教会は何を歌い、何を歌わなかったのか 日本賛美歌学会 第26回大会で戦争と賛美歌を考える 2026年10月17日

日本賛美歌学会(江原美歌子会長)の第26回大会が10月17日、青山学院青山キャンパス(東京都渋谷区)で開かれ、約80人が参加した。テーマは「戦争と賛美歌――今、この時代、この時に何を歌うのか?」。主題講演では川瀬麻衣氏(キリスト教礼拝音楽学会理事)が、アジア・太平洋戦争期の賛美歌集の成立事情や教会での使用実態を検証し、従来知られていなかった『讃美歌戦時版』の編纂資料を紹介した。
川瀬氏は、戦争が賛美歌に及ぼした影響を、出版物としての変化と歌詞・曲の変化に分けて説明。紙やインクが不足する中、1931年版『讃美歌』の599曲を大幅に減らした『讃美歌時局版』が1943年6月に発行された。1931年版から232曲、1941年刊行の『青年讃美歌』から39曲の計271曲を選び、判型もB7判に小型化。初版と再版で計1万6900部を発行したが、現存するものは少なく、刊行自体を疑問視する文献もあった。
川瀬氏はそうした記述を精査する中で、別の『讃美歌戦時版』が企画されていたことを突き止めた。フェリス女学院大学所蔵の讃美歌委員会関係資料に、1943年7月30日付の議事録が含まれていた。1931年版の400、500番台196曲から24曲を候補とし、うち10曲が日本人の作品だった。『青年讃美歌』の新曲53曲からも32曲を選び、「キャンプ」「ハイキング」は外す一方、「送別」「謝恩会」などは残した。川瀬氏は、全体で100曲程度、1931年版の約6分の1に縮小する構想だったと推定。刊行には至らず、企画だけで終わったとみられる。
一方、歌詞や曲にも戦時体制への対応が求められた。1943年6月発行の『興亜讃美歌』は、日本人による作詞・作曲の新曲36曲を収録し、短歌朗詠曲7曲も含まれる。序文は新時代にふさわしい歌集の必要性を説き、日本人キリスト者自らが詞と曲を作るよう求めた。川瀬氏は当時の「音楽は軍需品である」という考え方に言及し、国家主義・軍国主義に応じた編纂だったと指摘。「大東亜建設」「大東亜共栄圏の歌」「世界維新の歌」などを収録し、儒教や道教、仏教の要素を取り入れた曲や、出征する家族を送り出す女性の姿などを描いた歌詞もあった。

『興亜讃美歌』の奥付
川瀬氏が各地の教会週報を調べたところ、実際に礼拝で歌われていた使用例は極めて少なかった。1943年の安藤記念教会での出陣学徒のための特別礼拝や札幌北光教会などに記録がある一方、戦時色の強い集会でも使われない例があった。特高警察の記録には、賛美歌集の必要性を疑問視する牧師の発言が残り、戦後にも歌詞や曲になじめず礼拝ではほとんど歌われなかったとの評価もある。
講演の結びでは、社会情勢に応じて生まれた賛美歌が時代とともに歌われなくなる一方、形を変えて歌い継がれる曲もあるとし、時局への対応と普遍性の間にあるジレンマを示した。

午後は世界各地の賛美歌を歌う「平和を歌う」と研究発表2題を実施。宮前咲楽氏は「日本のキリスト教主義の保育現場における賛美歌歌唱の実態と課題」と題し、幼稚園や保育所など14園の調査結果を報告。使用が確認された163曲のうち、過半数の園で共通して歌われる10曲はすべて1991年以前の作品だった。歌詞に表れる子どもの主体性にも注目し、現代の子ども観に即した選曲や新たな賛美歌の必要性を指摘した。
吉澤和海氏(日本基督教団いずみ教会主任担任教師)は「部落解放と賛美歌――1963年度の教会一次史料分析から」と題して発表。被差別部落への宣教をルーツとする同教会の週報を分析し、佐治良三牧師による選曲を検証した。『讃美歌』516番「主イェスを知りたる」が部落解放運動の「よき日のために」という理念と響き合う一方、原詩にない「いやしき身をさえ」という表現を含むことを指摘。賛美歌が持つ抑圧と解放の両面を踏まえ、現代の教会が何を歌うべきかと問いかけた。
















