【書評】 『禅と福音』 来住 英俊 他

宗教界の“異端児”同士がガチで語り尽くす仏教とキリスト教の神髄

 

 著者の一人である来住英俊神父の『目からウロコ』シリーズ(女子パウロ会)を読んで、曹洞宗のようだと思ったことがある。聖書を読む際に言葉の質感のみに意識を集中し、ひと言ひと言ゆっくりと読み進める。それが『心が疲れたらお粥を食べなさい』(幻冬舎)で紹介される、ひと口噛み終わるまでは次のひと口を食べない、噛むことに集中する曹洞宗の食事作法と似ていると思われたのである。
 しかし本書には「カトリックも曹洞宗もよく似ていますね」というような安楽さはない。ここで語られているのは「南直哉は何を考え抜いているか」であり、「来住英俊にとってカトリックとは何か」である。
 輪廻説を不要と言ってはばからない南の態度に、不快感を覚える仏教者もいるであろう。来住は正義のための武力行使や死刑を容認する発言をしているが、これに対して苛立ちを覚えるキリスト者も少なくないかもしれない。
 しかし、大切なのは南が「『あこがれ』の向こう側──あとがきにかえて」で語るひと言である。「来住神父が、たとえば『三位一体』の教義について、教義と自らの信仰のぎりぎりの狭間から言葉を発するとき、私はその考えの当否よりずっと、神父の言葉に対する態度に共感していた。それは自らの言葉に対する深い謙虚さとためらいである」
 不完全な自らを痛感しつつ、厳しい批判を引き受ける覚悟で、自らの言葉を公にさらす来住。そんな彼に南は打たれているのである。それは来住においても同様であろう。南は中立的な「仏教の代表者」として語っているのではない。来住の目の前には、赤裸々な南が対峙するのみである。
 本書はその文体において問いかけてくる。聞きたいのは他人の意見でない。あなた自身の言葉だと。

【本体1,900円+税】
【春秋社】978-4-39332-364-9

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