【この世界の片隅から】 第二次世界大戦後の台湾教会の発展とその様相 王 政文 2026年10月11日

 第二次世界大戦の終結後、台湾のキリスト教にとって最も重要な課題は、戦争による傷跡から立ち直ることであった。日本統治時代から台湾で活動していた主要なキリスト教団体、すなわち台湾基督長老教会(以下、長老教会)、真耶穌教会、聖潔〔ホーリネス〕教会などは、占有されていた教会財産の返還、停止していた集会や礼拝の再開に追われる一方、神学校や自ら運営する病院、学校などの施設の再建にも着手した。

 戦後、中国大陸から台湾に渡り、最も早く伝道を始めたのは、アメリカ南部バプテスト教会であり、1948年、上海で辺疆会伝道委員会を開催し、楊美齋牧師を台湾に派遣して伝道の可能性を調査させた。同年には、中国神召会〔アッセンブリーズ・オブ・ゴッド〕の霍賡詩牧師も台湾で宣教活動を始めた。さらに、1949年には、倪柝聲〔ウォッチマン・ニー〕の聚会所(召会)も台湾に伝わった。これらの中国大陸から渡ってきた教派は、当初こそ小規模であったものの、その後の台湾キリスト教の多様な発展を支える基盤となった。

 1950年代は、台湾のキリスト教が急速に拡大した時期である。この「黄金時代」の到来には、国民党に従って台湾へ移住した人々の存在が少なからず関係していた。故郷を離れ、失意と先行きへの不安を抱えた人々の多くが、心の空白を埋めるために、自然とキリスト教会へ足を運ぶようになったのである。この時期には、宣教団体、信徒数、神学校のいずれも急増した。信徒数は1948年の5万1千人から1960年には22万人へと増加し、神学校は2校から10校に、宣教団体は4団体から33団体にまで増えた。

 数多くの教派・教会の中でも、特に目覚ましい発展を遂げたのが長老教会と、一般に「小群」あるいは「聚会所」と呼ばれる召会であった。とりわけ長老教会は、1954年から1964年にかけて展開した「教会・信徒数倍加運動」を経て、約8万人の信徒を擁する台湾最大の教派となった。同じ時期、召会の信徒数も台湾のキリスト者全体の15%を占めるようになった。

 「倍加運動」は、戦後の台湾キリスト教界における重要な伝道運動であり、1954年に長老教会の南部大会によって始められた。この運動では、信徒による「三献運動」、すなわち「献心・献金・献工」(心を献げること、金銭を献げること、労力を献げること)が重視された。また、社会の変化に応えるため、職場伝道、学生伝道、沿岸地域での医療伝道団など、新たな働きも開拓された。倍加運動によって、短期間のうちに教会数と信徒数の倍増が実現した一方、伝道者の不足や、信徒の育成が十分に追いつかず、信仰の質が低下するといった問題も生じた。

 さらに、この時期には、台湾教会における「国語教会」と「台湾語教会」という二つの系統が形成され始めた。もともと台湾で伝道していた長老教会は、主として「台湾語」を使用していた。ところが1949年以降、中国大陸から多くの宣教師が台湾へ移ってきた。彼らは大陸を離れた後も華人社会での宣教を希望しており、台湾が新たな活動の場となったのである。これらの宣教師の多くは「国語」〔いわゆる「北京語」〕しか話せなかったため、彼らが設立したのも、主として国語で礼拝する教会であった。また、国民党に従って台湾へ移住した人々も、自然と国語教会の礼拝に参加する傾向があった。

 こうした背景のもと、台湾の教会には「国語」と「台湾語」という二つの系統が自然に形成され、教会共同体が言語と文化の面で分かれ始めたのである。

 1960年代末になると、国民党政府による台湾統治が安定し、アメリカの経済援助もあって台湾経済が飛躍的に発展する中、社会環境は大きく変化した。人々の生活が次第に安定し、物質的な豊かさを追求する一方で、心の必要にはあまり目を向けなくなったため、教会は新たな信徒を迎えることが難しくなり、既存信徒の信仰への熱意も次第に薄れていった。さらに、工業化の進展によって人口移動が加速し、大量の農村人口が都市へ流入した。その結果、農村教会では多くの信徒が流出し、深刻な打撃を受けた。

