【映画評】 ルーシの呼び声(4)『戦場0地点』『プーチンの愛国教室』『さよなら、私のロシア』『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』 2026年8月31日

 ウクライナでの戦争が、その長さで第一次世界大戦を超えた。

 ロシア軍との荒野の攻防。わずか2000メートルの焦土を進むために費やされる大量の弾薬、ドローン兵器、そして命。映画『戦場0地点』は、今日の塹壕戦を体感させられる、戦場ドキュメンタリーの極北だ。間近の穴に潜む敵兵と罵り合い、突撃し、誰かが散る。今この瞬間この地上で進行するリアルの凄絶。

 元AP記者のミスティスラフ・チェルノフは、本作を撮るべく最前線で戦うウクライナ軍第3強襲旅団へ従軍する。プレス標識など付ければ狙われるだけという状況下で兵士らと行動を共にし、敵の襲撃に反応し塹壕へと瞬時に飛び込む。報道がしばしば伝える戦況地図は、ロシア軍とウクライナ軍の一進一退の攻防を伝えるが、その現場で実際なにが行われているかを想像するのは容易でない。3年前の前作『マリウポリの20日間』で、外国人ジャーナリストが一斉退去したロシア占領下の戦地に残って撮影を続けたこの監督だけが可能とした、アンドリーウカ村への道程2000メートルを収めた映像。言うまでもなくチェルノフ監督のような行動を、報道各社はどこも記者らへ要求できない。『戦場0地点』は紛れもなく、現下の戦場最前線を撮る唯一無二の達成となった。

 ロシア軍が全面侵攻をかけ、マリウポリなどクリミア以東の黒海沿岸を占領した当初、メディアや有識者の大半が戦争の早期終結を予想したことも第一次大戦を想起させる。日本の国内世論を含め、この長期化をあたかも日常事として受け入れている風潮こそが、コロナ禍以降の異様に加速化する世界変容を象徴するようでもある。そうしたなかにあっても時計の針は律儀に歩を進める。人間は着実に歳を重ねる。子どもはぐんぐん成長する。異常事態しか知らずに育った子どもにとっては、異常な世界こそが正常となる。

 映画『プーチンの愛国教室』では、ロシア片田舎で小学校の教員青年が、ウクライナ侵攻を機に変わる教育現場を撮り続ける。民間軍事企業ワグネルから派遣された傭兵たちが、体育館で機銃や地雷を手に語る姿を真摯に眺める女子生徒の横顔に、いずれ〝戦時中〟の記憶を孫へ語るお婆を想像し肝を冷やす。この21世紀に。昭和の話ではなく、きょう現在も現にくり返される光景の救いがたさ。本作を映画祭へ出品し、一般館上映へとつなげた教員青年は当然ながら、国外からの助力もあり出国済みだ。イオセリアーニやパラジャーノフ、タルコフスキーら、かつて各々の事情は異なる仕方でロシア語による名作映画を撮った監督の多くが、貴重な活動期の歳月を削る形で投獄ないし国外生活を余儀なくされたソ連時代をも想い起こさせる。あるいは亡命せざるを得なかったモフセン・マフマルバフやジャファール・パナヒら、映画大国イランに生まれたなお現役の巨匠たち、欧米圏や台湾や日本へ逃れた香港映画人たち。大戦期から百年を経ても、世界は何も変わっていないではないか。

 人は何も変えられないのか。天候異常にAI進化、急速な通貨安に移民社会化。すべてが変わりゆくようでありながら、望むようには何も変えられていない。そのような虚しさを覚える一方、おのが意思により流れに抗う試みとして、なお映画製作を決断する人々がいる。ソ連内務省のテレビスタジオで記者としてキャリアを始め、ロシア国営放送の看板キャスターとなったジャンナ・アガラコワは、ロシア軍によるウクライナ南東部侵攻後の2022年3月、国家から授与された勲章を返還のうえ辞職、フランスへ亡命する。『さよなら、私のロシア』は、プロパガンダの尖兵であることへの逡巡から亡命への決断へ至る過程を家族間の生々しい関係描写とともに伝える、あまり前例のないスタイルで撮られたドキュメンタリー傑作だ。

 なかでも『さよなら、私のロシア』の白眉は、イタリア人の夫の提案で始めた、家族3人によるロシア横断旅の一幕だ。『収容所群島』で名高いロシアのノーベル賞作家ソルジェニーツィンは、ソ連崩壊により母国での名誉回復および市民権回復がなされたのを機に1994年、米国からウラジオストクへ渡り、シベリア鉄道を軸にロシア全土を横断する旅に出る。本作監督のジャンナ・アガラコワは、夫ジョルジオと娘アリーチェの3人でほぼ同じルートの旅を敢行し、出身地キーロフと勤務地モスクワの外側に横たわる世界最大の国土と、植民地主義的抑圧下に置かれたままそこに棲まう非白人民族の過酷な暮らしへ直に触れる。自身の培ってきた母国ロシアのイメージを大きく更新するその旅で根づいた違和感が、やがてプーチンの断行によって爆発する。

