【映画評】 『テルマ』 蛇の飛翔、雛鳥の夢 Ministry 2018年11月・第39号

 北欧の雪深い森の中、凍りついた湖面を父と幼い娘が歩む。木々の狭間に現れた1頭の鹿を狙い、父は白い息を吐き猟銃を腕に構える。父の前に立つ娘は、固唾を呑んで鹿を見つめる。すると銃口がおもむろに、娘の後頭部へ向けられる。鹿は去る。彼は撃てない。娘は振り返り、父を見つめる。

 戦慄するほど美しいこの冒頭部から始まるノルウェー映画『テルマ』は、その終幕まで観る者の五感を奪い続ける。信仰心に厚く束縛の強い両親の元を離れ、進学を機に都会へ出た主人公テルマは、新たな友人たちに囲まれ解放感に浸りきる。生真面目な彼女の硬い表情が、次第に柔和になる様子が繊細に映し出される。初めて知る夜遊びの愉楽、激しいビートと煌めく光に身をゆだね踊る快楽、ある奔放な女友達へ向けた想いの高まり。

 とりわけ印象的なのは、意表を突くタイミングで幾度か挿入される蛇のカットだ。旧約・新約のいずれでも蛇は悪と偽善の象徴として描かれる。テルマの体を蛇は這い進み、首筋にからみつき、唇をこじ開け彼女の体内へ侵入を果たす。一見それは酒やドラッグなどの堕落や同性愛という宗教的禁忌への誘惑を表すようでありつつ、同時にキリスト教徒としての敬虔さを押しつける両親へ抗うべく、心奥から抜けでたテルマの代弁者のようでもある。

 父の銃口に続き、テルマの癲癇発作という〝謎〟を次に映画は示す。原因不明の唐突な痙攣は、洋の東西を問わず古来「神憑き」として畏れられ、共同体内へ異言を持ち込む宗教的異能者の証とされてきた。両親による過度の干渉は、宗教が担った包摂機能の衰微を放置し排斥性を強める世の潮流からわが子を守るための、個人にできる最大限の防衛行動だったとわかる。

 映画はここから、幼少期の記憶の欠落をテルマが疑い始め、死んだと聞かされていた祖母が精神病院で生存する事実を知り、恋人の失踪へと向き合う過程を描いていく。鋭い対決と犠牲の受容を経た、緩やかな恢復と不意の覚醒。オールドタイプとも言える物語を骨格として、ヨアキム・トリアー監督は類稀な感覚体験を仕掛けて未知の水準へと本作を昇華させた。自己喪失に勝る恐怖はあり得ず、ゆえに過去の己との決別を描く成長譚こそホラーの極北なのだという凄味。

 ちなみに蛇と並んで多く登場する鳥の場面について、トリアー監督はヒッチコック『鳥』へのオマージュだと明言する。そういえば聖書における鳩と同程度に、カラスは北欧神話中の最重要アイコンの一つだった。『テルマ』は鳥瞰目線により群衆の行き交う広場を映して終わる。この終幕に、魂の凍るような震撼を覚えずにいられない。天空からのまったき視線は、地を這う人間たちが気儘に認ずる個別性を嘲笑い、無言のままに教え諭す。本作が見せるのは他の誰でもない、あなたの物語なのだと。(ライター 藤本徹)

 YEBISU GARDEN CINEMA、ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて公開中。

監督 ヨアキム・トリアー/出演 エイリ・ハーボー、カヤ・ウィルキンス/配給 ギャガ・プラス
2017 年/ノルウェー・フランス・デンマーク・スウェーデン/ 116 分/カラー
公式HP https://gaga.ne.jp/thelma/

 

「Ministry」掲載号はこちら。

【Ministry】特集「信仰と暴力~『オウム事件』とは何だったのか」 39号(2018年11月)

©PaalAudestad/Motlys

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