「イエスは国家の道具ではない」 米神学者がキリスト教ナショナリズムに警鐘 2026年6月27日

米誌「クリスチャニティ・トゥデイ」編集主幹でコラムニストのラッセル・ムーア氏=写真=は5月20日、米国の建国250周年を前に広がる宗教的ナショナリズムを批判し、「米国に必要なのは、キリスト教ナショナリズムよりも優れた福音だ」と訴える論考を同誌に発表した。
論考の題は「米国に必要なのは、キリスト教ナショナリズムよりも優れた福音」。5月17日に首都ワシントンのナショナル・モールで開かれた全国祈祷集会「リデディケート250」を受けて執筆された。集会には政治家や福音派の指導者らが参加し、ドナルド・トランプ大統領も映像で登場して、旧約聖書の歴代誌下7章を朗読した。
ムーア氏によると、集会では「米国」「神」「悔い改め」「刷新」「神のもとの一つの国」といった、米国の市民宗教において繰り返されてきた言葉が並んだ。
特に取り上げたのが、歴代誌下7章14節の「私の名で呼ばれている私の民が、へりくだって祈り、私の顔を慕い求め、悪の道から立ち帰るなら、私は天からそれを聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの大地を癒やす」という聖句だ。
この箇所は、米国の「神と国家」を掲げる集会で頻繁に引用されてきた。しかしムーア氏は、これを「米国民が公の場で信仰心を示せば、神が国家を再び偉大にしてくれる」という約束として読むことはできないと指摘する。
同箇所で「わたしの民」と呼ばれているのは、現代の特定国家の国民ではなく、神との契約の中に置かれた民である。また聖書全体では、神の臨在、契約、犠牲、王権、祝福と呪いは、イエス・キリストにおいて成就すると説かれているという。
ムーア氏はさらに、旧約聖書に登場する北王国イスラエルの王ヤロブアムを例に挙げた。ヤロブアムは国民が南王国のエルサレムで礼拝することを政治的な脅威と考え、ベテルとダンに金の子牛を置き、独自の祭司と礼拝制度を設けた。
ヤロブアムは宗教を廃止したのではない。むしろ神にまつわる象徴や言葉を、国家の統一と自身の政治的支配にとって「役に立つもの」へと作り替えた。ムーア氏は、この姿勢に現代の宗教的ナショナリズムとの共通点を見る。
同氏は、宗教的ナショナリズムの問題は、国家のためにキリスト教へ多くを求めすぎることではなく、「キリスト教にも国家にも、あまりに少ないものしか求めていないことだ」と論じる。
国家は「神」「信仰」「価値観」といった言葉を利用することができる。しかし、十字架につけられ復活したイエス・キリストは、国家の計画を正当化する象徴やマスコットにはならない。イエスは人々に、国家の目標への服従ではなく、「私に従いなさい」と呼びかけるからだ。
ムーア氏は、米国が福音を受けるに値する国だと主張しているのではないと強調する。福音は国家や個人の功績によって与えられるものではなく、恵みによる神の賜物である。その上で、国家的な集会で語られる宗教的メッセージではなく、キリストを中心とする本来の福音こそが米国には必要だと結んだ。
米国特有の政治状況を背景とした論考だが、宗教的な言葉や聖書の教えが、国家、政党、政治指導者を正当化するために利用されていないかという問いは、日本のキリスト教会にとっても無縁ではない。
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