【書評】 『ヤジと民主主義』 北海道放送報道部道警ヤジ排除問題取材班

 事件は2019年7月15日に起こった。参議院選挙の応援演説のために第98代内閣総理大臣安倍晋三が札幌駅南口に止められた街宣車の上に立った。集まった聴衆は約1200人。沿道には「がんばれ安倍さん」と書かれた横断幕やプラカードを持つ人で人垣ができていた。制服を着た警察官が物々しく警護する中、安倍首相が演説を始めた。すると、道路をはさんだ場所の人だかりの中から一人の男性が声を上げた。「帰れ! 安倍やめろ」。ヤジを飛ばした黒縁メガネの男性は大杉雅栄さん(31)。すぐさま大杉さんは4、5人の男たちに取り囲まれ、約30m後方へ連れ去られた。

 その約5分後、大杉さんよりも後ろにいた女子大学生の桃井希生さん(23)が「増税反対! 消費税増税反対です!」と声を上げた。やはり黒いスーツ姿の警察官3、4人が来て小柄な桃井さんを取り囲み、後方へ押しやろうとした。桃井さんが足を踏ん張ってなおも叫ぶと、さらに大勢の警官が来て両脇を抱え、引きずるようにして50m以上街宣車から遠ざけた。女性警察官2人が桃井さんの行動の自由を奪いながら説得しはじめた。「なんか飲む? 買うよ? お金あるから。ジュース買ってあげる」「今日はもう諦めてくれ」。桃井さんは街宣車とは反対方向に歩いていったが、女性警察官の付きまといは1時間にも及んだという。

 このような警察官によるヤジ排除は特別公務員暴行陵虐罪と特別公務員職権乱用罪にあたるとして、その年の12月、大杉さんは自分を排除した7人の警察官を刑事告訴した。また、北海道警察を所管する北海道に対し国家賠償訴訟を起こした。異議を唱えたら警察に排除されるといったことがまかり通れば、言論の萎縮を招くと大杉さんは危機感を表明した。翌年2月、桃井さんも損害賠償を求める国賠訴訟を札幌地裁に提起した。大杉さんと桃井さんの国賠訴訟は一つにまとめられ、審議が進められていくこととなった。

 道警は、警察官職務執行法の第四条、第五条に基づき適法に行為したと主張したが、2020年3月、札幌地裁は原告(大杉さんと桃井さん)側の主張を認め、原告への損害賠償の支払いを命じた。原告らの行為は公共的・政治的事項に関する表現行為であり、それを制限した警察官の行為は原告の「表現の自由」を侵害するものだったと認定したのだ。

 北海道で起きたこの道警ヤジ排除問題と訴訟を北海道放送報道部が追及し、ドキュメンタリー番組「ヤジと民主主義」を制作した。ヤジすら言えない社会になり、小さな自由が排除された先に待つものは何か。いま民主主義のあり方が問われているのだと訴えたこの番組は日本ジャーナリスト会議のJCJ賞などを受賞。世論を喚起した。本書はこの事件の推移を番組制作班が書籍化したものだ。

 ヤジ排除問題の取材を指揮した山崎裕侍氏は、初めてこの問題を知った際、ニーメラーの警句が脳裏に浮かんだという。ルター派牧師マルティン・ニーメラーは戦時下のドイツで反ナチス運動を行い、ダッハウ強制収容所に終戦まで収容された。

 「ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった。
  私は共産主義者ではなかったから。〔…〕
  そして、彼らが私を攻撃したとき、
  私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった」

 この警句は、最初から反対の声を上げなかったことを痛悔するものとして広く知られている。事件が報道されると、「政治家にヤジを飛ばすなんて失礼」などのコメントがネットにあふれた。しかし権力に対してヤジすら飛ばせないといった、誰かの権利が奪われることに無関心な社会は、権力の暴走を許してしまう。ニーメラーの言ったことが、目の前で起きていると山崎氏は直感したという。

 山崎氏は問いかける。一体、排除されたのは誰なのか。日本社会では同調圧力と異質なものへの排除が進んでいる。ロシアでウクライナ侵攻に抗議する白紙を掲げただけで拘束されるように、日本でもこのまま排除が進めば社会に萎縮の空気が生まれ、権力が暴走し、民主主義が失われるかもしれない。誰かを排除することを許しているうちに、自分が排除される側になるかもしれない。ヤジ排除の先にある、そのような未来を一度は「想像」してみるべきではないかと。

 道警ヤジ排除訴訟で原告勝訴の画期的判決が下されてから7日後、道警側は控訴に踏み切った。3年に及んだ裁判は今年3月に結審し、6月に判決が出される予定だ。この先に「想像」される日本社会に考えをめぐらせながら、司法の判断を注視したい。

【1,980円(本体1,800円+税)】
【ころから】978-4907239657

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