【映画評】 不服従と権威の崩壊 『ミスター・ランズベルギス』『新生ロシア1991』 2022年12月1日
1991年8月のソ連で起きたクーデターを、連日テレビで観つづけていた。それは御巣鷹山の墜落事故やベルリンの壁崩壊と並ぶ、子ども時代にブラウン管越しでみた世界の記憶の終わりに位置する。ゴルバチョフが失脚し、エリツィンが台頭する事変の勃発であった。のちTBS報道局の顔となる若き金平茂紀が、脇に市民の死体が積み上げられたモスクワの路上を歩みながら表情に悲壮感を漂わせ、うわずった早めの口調でロシア最高会議ビルをめぐり籠城した一般市民と軍部との壮絶な対峙を伝えていた。
『新生ロシア1991』は、2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻当初にみせた孤高の振る舞いで世界の注目を浴びたウクライナ人監督セルゲイ・ロズニツァの2015年作であり、モスクワでソ連8月クーデターが勃発した1991年8月19日当日からクーデター失敗に終わるまでの数日間における、レニングラード(現サンクトペテルブルク)の人々を映しだす。モスクワからの公共放送が静止画でひたすら「白鳥の湖」を流し続ける前後不覚の状況下、自由に目覚め始めた人々のみせる当惑と興奮。報道が伝えなかった文化首都レニングラードにうねる熱気。宮殿広場に集う群衆のエネルギーはまもなく時代を急変させる。広場の群衆が誰からともなく片腕を空へ伸ばし、皆黙してVサインを掲げてあたりが無音に包まれる終盤のカットへ。
またロズニツァの新作『ミスター・ランズベルギス』では、一介の音楽学教授がリトアニア独立気運の先頭に立ち、ゴルバチョフと斬り結びエリツィンと対峙する。ソ連軍によるリトアニア首都ヴィリニュスへの侵攻、国連演説での勇壮、1991年独立へ。そう、本作ではまさに『新生ロシア1991』と同じ1991年8月19日のリトアニアで何が起きていたか、のち初代国家元首となる男が何を考え、どう行動したかを如実に映しだす。それはウクライナのゼレンスキー大統領が、インターネットを通じ言動の逐一を世界と共有するのとは真逆の軌跡を描く。のちソ連を民主化へ導いた解放の使者のようにも扱われるゴルバチョフが抑圧的に振る舞い、市民を恫喝する。「私はミスターではない、ミスターなどソ連には存在しない」とゴルバチョフは憤る。ここで作品タイトルが大写しとなる。「同志」とは対照的に、「ミスター」は西側世界の指向性を具える政治家を揶揄気味に指し示す符牒であった。
『ミスター・ランズベルギス』中盤では、首都への軍事侵攻に対しリトアニア側市民・公人らが非暴力を貫く姿が映しだされ、ランズベルギス当人の回想が挟み込まれる。ソ連邦検察庁の高官がリトアニアの新検察庁長官を認めないと宣言したその場では、「おめでとう。これでリトアニア検察はソ連検察庁には属さないとモスクワに認められた」と、リトアニアの検察官たちが一斉にその場を立ち去る光景さえ登場する。権力も権威も、誰も従わなければ機能し得ない。これほど鮮やかに〝不服従〟がもたらす効能を描く映像を他に知らない。本作をロシアによるウクライナ侵攻直前の2021年に仕上げたセルゲイ・ロズニツァ。キーウ郊外で起きた1941年のユダヤ人大虐殺を描く『バビ・ヤール』が現在全国順次公開中でもあるこの監督の炯眼と、膨大な映像アーカイブの渉猟編集術には毎度ながら驚かされる。
(ライター 藤本徹)
『ミスター・ランズベルギス』 “Mr. Landsbergis”
公式サイト:https://www.sunny-film.com/mrlandsbergis
2022年12月3日公開
『新生ロシア1991』 “Sobytie” “The Event”
公式サイト:https://www.sunny-film.com/theevent
2023年1月21日公開
【関連過去記事】
【映画評】 〝群衆〟の鮮烈、沈黙とそのリアル。 セルゲイ・ロズニツァ《群衆》ドキュメンタリー3選『国葬』『粛清裁判』『アウステルリッツ』 2020年11月21日
