【書評】 『悲劇を越えて 歴史についてのキリスト教的解釈をめぐるエッセイ』 R.ニーバー 著/髙橋義文、柳田洋夫 訳

神よ、
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知識をあたえたまえ。
(大木英夫 訳)

 この「冷静を求める祈り」と呼ばれる言葉を紡いだのは、20世紀アメリカを代表する神学者ラインホルド・ニーバー。社会問題に対して積極的に発言し、キリスト教現実主義を唱えて冷戦時代のアメリカ外交政策立案に関わるなどした活動家でもあった。「冷静を求める祈り」は日本でもよく知られ、宇宙飛行士の山崎直子氏が自らを支えた言葉として挙げている。

 本書は、ニーバーが社会福音運動を経て、成熟した神学的立場を確立し始めた1930年代の説教をまとめ直したもの。永遠と歴史、神と世界などを論じ、「キリスト教的歴史観は、悲劇の感覚を経て、『悲劇を越える』希望と確信とに至る」ことを弁証している。

 「受肉における神についての啓示はそれ自体贖いではない。キリスト教は、人間を罪から救うためにキリストは死なれたと信じている。キリスト教には、受肉のみならず磔刑を、すなわち、飼い葉桶のみならず十字架をも含む福音がある。十字架上の神の御子の贖罪的な死 についてのこの教理は、多くの神学的誤りを引き起こした。道徳的感覚に背くような《代理的贖罪説》はその一つである。実際のところ、キリストの身代わりの死という、福音書の単純な言明ほど満足をもたらす贖罪説はない。このことは、人間の理性には深遠すぎて手に負えない究極的真理について、信仰はそれを理解し自らのものとすることができることを意味するであろう。これが、人間の知恵よりも賢明な神の愚かさである。近代世界は、贖罪の理論のみならず、贖罪という発想自体を不条理なものと考えてきた。近代世界は、悪魔の手から人間を取り戻した犠牲についての、あるいは報復的な父なる神の怒りを鎮めた犠牲についての理論に抵抗しただけでなく、神と人間との和解という発想そのものを不条理と見なしたのである」(1「欺いているようでいて、真実であり」)

 本書では特に、第二次世界大戦前の欧米の政治状況をふまえ、ニーバーが世界に訴えかけたかった思想が述べられている。列王記上の預言者ミカヤの聖句を引いた説教(4「四〇〇人対一人」)では、国家と偶像崇拝がつながる問題が指摘されているが、この箇所につき翻訳者が「国家と偶像崇拝の問題が顕在化したナチス・ドイツに対する、カール・バルトらによる『バルメン宣言』などを想起していると思われる」と注釈を加えている。世界中を巻き込む戦争が行われた時代、神学者もまた預言者のように叫んでいたといえよう。自分たちの力で「平和をつくり出して」いると考える者たちに、ニーバーは「悔い改め」の必要性を説く。

 「神の国の次元を真に理解している者は誰でも、この世の国については幻想を抱かなくなる。〔…〕その裁きを受け入れないとしたら、つまり、悔い改めないとしたら、神の国への入り口はない。というのは、そのように悔い改めることがなければ、人々は、世界の善は悪に満ちており、世界の秩序と平和は対立する諸力の休戦状態にすぎないことを知ることなくこの世界に生きているからである。悔い改めることがなければ、自身の力を通して平和をつくり出してきた者は、自分たちが純粋な平和をつくり出してきたと勘違いする。そして、かれらの平和の敵は神の敵であるという思い込みに煩わされる。悔い改めることがなけれ ば、この世の支配者たちは、祭司であれ総督であれ、主を再び十字架につけるのである」(9「苦難の僕と人の子」)

 ニーバーは大上段にかまえて人に教えを垂れていたのではなかった。使徒信条の一節「我は、罪の赦し、身体のよみがえり、永遠の生命を信ず」を引いた説教では、自身の神学生時代の心情が吐露されている。

 「『使徒信条』のこの最後の言葉は、生の成就に関するキリスト教的希望を表現している。しかし、私が神学校を卒業した頃を思い起してみると、それは若い神学徒にとって我慢のならない躓きの石であった。按手礼の際に『使徒信条』によってキリスト教信仰を言い表すことを求められたわたしたちは、『使徒信条』が、また、とりわけての最後の一節が示す問題をめぐり、答えを求めて長い議論を交わしたものである。われわれには、そのような定式によって自分たちの信仰をほんとうに言い表すことができるかどうか確信はなかった。どうしてもそうしなければならない場合、大抵は、キリスト教の過去を擁護する体でそのようにした。われわれは、過去のキリスト教の、キリスト教信仰についての不適切な表現に対する道徳的また神学的疑念を押し殺してでも、キリスト教の歴史との連帯感は表明したいと願っていたのである」(15「生の成就」)

 全体的に、当時の時局を念頭に置いてなされた説教であるが、現代にも通じる鋭い批判となっている。一見、文明批評のようにも読めるが、「キリスト教は悲劇を越える宗教である」と力強く述べる言明は、聖書に堅く立つ信仰者による「宣言」でもある。

 20世紀に入り、アメリカが「テロとの戦い」を標榜してアフガニスタンやイラクに侵攻し、戦争の泥沼に陥った際、彼の著作は立ち返らなければならない言葉として再び脚光を浴び、「ニーバー・リバイバル」を起こした。ニーバーが世を去って数十年。時代を超えた普遍性と深さを有するその言葉に、現代を生きる者としてもう一度出会い直したい。

【3,190円(本体2,900円+税)】
【教文館】978-4764267572

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