【書評】 『大塩平八郎の乱 幕府を震撼させた武装蜂起の真相』 藪田 貫

 日本史の教科書にも掲載されている「大塩平八郎の乱」。今も大塩は大阪で人気だというが、どんな人物だったのか。キリシタンを検挙した与力時代の大塩と、隠居後の陽明学者としての活動をつまびらかにし、乱に至った思いをたどる。さらに、大塩の乱最大の謎とされる、乱後の市中潜伏の動機解明に挑む。巻末には大塩が各村に送った檄文(現代語訳)を掲載。近年発見された史料と合わせ、これまでとは違う大塩像を描き出す。

 大塩平八郎の「平八郎」は通称で、諱(いみな=本名)は「正高」といった。10代から大坂東町奉行所に出仕し、20代半ばで与力になると次々と手柄を挙げた。なかでも三大功績とされるのが、(1)西町奉行与力による汚職の告発、(2)キリシタン摘発、(3)破戒僧の処断であった。

 (2)の「キリシタン摘発」とは、潜伏キリシタンなどではなく、宣教師とも一切関係がない、独自のキリシタン理解によって「キリシタン」になった者の摘発である。彼らの口上(供述)から「キリシタンであろう」と判断したのが大塩だった。「京坂キリシタン一件」あるいは「邪宗門一件」とよばれる。この事件に関する新史料が発見され、2020年に英訳史料集が米国コロンビア大学出版局から出され、次いで日本語訳も出版された。事件から191年ぶりの新発見によって事件の詳細が明らかになった。

 すなわち、大坂の「キリシタン」はご禁制のキリスト教徒であるため死刑と決定されたが、その後「キリシタン」であるかどうか疑わしいことが分かってきた。しかし「キリシタン」処刑が公示されたのに、今さら、処刑の取り消しはすべきではないだろうとの判断が下され、「キリシタン」たちは処刑場に送られた。死刑執行後、大塩は上司の命で、「キリシタン」の供述書を改ざんしている。

 大塩は40歳になる手前で与力を辞し、跡目を息子に譲ると、隠居後は学問に専念した。私塾「洗心洞」を開いて、門弟を養成。陽明学の「知行合一」(ちこうごういつ。知識と行いは一体である)を中心に据えた。

 ところが、私塾を開いて間もない1833(天保4)年から1837(天保8)年にかけて天保の大飢饉が起こった。江戸四大飢饉の一つだが、天保の大飢饉の特徴は物価高騰。貧富の格差が拡大し農村を困窮に陥れた。飢饉に加えて物価高で食糧が買えず、多くの農民が餓死した。流民が大坂にあふれ、大坂市中の治安が悪化したため、大塩は奉行所に貧民の救済を嘆願したが受け入れられなかった。

 1837(天保8)年2月、大塩は門弟らと「救民」を掲げて決起。だが、大塩側で裏切りが相次いだことで戦いは数時間早く始まり、大坂市中で繰り広げられた乱は1日で鎮圧された。

 「大塩平八郎の乱は、天保八年(一八三七年)二月十九日の早朝に始まり、同日午後四時頃に 戦闘は終わっている。一日に満たない反乱であったが、それは前半で、その後、主要門人た ちが次々と逮捕され、一部が逃亡を続けるなか、大塩と養子格之助は市中の美吉屋五郎兵衛宅に潜伏を続けるという後半がある。それは建議書を江戸に送ったことと関係しており、 潜伏中に発見され、父子もろとも自爆するのが三月二十七日」(第六章 大坂の乱)

 大塩は乱の前日、江戸の老中らに宛てて飛脚便で建議書を送っていた。決死の覚悟で兵を挙げたにもかかわらず、乱の鎮圧後40日近くも隠れていたのはその返答を待っていたからであろうと著者はいう。大塩の檄文には「四海こんきう」(困窮)、建議書には「国家の儀に付申上候」の文字が見て取れる。大塩の視界には大坂だけでなく、日本全体が入っていた。民に立ち上がることを促しつつ、全国の窮状を為政者に訴えることで大塩は根本的な解決をしようとしていたのだろうと。

 「門人をして『その気迫人を圧する』とされた大塩には、三つの世界が見えていた。一つは洗心洞門人を含む自分たちの世界(A)、つぎに『不幸の良民』を中心とする摂津・河内・和泉・播磨の人々(B)、そして公儀の治める中央政治(C)。最後の世界(C)を変えることなくして、BもAも救うことはできない。そこで江戸に建議書を送り、市中と近郊に檄文を撒き、門人有志たちと決起した。江戸を撃つことなしに、根本的な解決はない――それが大塩の乱の目的であった」(終章 大塩の乱とは何だったのか)

 大塩の檄文(現代語訳)はこのような言葉で始まる。

 「『四海(この世界)が困窮しては、天から与えられた幸いも永く断たれるであろう』とか、 『道徳の欠けた為政者が国家を治めたならば、災害が相次いで起こるだろう』とかは、昔の 中国の聖人が、後世、君臣となる者に訓誡として残されたものだ。それ故、東照神君家康公も『やもめや孤児に憐れみをかけられることこそ、仁政の基本である』と言い残しておられる。

 それなのにこの二百四、五十年、世が泰平無事である間に、上に立つ者が少しずつ思い上 がり、贅沢をきわめ、大切な政治に携わる諸役人どもは賄賂を公然と授受あるいは贈答し、 〔…〕おのが一家のみを肥やす工夫のみに頭を使い、領地内の民百姓どもへは過重な御用金を申し付けている。これまで年貢や諸役の賦課に苦しんでいる上に、右の通り無理難儀を申し渡されては民百姓の負担は増えるばかりで、世界全体が困窮し、人々が公儀を怨まざるをえないありさまは、江戸方面より日本全体に及ぶ状態になっている」

 大塩の言葉は、200年近く前のものとは思えない。現在も四方を見れば、稼ぎの少ない者は侮られ、老人は疎まれ、貧困家庭の子どもは食べることにさえ窮している。一揆が起こってもおかしくないレベルの重税で、庶民は物価高にあえいでいるのに、上に立つ者は賄賂を「公然と授受あるいは贈答し」、富を占める者たちだけが世を謳歌している。

 だが今、大塩のように窮状を見かねて「救民」を掲げる政治家はどれくらいいるのだろう。このような時節に、大塩の評伝が一つの形になって出版されたことの意味は決して小さくない。

【968円(本体880円+税)】
【中央公論新社】978-4121027306

書籍一覧ページへ

  • 聖コレクション リアル神ゲーあります。「聖書で、遊ぼう。」聖書コレクション
  • 求人/募集/招聘