【書評】 『イエスとブッダ』 池田 久代 訳

 

生きた信仰の表現とは? カトリックを受容した禅僧の問い

 ベトナム出身、激戦のなか平和運動を続け、フランスへの亡命を余儀なくされた著者。ヨーロッパで暮らしながら、1992年にプラハで聴いた教会の鐘の音。彼はそこに、少年時代の仏教的原体験である「水の滴の音」を聴く。そこから浮かび上がるのは、禅僧がカトリックを、自らの文脈において受容する姿である。

 カトリックと禅宗とに共通の本質を見出すというこの体験は、例えば宗教学者が両者を「中立」の立場から観察し、共通項を洗い出すというような研究作業とは異なる。著者はカトリックに深い理解を示しつつも、あくまで禅僧であり続ける。禅「から」見たカトリックなのであって、その逆ではない。だから禅宗とカトリックとの比較論ではないし、語られるのは仏教全体とキリスト教全体でもない。

 彼が「聖霊を育てる」という表現を用いるとき、キリスト教の伝統的教理に照らしてためらう必要はない。著者の人生という文脈においてそれを読み味わい、彼がそこに体験したマインドフルネス(気づき)に思いを馳せる。それが彼にとっての、生きた信仰の表現だからである。むしろ読者には自分にとって、今、ここで、生きた信仰の表現とは何であろうかと響き返ってくる。

 「マインドフルネス」については、ウ・ジョーティカ『自由への旅』(新潮社)もあわせて読みたい。

【本体2,000円+税】
【春秋社】978-4-39333-350-1

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