 国家運営に仕えるエリート特派員として長らくパリへ住み、国連取材や大統領選取材で訪れるニューヨークを好んできたジャンナにとって、権威主義体制の振る舞いに疑問はあっても自らをそこに至らせ、家族との暮らしの基盤ともなっているロシア国家に背くことなど本来考えがたい。Getty Imagesのフォトジャーナリストでもある夫ジョルジオは、パリ育ちでフランス語やイタリア語も母語とする娘アリーチェとその母ジャンナが度々くり広げる衝突も、間近で映像に収め続ける。本作をより素晴らしいものとしているのは、そうして数百時間に及んだ素材映像を編集するにあたり、ジャンナを故郷キーロフから送り出した実母との関係性を召還してくる“語り”の巧さである。ソ連時代の地方で生きる女性の不自由さから娘ジャンナだけは解放させたいと願う母の目線が、孫にあたるアリーチェを眼差すジャンナのそれに自然と重なる。

 自らの目線が、時を隔てた実親のそれへと重なることでほどけるものがある。戦争の後遺症との関わりでこの心の修復作用を描く近作として、塚本晋也監督新作『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』がある。ベトナムであまたの命を奪った元アメリカ海兵隊員の、帰還後の闇と光を描く本作の主要人物のひとりとして、リリー・フランキーの演じる日本人男性が登場する。主人公である元米兵のベトナム訪問実現を手伝うこの日本人男性は、ベトナム中部ダナンで現地の人々を前に喋ることへ直前まで戸惑う主人公に対し、「あなたの苦しむ姿をみて、戦争から帰ってきた父がなぜあんなにも暴力的に豹変したのかようやくわかった」と打ち明ける。

 ソビエト連邦もベルリンの壁も健在であった1989年初夏に公開された塚本晋也の初期作『鉄男』は、文字通りに世界を驚かせた。そこで描かれたのは、戦後の高度経済成長を経たバブルの狂瀾下で近代合理性とテクノロジーに支配されゆく人間の肉体的恐怖そのものだったが、この極限状況で変容しゆく狂気の具現化を貫徹する塚本の映像感覚は、こののち日本軍の南方戦線を描く『野火』や終戦直後の闇市を描く『ほかげ』へ発展的に引き継がれる。PTSDに苦しむ元海兵隊員を襲うフラッシュバックの閃光が、生還後の道行きの陰翳を深めるその漆黒こそ〝鉄男〟の基調であった闇を継ぎ、〝野火〟や〝ほかげ〟の先鋭性を突き抜ける極太の仕上がりに圧倒される。

 対岸の火事では、あり得ないのだ。見たくないもの知りたくないことを、自らと関わりのないものと見做すその目線こそが、無自覚にしても目を背けるという積極的な選択のうえに成り立つことを、塚本晋也監督の作品履歴は静かに語りかけてくる。たとえば江戸末期の寒村を舞台とする2018年作『斬、』で塚本は、池松壮亮演じる主人公をスカウトする剣の達人を自ら演じる。大義を掲げるこの達人が最期に露わにするのは人間の愚かさであり、それは『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』で精神療法家が明らかにする主人公の心奥に潜む暴力の根源と、精確に同じ輪郭を描いている。

 すでに平和になったベトナムの市民の前でなお「ネルソンさん」は、どうして話さねばならないのか。リリー・フランキーの演じる日本人男性が、その理由を体現する。肉親の視界を想像し、そこに映り込む己の姿に気づくこと。ウクライナ兵と塹壕越しに罵り合うロシア兵は、あの教員青年が映像に収めた誰かかもしれないということ。同じ光景に、あるいは別の意味を与えることもできるということ。戦場の0地点は、どこにあるのか。それはなにもウクライナの荒野や、ガザの瓦礫の内にのみ横たわるのではないということ。中国奥地や南洋の孤島や黒海沿岸の前線と、戦後の経済都市の片隅とはこの意味で直に連なっているということ。これら命懸けの、渾身の一作一作を、そのように受け取ることができるということ。孫娘に語る老婆の時間を、いつかあなたも共有する可能性があるということ。放送局のスタジオを映すテレビ画面に、地平線を見渡す長距離列車の車窓に、小学校の体育館に、映画館の観客席に、それは広がる。

(ライター 藤本徹)

『戦場0地点』2000 Meters to Andriivka
公式サイト:https://unpfilm.com/senjyo/
2026年9月4日(金)より全国順次公開。

『プーチンの愛国教室』Mr. Nobody Against Putin
公式サイト:https://transformer.co.jp/movie/mrnobody/
2026年10月3日(土)より全国順次公開。

『さよなら、私のロシア』A Little Gray Wolf Will Come
公式サイト:https://littlegraywolf.jp/
2026年11月14日(土)より東京ユーロスペースほか全国順次公開。

『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』Mr. Nelson, Did You Kill People?
公式サイト:https://nelsonsan.jp/
2026年9月11日(金)kino cinéma 新宿ほか全国順次公開。

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【本稿筆者による関連作品ポスト】

©Allen Nelson/KODANSHA

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