【映画評】 すべては絡まり、時が流れる 『ポンペイ、雲の下に生きる』 2026年10月3日

バチカンからナポリへ。
教皇に密着し、日々の礼拝から各地への歴訪まで随行、500時間を超える記録映像と格闘し前作『旅するローマ教皇』を完成させたジャンフランコ・ロージ監督が、次に着目したのはナポリであった。監督新作がカメラを向けるのは、より正確にはヴェスヴィオ山の火山灰によって育まれたカンパニア平原に流れる時間と人の営みである。ナポリとポンペイはこの平原の海際に、ちょうどヴェスヴィオ山を挟む形で位置している。
博物学者プリニウスは、友人の歴史家タキトゥスへ宛てた手紙の中で、西暦79年ヴェスヴィオ火山大噴火の模様を仔細に伝えている。「噴煙には白い部分もあれば、黒や茶の縞もあるのは、土や灰の混じり具合の違いだろう」
はじめ曇天下のヴェスヴィオ山全景を映したあと、プリニウス書簡の朗読から映画は始まる。朗読のあいだは劇場廃墟の内部が映し出され、観客席前方の舞台上に設えられたスクリーンには、噴煙をあげるヴェスヴィオ山のモノクロ映像が映り込んでいる。私たちの視線はこうしてジャンフランコ・ロージの魔術により、過去の人間たちが放った視線への同一化を映画の開幕直後に完了する。
ネアポリス。古代ギリシア人によりこの地へ新たな植民都市が建てられた際、人々はそう呼んだ。しかし「新しい(Nea)都市(Polis)」を意味するネアポリスという語感からただちに想起されるものは、例えば筆者の場合、ローマ時代の劇場跡や地中に眠る古代遺跡群など、むしろ図抜けた古さのほうであったりする。土地を掘れば「新しさ」を名に冠する古代の町へとたどり着く、それがナポリだ。
深淵なる地下遺構。捜査される墓泥棒のトンネル網、東京大学考古学研究室の発掘現場。沈黙と闇が支配するこれら地下景を映す一方で、同時並行的に映画は現代ナポリ市民の暮らしの騒擾を、もっぱら緊急コールセンターにかかってくる電話の声を通して描写する。地震による火山噴火の可能性に怯える女性、火事が起きたと嘘の通報を試みる幼女、酒乱の夫に襲われているというSOSの声。
墓泥棒はこの地でローマ時代から暗躍し、地中には彼らの掘った非合法のトンネルが今なお無数に張り巡らされ、その多くは誰にも知られず長年放置されている。捜査のため地中へ潜るベテラン検事が、盗掘跡で嘆息する姿は印象的だ。この流れから、東京大学関係者による日本語会話が突如流れ出す展開は初め奇異に感じられるが、不思議なもので繰り返されるうち慣れてしまう。ナポリに住み込んで撮影を始めたロージ監督と東大考古学チームとの出会いは偶発的なものだったようだが、膨大な時間をかけて掘り進むというよりミリ単位で土砂をさらうような彼らが見せる度を越した繊細さは、監督の撮影対象との距離感に相通じるものがある。
ナポリ市民の日常が、こうして緊急電話センターの忙しなさと地底世界の静けさを通し相対化され、ヴェスヴィオ山の威容がその全体を睥睨する。かたや港湾では、タンカーでウクライナから運ばれた小麦を、シリア人の労夫が荷揚げする。労夫は携帯電話で遠隔地の妻から問われる。「ウクライナに戻らずナポリに留まれないの?」。それはできないと答える労夫の重い声に、ウクライナとシリアの紛争を思わされる。労夫が背をもたせかける鉄壁上方の小窓からは灰空が覗いている。運び出された小麦が倉庫天井部のダクトから放出され、床に巨大な黄土色の山を築いていく。小麦の山へヴェスヴィオ山の輪郭がオーバーラップし、場面は次へと移行する。すべてが絡まり、時は流れる。ジャンフランコ・ロージ監督の構成力に、あらためて恐れ入る。観ている私たちが座る劇場廃墟もまた、同じ時間のなかにあって今この瞬間にも朽ちていく。
