【書評】 『聖書に生きる366日 一日一章』 ユージン・H・ピーターソン 著/友川榮 監訳/川上直哉、斎藤 顕、サム・マーチー 訳

 2018年に天に帰った牧師ユージン・ピーターソン。その言葉は信仰の有無にかかわらず、絶えずあらゆる人の心をキリストにあって慰める。本書は、その記念碑的軌跡として満を辞して出版された。

 ピーターソンの説教の特徴は「堅固な神学の上に築かれる平易なフレーズ」である。ありがちな紹介かもしれないが、牧会の現場に立つとこれが最も難しい。彼の説教は誰もが手に取るように理解し、咀嚼できるものとなっている。

 例えば祈りについて、著者は以下のように述べる。

 朝の祈りは、わたしたちを「見張る神」の御前に連れ出すことである。そこから、わたしたちは注意深く新しい一日へと歩み出すのである。危険な日が確かに過ぎ去ったこと、危険な一日に、天使の軍団が満ちていること。そのことをしっかり用心して、わたしたちは一日を始めるのだ。絶好調に!

 これは創世記で、20年間不仲であったヤコブとラバンがギレヤドという地域で争っていた際、妥結のため共に祈った朝に「わたしと、あなたを見張るのは主である」と合意に至り、袂を分かった直後、ヤコブのもとに神の天使が現れ「ここは神の陣営だ」(創世記32章3節)と叫んだ物語に由来する。つまり、祈る者に神は「わたしこそがあなたを見張っている。もう何も恐れるな」と語り、天使の軍勢を見せるのだ。

 また人間が持つ劣等感についても語る。

 わたしたちは自己否定にいつも弱い。わたしには本当に価値がないのだろうか?(中略)わたしたちが、そのように生きる時(人間に必要とされるよう生きる時)、自由は体験できない。

現代人が陥りがちな人間理解について、包み隠さず暴露した後

 わたしたちには、自分の人生に関して途方もない程に興味深いものがある。一人ひとり独創的なものである。

と、大切なのは「誰かの目」ではなく「自分の賜物」を見つめることであると述べ、ガラテヤの信徒への手紙5章26節(うぬぼれて、互いに挑み合ったり、ねたみ合ったりするのはやめましょう)を引用する。

 信仰者として日々聖書の言葉によって養われること願う一方、長すぎる説教や難解な聖句が目の前にあると、どうしてもたじろいでしまう。しかしピーターソンの説教は、その障壁を取り除く。1日3分程度で読み切れるものが366日分記されており、聖書に親しむ上で助けとなる1冊である。

 著者は最後に、「聖書的な霊性」について「キリストにゆっくりと時間をかけて親しみ、聖霊に浸され、想像や契約に根ざし培われる」生き方であるとも述べる。これがまさに著者の説教の神髄であり、そのゆえに読者の霊性もまた豊かに育まれるだろう。

【2,750円(本体2,500円+税)】
【ヨベル】978-4909871862

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