【映画評】 教皇という孤独 『旅するローマ教皇』 2023年6月2日
教皇となり南米アルゼンチンからバチカンへ入った男の旅路へ、北アフリカの独立戦争下エリトリアからイタリアへ脱出した男が随伴する。就任後の9年間で実に53カ国を訪れた教皇フランシスコの〝旅〟へ焦点化する映画『旅するローマ教皇』でジャンフランコ・ロージ監督は、みずから教皇の旅をカメラに収める一方で、バチカンより提供された500時間もの記録映像からひと筋の流れをすくい上げ、一篇の物語へと編み上げる。その最終パートに置かれるのは、一人きりで身を屈め一心に祈りを捧げる、これまで公にされることのほとんどなかった教皇フランシスコの強い孤独を捉えた映像である。
2019年の長崎・広島訪問を含む世界各地への旅路の中でも、本作が特に重点を置くものに2013年のランペドゥーサ島訪問、および2021年の中東歴訪がある。ロージ監督は、バチカンを内包するローマの都市郊外を舞台とする2013年作『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』で、ドキュメンタリー作品としては初めてヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を獲得した。教皇のランペドゥーサ島と中東への訪問は奇しくも、そのロージ監督が『ローマ環状線』の後、ランペドゥーサ島の難民模様を描いた2016年作『海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~』から、中東各国を撮る2020年作『国境の夜想曲』へ至る道のりに重なるものであった。
『海は燃えている』は導入部で、難民船からのSOS無線が伝える危機的状況がもたらす混沌とした騒擾と、島民側の清潔で静謐な生活空間とを対比的に描くが、この導入部映像とSOS無線の壮絶な声音とが『旅するローマ教皇』冒頭ではそのまま使用され、ロージ監督の作品履歴と教皇フランシスコの足跡とが互いに地続きであることが強調される。
また『国境の夜想曲』の取材地域には現在進行形の紛争地も多く含まれ、その美的に洗練された映像を批判の対象とする映画評は、公開直後少なくなかった。紛争や惨事を美しく描くことへ反倫理性さえ見出すこうした批判についてロージ監督は、しかしジャンルとしての〝ドキュメンタリー〟に対する偏見を鋭く読みとり、こう語る。
「ドキュメンタリー映画では、手ブレした荒々しい映像こそリアルだと高く評価される一方、例えばキューブリックの劇映画が美しいことを理由に酷評されることなどあり得ない。自身の重点はジャンルの別ではなく映像言語そのものにあり、この意味ではある記者が書いた《ロージ作品は戦争の悲惨を作品の内へ永遠に留めた》という評価が最もしっくりくる」
こうした監督の姿勢は、『旅するローマ教皇』にもブレなく当てはまる。製作期間中に起きたロシアのウクライナ侵攻によって、本作の構成は大幅な再考を迫られ、結果として終幕部ではフランシスコの祈りうずくまる姿が長回しで映し出され、祈りの言葉がしずかに囁かれる。「カインの手を制止なさったように、我らの行為を阻みたまえ、とどめたまえ」。それは冒頭部において、神への祈りを叫んで途切れるSOS無線の名もなき男の声音と見事に呼応する。
2014年にドンバス地方で紛争が勃発して以降、教皇フランシスコは事あるごとに世界各国で戦争の危険を警告してきた。にも関わらずそれはまた起き、フランシスコは苦悩を深める。ロージ監督は本作で、ローマ教皇の宗教面ではなく、政治的側面を捉えたかったと語る。世界のどの政治家にも不可能な仕方で政治的に活動するひとりの人間としての教皇フランシスコ。本作のすべては、明るく陽気な人柄で知られる現教皇が終幕で見せる、孤独の相へと集約される。それはイエス・キリストと一体となる喜びとはまた別の次元で現象する、社会的存在として唯一無二の「ローマ教皇」という役割を引き受けた者の孤独である。
(ライター 藤本徹)
『旅するローマ教皇』 “In viaggio”“In Viaggio: The Travels of Pope Francis”
公式サイト:https://www.bitters.co.jp/