この監督が、今回ナポリへ着目した意味を考える。『旅するローマ教皇』を撮り終えたあと、ジャンフランコ・ロージはナポリへ移住し、本作の撮影に3年をかけている。2013年に『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』でヴェネツィア映画祭金獅子賞を獲り世界的名声を手にして以降、この監督のドキュメンタリー手法は作品ごと観る者を驚かせ、あるいは批判にさらされてきた。同作ではローマ郊外の殺伐とした都市景と、富裕とは言えない一般市民の暮らしにスポットを当てることで、「ローマ」という言葉から人々がイメージするものと現実のローマとのギャップを精細に描き、注目を浴びた。
つづく2016年の『海は燃えている』では、イタリア最南端のランペドゥーサ島で島民の日常を仔細に撮る一方で、アフリカ大陸から到来する難民ボート周辺の事象を並置し、穏やかさと危機、安定した暮らしと明日もわからない混沌を鋭いコントラストで描き出した。2020年の『国境の夜想曲』では、ほぼ同じ手法でイラクからシリア・レバノンへまたがる中東を舞台に撮ったが、「紛争地を美しく撮る」ことに疑問をもつ反応も少なくなかった。
しかし、その後2023年作『旅するローマ教皇』を経て本作までの全体を見渡すと、ロージ監督の撮影意図は初めから一貫し、その手法を作品ごとに段階を上げ、研ぎ澄ませてきたことがうかがえる。まず言えるのは、ジャンフランコ・ロージは映画監督であっても、「ドキュメンタリー映画」の監督ではないということ。ここでかぎ括弧を付けたのは、大戦後のフランスで生まれた制作手法シネマ・ヴェリテや米国で始まったダイレクト・シネマ以降に一般化した「ドキュメンタリー映画とは荒れた手ブレ映像などによる緊迫感のあるリアルへ肉薄すること」という世間の思い込みこそに、ロージ監督は抗ってきたからだ。(上掲監督インタビューにて詳述)
「紛争地を美しく撮ってはならない」という偽の撮影倫理もここに生じるし、ロージ監督が歩もうとしているのはむしろロッセリーニやヴィットリオ・デ・シーカら社会を直に眼差したネオレアリズモ潮流を顕著な手本とする、イタリア映画メインストリームの一つなのだと言える。そう考えてきた時、本作の舞台に南イタリア最大の都市圏を選んだ意味の深さが見えてくる。ローマ帝国を突き抜け古代ギリシア都市ネアポリスへ連なる時間軸をもつナポリもまた、ローマ教皇やランペドゥーサ島がそうであるように現代イタリアの極と位置づけられる。これら一つひとつの野心的達成の果てに、いわば複数作品へまたがる大長編『イタリア』の実現を夢見ている。その先には『地中海』があり、『世界』がある。筆者にはそのように予感される。
盗掘調査のため地底へ降りる検事正を追う、印象的なシークエンスがある。コンクリートで固められた20世紀のトンネル坑の側壁が大きく崩れ、煉瓦壁が覗いている。調査官が、「これはブルボン朝時代の掘削工事跡です」と説明する。そのすぐ脇の天井には人の肩幅ほどの穴が開いている。盗掘者の出入り坑だという。少し離れた斜め上方にも穴があり、それはローマ期の明かり取り窓だと調査官が説明する。トンネル壁に開く大穴を見上げて、「ブルボン朝、現代、古代ローマ期……」と検事正がつぶやく。
ローマ時代の彫像が大量に収蔵された一室を映す別のシーンでは、中年の女性研究者が解説を加える。「これらは暴力的なナポリ取り壊しの犠牲者たちです。元あった場所で有していた諸々の文脈を離れ、ここでは密集しながら孤立している」。再開発を担う者にとっての資本主義世界の必然が、歴史を重視する彼女の眼には「暴力的な取り壊し」としか映らない。そう気づかされる時、心象の内で、狭く暗い空間に凝集させられる彫像の群れが、コンテナへすし詰めにされ国境を越える難民や移民の苦難に姿を変える。

古代世界でも豊かな穀倉地帯として知られたカンパニア平原。郊外の都市化に伴う耕地減少によって輸入への依存度を深めたその海際の港湾にいま、ウクライナから小麦を積んだ船が着く。この情勢変容が、遠くの妻を想いウクライナへの帰還を思うシリア人労夫をこの地へ到らせたこの連なり、数千年を隔てた人と穀物の流れが、ロージ映画のなかで思いがけず重なりゆく。
あるいは別の場面、古びた学習塾のようなスペースで、自習する子供らにいま膝上で開いている本の題名を尋ねられ、眼鏡をかけた老人は答える。
