(本体830円+税)】
【NHK出版】978-4140886922

書籍一覧ページへ

  • 聖コレクション リアル神ゲーあります。「聖書で、遊ぼう。」聖書コレクション
  • 求人/募集/招聘