【映画評】 『あまねき旋律(しらべ)』 なぜあなたと歌うのか Ministry 2018年11月・第39号

 インド北東部の辺境州ナガランドで、人々になお歌い継がれる労働歌。即興的に変化する彼らの和声は、耕される土くれや渓谷にそよぐ風、畦に沿って流れる水の立てる音と妙なるアンサンブルを奏で続ける。詩情豊かなそのポリフォニーは、鷹揚に外来のキリスト賛美歌をも取り込み滋養とする。『あまねき旋律』は、この現代になお歌が自然と一体であるという奇跡の光景を捉えたドキュメンタリー秀作だ。

 ナガランド州はバングラデシュより東にあり、ミャンマーと境を接する。70年続く独立運動へのインド政府軍の弾圧により多くが失われたが、衣装や建築にみるナガ族の伝統的意匠もヒンドゥー的というよりは、同じモンゴロイド系の台湾原住民やネイティブ・アメリカンによほど近い。

 また、1870年代に始まった米国の宣教団体によるキリスト教布教が功を奏して住民の9割がキリスト教徒となり、バプテスト教会が主流の州となっている。この様は映画においても、丘上の豪壮な聖堂へ人々が集う場面に反映される。「賛美歌をも取り込み」と先に書いたが、逸話を多く残す宣教師E・W・クラークをはじめ初期の牧師たちは、ナガ族の音楽への親和性に伝道の糸口を求めたとも言える。固有の和声を伴う賛美歌の調べは、独自の発達を遂げたゴスペルであるにもかかわらず、どこかポリネシアやメラネシアなど太平洋島嶼部のそれを想わせる。

 さて本作で歌われる旋律の素晴らしさを、精確に言葉で表すのは難しい。なぜなら例えば「労働歌」という言分けの仕草さえも拒むほどに、〝リ〟と呼ばれる多声様式による彼らの歌は存在の全体だからだ。農作業の協働単位となる〝ムレ〟というグループの発する声音は、耕作する個別の身体運動に内的なリズムを与え、仲間のリズムへと共鳴して内外の隔たりを架橋し疲労と孤独とをつかのま遠ざける。言葉にした途端ややオカルトめいてしまうこうした効能を、しかし個人化され効率化された現代日本社会を生きる私たちもまた、伝統的祝祭やコンサートなど非日常の場を通じてわずかに知るはずだ。ナガ族の人々はそれを日常として暮らす。近代化により世界から失われつつある身体性が、ここになお息づいている。

 本編の中盤では、3人の男が和声を奏でながら棚田の一段に鍬を入れる光景が、不動の俯瞰カメラによりワンショットで、実に10分近くにもわたって豊かに映し出される。働く身体器官の底から湧き起こる調べが棚田の重なる山肌へ艶やかにこだまして、スクリーンのこちら側にいる観客の生理にすら直に響く。

 映画の終盤、一日を終え焚き火を囲んだ〝ムレ〟の男がつぶやくように歌い出す。すると女たちが各々の仕方で感情を乗せ歌へ加わってゆく。ふと零れ落ちるように旋律の溢れ出るとき、そこには確たる合理も自他の別もなく、ゆえに個の営みとはもはや言えずただ歌だけがある。そのあり方は、祈りにも近い。(ライター 藤本徹)

 全国順次公開中。

監督 アヌシュカ・ミーナークシ、イーシュワル・シュリクマール/製作 ウ・ラ・ミ・リ プロジェクト/配給 ノンデライコ
2017年/インド/83分/カラー
公式HP  http://amaneki-shirabe.com/

 

「Ministry」掲載号はこちら。

【Ministry】特集「信仰と暴力~『オウム事件』とは何だったのか」 39号(2018年11月)

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