老人「レ・ミゼラブル(直訳:悲惨な人々)、君たちのことだよ」
男児「ふふ、僕にはとても読み切れないよ」
老人「じゃあ、また来週な」
男児「またね」
本作が映すのは、古代から様々に変わりつづけながらも途切れることのない、ヴェスヴィオ山の麓に流れる時間と人の営みだ。噴火で町が壊滅しても、戦争で艦砲射撃に遭った時代を経ても時間はそこに流れつづけ、人はそこに暮らしつづける。上空からヴェスヴィオ山が見つめつづける。その豊穣。その雄大さ。
(ライター 藤本徹)
『ポンペイ、雲の下に生きる』Sotto le nuvole
公式サイト:https://www.bitters.co.jp/pompei/
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【本稿筆者による関連作品別ツイート】
『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』。ローマを囲う大環状道路の周縁で暮らす人々。そこには観光都市ローマのイメージからはほど遠い、汗臭くも異様な人間模様が展開され。まとまらない人生の切り取られたディティールたちを、淡々と覗き見る90分。https://t.co/LYqOfk1VrC
— 土岐小映⚓️ρꛅᘿ𖦪ﺃ ʍ (@pherim) September 8, 2014
『海は燃えている』
島民の数を超える難民が毎年漂着しつづけるチュニジア沖の伊領ランペドゥーサ島。『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』監督ジャンフランコ・ロッシによる、島民の日常と難民の窮状との並置。その視線が孕む隔てなさの慈悲と残酷。https://t.co/iPV8cvIQmd— 土岐小映⚓️ρꛅᘿ𖦪ﺃ ʍ (@pherim) February 9, 2017
『国境の夜想曲』“Notturno”
ジャンフランコ・ロージ監督新作。
同監督名作『ローマ環状線』から『海は燃えている』の地中海経て混迷の中東へ上陸した質感は、しかし暴力と死の気配漂うその場所で、例えばパトリシオ・グスマンの静謐さとは真逆の軋みをあげる。超越でなく拮抗を選び続ける映像美学。 https://t.co/GWu4j5fRBa pic.twitter.com/0PuRIbxpWr
— 土岐小映⚓️ρꛅᘿ𖦪ﺃ ʍ (@pherim) February 8, 2022
『旅するローマ教皇』🇮🇹 ✈️
教皇となり南米からバチカンへ入った男の旅路へ、紛争下エリトリアからイタリアへ脱出した男が随伴する。
ジャンフランコ・ロージ監督の眼差しは、就任後9年で53カ国を訪れた教皇フランシスコの熱意と陽気さの奥向こうに、唯一無二の政治性を引き受けた者の孤独を捉える。 https://t.co/VrU54JtL8I pic.twitter.com/JxmzKyUZZl
— 土岐小映⚓️ρꛅᘿ𖦪ﺃ ʍ (@pherim) May 31, 2023
『ローマ法王になる日まで』
初のアメリカ大陸出身である現ローマ法王フランシスコの若き日に焦点を当てた本作は、社会主義政権と軍事独裁がせめぎ合った南米現代史全体をも広く照らし出す。神父らの暗殺へと先鋭化する弾圧と、ドイツ留学や辺境部教会における内面の格闘とがみせる描写の振幅は鮮烈。 pic.twitter.com/A25fZ2DUQM— 土岐小映⚓️ρꛅᘿ𖦪ﺃ ʍ (@pherim) June 1, 2017
『メルテム 夏の嵐』
ギリシャ系主人公とアラブ系&アフリカ系からなるフランス人トリオが、レスボス島でシリア青年と交錯する物語は、難民漂着の常態化を背景としつつ若者ゆえの葛藤と甘美さを捉えて巧い。義父の遺伝子講演や、老人の語る渡り鳥の逸話が映す今日を走り抜ける、青春の弾丸的一回性。 pic.twitter.com/nzw7UgTFWj
— 土岐小映⚓️ρꛅᘿ𖦪ﺃ ʍ (@pherim) June 24, 2020
















