【伝道宣隊キョウカイジャー+α】 もし異性愛者差別の世界だったら キョウカイグリーン 2018年6月11日

 昨年の本紙クリスマス号(2017年12月25日付)で紹介したLGBTカップルの洗礼式が先日、わたしたちの教会で行われ、晴れてわたしたちと同じ教会員となった。「同性愛者を教会員にするのか! 聖書を読んでいるのか! 教会の堕落だ!」という声もあるだろう。

 前述の号にも書いたが、レビ記に「女と寝るように男と寝てはならない」とあるが、レビ記のすべての戒めを今日守ろうと教会はしているかというとそうでもない。

 新約を見てもローマ1章で同性愛の否定のように読める箇所もあるが、この箇所は偶像礼拝との関係で述べられているのだから、他宗教の神殿男娼との関係があり得る。性の売り買いそのものが(同性/異性にかかわらず)問題であるのだから、単純に同性愛の否定とも言えない。

 Ⅰコリント6章のリストで同性愛の否定のように訳されている二つの単語(そのうちの一つがⅠテモテ1:9で使われる)も、お金で性を搾取する意味であったり、意志の弱い者の意が転じての訳語であったりで、それらを根拠に同性愛の否定とも言いにくい。

 同性愛者を理解するために、SF的な逆転の寓話を次に記す。

 朝起きたら、知らない街にいた。同性愛者が圧倒的多数の街だ。どうなっているか分からないが、子どもは同性愛のカップルのもとに生まれ、異性愛のカップルには生まれない。わたしが異性を好むと言うと、ぎょっとした顔をされ、とても汚れたものを見るような目で見られた。それ以来、わたしは決して自分が異性を好きであることは決して口にしなかった。同性で集まるとどんな同性が魅力的かと話に花が咲くが、話にまったくついていけない。とはいえ、ニコニコするしかなかった。

 同性愛者は堂々と結婚ができた。子どもも授かり、家庭にぬくもりがあるように見えた。しかし、異性愛者のわたしは結婚ができない。法的に無理だし、異性と恋人のように歩いているなら汚いものを見るかのような反応ゆえ、社会が受け入れてくれない。仮に異性愛者のパートナーがいたとしても、結婚できず家族になれないのだから、パートナーが生命に危険がある病状でも病院で「面会は家族だけ」と言われたら面会ができない。

 葬儀でも遺族から「異性愛者のあなたは家族ではない」と言われれば、遺族の席に座れない。パートナーの遺産を相続するなら、公証人役場で公正証書を10万円ほどかけて作成しなければならない。同性愛者なら婚姻届だけでOKなのに。子どもが授かることもできない現実の中、パートナーとの関係も社会的に認められないため孤独を深める。

 以上が逆転の寓話(同性愛者にとっての実話)。異性愛者の皆さん、生まれながら異性が好きなのに、それゆえに社会から排除されたらどんな思いだろうか。社会の無理解が同性愛者を孤独に追い込んでしまっている中、教会は彼らに対し、門を閉ざすのか。それとも門を開くのか、が問われている。

 教会役員会でLGBTについて語り合った時、「教会員に性的関係を求めなければいいのでは」「教会内で性行為をしなければいいのでは」という声が出て愕然とし、「それは異性愛者がやっても問題じゃないですか!」と語気を荒げてしまった。偏見・無理解とはこれからも向き合っていくことのようだ。門を開いていくにもいろんな苦労がある。ゆっくりと前進していきたい。

キョウカイグリーン
 緑方定助(みどりかた・じ ょうすけ)地域のパパ友・ ママ友との交流が広く、日々育児日記をつづってい る育児系ブロガー牧師。何よりも 愛する家族を最優先し、困ったら一目散に逃げる。息子・承太郎といつも一緒。 武器:共感イヤー/必殺技:宣言アタック/弱点: 妻

【伝道宣隊キョウカイジャー+α】 同性愛者の友となる キョウカイグリーン 2017年12月25日

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