【映画評】 ルーシの呼び声(3)『アトランティス』『リフレクション』『ナワリヌイ』《特集上映:ウクライナの大地から》 2022年7月6日
【映画評】 ルーシの呼び声(2)『チェルノブイリ1986』『インフル病みのペトロフ家』『ヘイ!ティーチャーズ!』『ドンバス』ほか 2022年5月20日
【映画評】 ルーシの呼び声(1)『ひまわり』『親愛なる同志たちへ』『金の糸』『潜水艦クルスクの生存者たち』 2022年4月16日
【本稿筆者による関連作品別ツイート】
『新生ロシア1991』🇷🇺
ソ連でクーデターが起きた’91年8月19日。レニングラード(サンクトペテルブルク)では、宮殿広場に集う群衆が時代を変えるうねりと化していた。
モスクワの公共放送が白鳥の湖を流し続ける前後不覚の下で人々がみせる当惑と興奮。報道が伝えなかった文化首都の熱気に圧倒される。 pic.twitter.com/MRFtM4c9mV
— pherim (@pherim) January 9, 2023
『ミスター・ランズベルギス』🇱🇹
圧巻。
一介の音楽学教授がリトアニア独立気運の先頭に立ち、ゴルバチョフと斬り結びエリツィンと対峙する。
ソ連軍の首都侵攻、国連演説の勇壮、’91年独立へ。これを’21年に仕上げたロズニツァの炯眼と、毎度ながら膨大な映像アーカイブの渉猟編集術に驚かされる。 pic.twitter.com/fLeRXTKGmq
— pherim (@pherim) November 8, 2022
『国葬』
スターリンの死。
葬儀に集う共産圏各国の指導者や、群衆をなす個々人がふと漏れ見せる仕草や表情。プロパガンダの意図から外れたそれら人間群像の煌めく片鱗を、セルゲイ・ロズニツァが現代へ鮮明にすくい上げる。
内に戦ぐ混乱への予兆と怯え。
“1953年3月5日”が放つ超重力に戦慄する。 pic.twitter.com/7YgwZoJ9b1— pherim (@pherim) October 30, 2020
『粛清裁判』
スターリン独裁初期の1930年、クーデターを企てた“産業党”疑惑で8名が裁かれる。
セルゲイ・ロズニツァが掘り起こす映像は、当局捏造の「事実」を演じる被告らと法曹人、傍聴し糾弾する群衆の顔たちを淡々と映しだす。白々しさと滑稽さの後ろ手で息を潜める、大粛清の兆しに震撼する。 pic.twitter.com/jdWtFkgzAg
— pherim (@pherim) November 11, 2020
『アウステルリッツ』
惨劇を記憶する場で人は集団ごと、順路通りに歩み進む。牢獄、ガス室、焼却炉。
ガイドが導く群衆の、全きリアル。スマホで話し続ける女、カメラを構える男、ボトルで遊びだす少女、空を見あげる少年。奥向こうに響き始める、ナチス“後”からの呼び声。ただ見据える視線の沈黙。 pic.twitter.com/AMtGGC99p6
— pherim (@pherim) November 13, 2020
『ドンバス』“Донба́с”🇺🇦
ロシア側フェイクニュース撮影現場に始まる本作の、
紛争下ウクライナで製作された圧倒的解像度。捕虜への市民の私刑、地下シェルターの怨嗟、政治家と宗教団体の賄賂授受etc.
ハイブリッド戦争の諸相をクリミア以降の日常景として活写する、ロズニツァの胆力に震撼する。 pic.twitter.com/IrIGl7qBr2
— pherim (@pherim) May 14, 2022
『バビ・ヤール』“Babi Yar. Context”🇺🇦
ロズニツァ新作は、1941年9月ナチス占領下キーウ郊外の窪地で、ユダヤ人3万超が2日の間に虐殺された事件を追う。
ヒトラー歓迎ムードと独ソ戦の凄惨から、ソ連勝利後の人民裁判、公開処刑の熱狂と埋め立て後の静寂まで、全編アーカイヴ映像の衝撃は言絶の域。 pic.twitter.com/ly6lKqXipn
— pherim (@pherim) September 6, 2022