「倍加運動」のスローガン「集会には進んで参加する/礼拝は敬虔な心でささげる/絶えず祈り続ける/聞いた御言葉を実践する/言葉と行いを正しくする/真心をもって献げる/信仰を守るために聖書を学ぶ/常に信仰の証しをする」

 この時期には、台湾教会の発展に伴うより根深い問題も、次第に表面化した。その一つが、宣教団体と現地教会との間に摩擦が生じたことである。台湾経済の発展と国際政治情勢の変化に伴い、台湾の教会は、宣教団体や外国人宣教師による管理からの脱却を次第に望むようになり、両者の関係は悪化していった。西洋の宣教団体も台湾から撤退し始めた。

 また、すでに台湾で活動していた宣教団体の中にも、傘下の教会の自立を宣言するところが現れた。例えば、アメリカ・メソジスト教会総会は1972年、台湾メソジスト教会の完全な自立を宣言している。

 1960年代以降、各教派は信徒の増加と教会の発展を目指して、さまざまな伝道集会を開催し、教会成長計画を策定したものの、その成果は限られていた。例えば、国語教会のバプテスト教会では、10年間の信徒数の増加が約500人にとどまった。また、台湾語教会の代表である長老教会でも、10年間で聖餐にあずかる信徒数が増えるどころか、かえって減少した。これとは対照的に、召会や真耶穌教会に代表される教派は、顕著な成長を遂げた。

 1980年代以降、台湾のキリスト教は緩やかな成長を続ける新たな時期に入った。同時に、その様相は一層多様で複雑なものとなり、現在に至っている。1987年12月、台湾のキリスト教諸教派は共同で「2000年福音運動」を展開し、積極的な伝道活動を推進した。この運動は、北米のフラー神学校における世界宣教の取り組みから影響を受けたものであり、台湾教会の若い伝道者の中には、同神学校の卒業生が数多くいた。「西暦2000年福音運動推進委員会」の統計によれば、1990年1月から10月までの間に、台湾では教会が約200カ所増え、教会総数は2,800を超えた。1991年には、信徒総数が44万3,996人となり、当時の台湾の総人口2,040万人の2.18%を占めた。また、教会数は2,927に達した。

 1990年代以降、台湾の教会は、世界的なキリスト教のカリスマ運動(ペンテコステ派の再興など)の影響を受けるようになった。礼拝の形式は絶えず刷新され、「聖霊」の働きが強調されるようになったのである。この時期には、霊的体験を重視する教会が急速に発展した。とりわけ霊糧堂は著しく成長し、その教勢は国語系教会の最大教派であるバプテスト教会に迫るほどとなった。

 1990年7月に設立された「中華基督教福音協進会」には、台湾の主要教派の指導者や諸機関の代表が結集した。これは台湾キリスト教史上、前例のないことであった。長老教会までもが「2000年福音運動」に参加したことは、「かつてない協力」と評された。「2000年福音運動」は、「信徒200万人、教会1万カ所、宣教師200人」を目標に掲げ、1990年3月から2000年12月まで、台湾全土の教会で教会刷新と福音宣教の拡大を推進した。

 戦後の台湾プロテスタント教会の発展を振り返ると、当初の脆弱な基盤からの回復と再建に始まり、1950年代には中国大陸からの移住者の流入による急速な成長と、国語教会・台湾語教会という二つの系統の分化が進んだ。続く1960年代末には、社会経済や国際政治情勢の変化に伴い、教会が抱える根深い問題が表面化し、宣教団体と現地教会との関係も悪化した。そして1980年代以降は、緩やかな成長を続ける一方で、カリスマ運動の影響が強まり、教派を超えた協力関係が一層緊密になっていった。

 このように、台湾キリスト教の歩みは、常に台湾社会の変化と密接に結びついてきたのである。(原文:中国語、翻訳=松谷曄介)

王 政文
 おう・せいぶん 国立台湾師範大学歴史学博士、東海大学歴史学部教授、同学部長。専門は台湾史、台湾キリスト教史。特にキリスト者の社会ネットワーク・改宗プロセス・アイデンティティーの相関関係を研究。著書に『天路歴程:清末台湾基督教徒的改宗与認同』(2019年)など。

【この世界の片隅から】 「日本ホーリネス教会」から「台湾聖教会」へ 王 政文 2026年4月21日

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