2023年秋、Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下、新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー
*「イタリア映画祭2023」(東京会場:2023年5月2日~5月7日@有楽町朝日ホール、大阪会場:2023年6月10日~6月11日@ABCホール)で特別上映。
*ジャンフランコ・ロージ監督へのインタビュー記事は2023年秋ごろ掲載予定。
【関連過去記事】
【映画評】 ルーシの呼び声(2)『チェルノブイリ1986』『インフル病みのペトロフ家』『ヘイ!ティーチャーズ!』『ドンバス』ほか 2022年5月20日
【本稿筆者による関連作品別ツイート】
『旅するローマ教皇』🇮🇹 ✈️
教皇となり南米からバチカンへ入った男の旅路へ、紛争下エリトリアからイタリアへ脱出した男が随伴する。
ジャンフランコ・ロージ監督の眼差しは、就任後9年で53カ国を訪れた教皇フランシスコの熱意と陽気さの奥向こうに、唯一無二の政治性を引き受けた者の孤独を捉える。 https://t.co/VrU54JtL8I pic.twitter.com/JxmzKyUZZl
— pherim (@pherim) May 31, 2023
『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』。ローマを囲う大環状道路の周縁で暮らす人々。そこには観光都市ローマのイメージからはほど遠い、汗臭くも異様な人間模様が展開され。まとまらない人生の切り取られたディティールたちを、淡々と覗き見る90分。https://t.co/LYqOfk1VrC
— pherim (@pherim) September 8, 2014
『海は燃えている』
島民の数を超える難民が毎年漂着しつづけるチュニジア沖の伊領ランペドゥーサ島。『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』監督ジャンフランコ・ロッシによる、島民の日常と難民の窮状との並置。その視線が孕む隔てなさの慈悲と残酷。https://t.co/iPV8cvIQmd— pherim (@pherim) February 9, 2017
『国境の夜想曲』“Notturno”
ジャンフランコ・ロージ監督新作。
同監督名作『ローマ環状線』から『海は燃えている』の地中海経て混迷の中東へ上陸した質感は、しかし暴力と死の気配漂うその場所で、例えばパトリシオ・グスマンの静謐さとは真逆の軋みをあげる。超越でなく拮抗を選び続ける映像美学。 https://t.co/GWu4j5fRBa pic.twitter.com/0PuRIbxpWr
— pherim (@pherim) February 8, 2022
『ローマ法王になる日まで』
初のアメリカ大陸出身である現ローマ法王フランシスコの若き日に焦点を当てた本作は、社会主義政権と軍事独裁がせめぎ合った南米現代史全体をも広く照らし出す。神父らの暗殺へと先鋭化する弾圧と、ドイツ留学や辺境部教会における内面の格闘とがみせる描写の振幅は鮮烈。 pic.twitter.com/A25fZ2DUQM— pherim (@pherim) June 1, 2017
『ドンバス』“Донба́с”🇺🇦
ロシア側フェイクニュース撮影現場に始まる本作の、
紛争下ウクライナで製作された圧倒的解像度。捕虜への市民の私刑、地下シェルターの怨嗟、政治家と宗教団体の賄賂授受etc.
ハイブリッド戦争の諸相をクリミア以降の日常景として活写する、ロズニツァの胆力に震撼する。 pic.twitter.com/IrIGl7qBr2
— pherim (@pherim) May 14, 2022
『メルテム 夏の嵐』
ギリシャ系主人公とアラブ系&アフリカ系からなるフランス人トリオが、レスボス島でシリア青年と交錯する物語は、難民漂着の常態化を背景としつつ若者ゆえの葛藤と甘美さを捉えて巧い。義父の遺伝子講演や、老人の語る渡り鳥の逸話が映す今日を走り抜ける、青春の弾丸的一回性。 pic.twitter.com/nzw7UgTFWj
— pherim (@pherim) June 24, 2020
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