『教会のマネジメント』発刊記念 対談「教会の明日を考える新たな視点」より 2020年2月3日

 1月24日に出版された『教会のマネジメント 明日をつくる知恵』(キリスト新聞社)より、第3部の対談「教会の明日を考える新たな視点」から一部抜粋してご紹介します。

マネジメントをめぐる誤解

島田 「経営」や「マネジメント」というと、何となく企業のものだというイメージがあります。現実に私も、大学へ入る際に経済学部と経営学部がありましたが、経営学部は企業のお金儲けの勉強だなと思い(笑)、それではスケールが狭いからと考えて経済学部に入りました。でも実際はそうではなく、授業で経営学を学んだり、NPO や教会に関わるようになると、企業ばかりでなく、行政であっても、非営利組織、教会であっても、経営は大事な仕事なのだと気がつきました。そして、組織はどうすればより有効に目的を果たしていくことができるか、組織の維持・運営・発展のためにはどんなことができるかと考えるようになりました。

 そういう意味で、例えば高齢者へのケアをどうしたらいいか、どんなイベントをしたら地域の方々が集まっていただけるだろうかなど、現実にマネジメントそのものをやっているわけです。でも、教会にはマネジメント=「組織が大きくなるための手段」という思いがあって、教会にはなじみがないばかりか、むしろそれはやるべきものではないという誤解さえあったと思います。かつては私もそのように考えていたかもしれません。

 しかし教会も、自分たちに与えられたミッションを達成していくためにはどうしたらよいかということを、少し体系的に考えてみることが大事ではないでしょうか。私は企業において、成果を客観的な数字で問われるような部門にいました。うまくいっていなければ、否応なくマネジメントを工夫して実践しなければならない現実がありました。教会も、誰もがそこで生きる意味を感じ、自分の居場所になっていくことができ、広くミッションの実現に役立っていくようなあり方を考えることがマネジメントだと思うんです。このことをぜひ多くの方に、特に牧師やリーダーの方々に理解していただきたいと思います。

――教会では、なぜマネジメント的な発想が受け入れられてこなかったのでしょうか。

濱野 経営というものを考えるときに、日本にしても世界にしても、自己拡大をしていくための手段であって、聖書の物語と相容れないと直観的に感じるというのがいちばん大きい気がします。イエスは後回しにされた人たちと極めて非効率的に生き、最後は十字架に架かっていくわけですが、ある意味で教会の現場も、教会によりますが、イエスのような非効率的な部分はあるように思います。

 私が最初にいたのは宮城県仙台市の礼拝出席数9、10 人という小さな教会でしたが、とにかく目の前のことをやるしかない、礼拝をして訪問してと、マネジメントも何もありませんでした。教会は経営とは関係ないというような思いはありましたし、そういう感覚のある牧師は少なくないのではないかと思います。ただその中で、若く神学校を卒業したばかりの牧師として一生懸命働くわけです。チラシを配ってみたり、特別集会をやってみたり。小さな教会ですから謝儀もそれほど高くありませんので、ミッションスクールで教えたり……。やたら忙しいし疲れるけれど、その割には目に見えた形での成果がそうそう上がらないわけです。自分はいったい何をやっているんだろうと思いました。もしかして、やらなくていいことまでやっているのではないかと。

 当時、私自身が宣教論や教会の運営に関していちばん最初に取り組んだのは読書会です。ドロテー・ゼレの『神を考える』という神学書を牧師仲間と読みました。ドロテー・ゼレは極めて社会的な神学者ですが、ケリュグマ、コイノニア、ディアコニアについて書いていて、教会でいったい何をしているか、その意味とは、何か偏っていないか、ということを言葉にしてくれていました。自分が何をしているのかが言葉になると、やる元気も出てくるわけです。やらなくていいことはやらないし、本当にやらないといけないことだけをやる。また、方法に関しても今はこれをやる、その後はこれをやると整理していく。小さな教会で牧師をしていたころに、この発想が生まれ、宣教論と教会のマネジメントに関心が向き始めたのは確かです。

 その後、日本バプテスト連盟宣教研究所という、諸教会と牧師たちへの支援・研修を行う機関に職を得て、そこでさまざまな教会と出会いましたが、実際に多くの教会はいい意味でも悪い意味でも、自分たちの組織が明日も続くことのためだけに動いているのだとつくづく思いました。企業も含めて、人間の組織にはそういう側面もあるかもしれませんが、それではやがて高齢化して消えていく、いい意味でも悪い意味でも。ただ現実に、やたらと疲れる割には、渇いた思いしか残らない教会の人々も多い。ここを変えるためにはどうしたらいいかと考えて、アメリカに渡りました。アメリカには教会マネジメントを専門に研究している学者たちがいるからです。

 それまで日本に伝わってきたのは、神学抜きのノウハウか、あるいは神学だけで具体的な方法論がないものか、どちらかだった気がします。アメリカでも、もちろんさまざまな議論がありますが、極めて共感できて社会的にも開かれたドロテー・ゼレに似た考え方をもった研究者たちがいる。そういう中で、批判的に、教会が自己満足の場になるのは危ないと思いましたし、かつての自分のようにいくらがんばっても自分が何をしているかよくわからないと思っている牧師たちを応援することができれば、との思いで勉強しました。

 今は、ルカ福音書にある、コンツェルマンなどがいう「教会の時代」です。創造から始まり、イスラエルの時代があり、イエス・キリストの時代があり、そして今、我々が生きている教会の時代があり、やがて終末があるという、ごくオーソドックスな救済史観かもしれないその中で、我々がどこから来てどこへ行こうとしているのかを考えます。そこで、時代によって柔軟に形を変えながら有機的に進んでいく。教会の時代という物語の舞台の上で、今やらなくてはいけないこと、言うべきセリフを意識していきたいと思います。

 そういう意味でもマネジメント、ミッションをその時々の言葉にしていく。もちろん、ここは黙るときだ、何もしないときだと立ち止まる必要も意識する。これがわかると、ただいたずらにがんばって疲れ果ててしまうことから解放され、教会は元気が取り戻せるのではないかと思います。マネジメントというものを毛嫌いしてしまうのは、とてももったいないと思います。

島田 一人ひとりへの福音の伝道が基本であるとしても、そのためにたくさんの人を福音に招く機会を工夫することが大事だと思いますね。

――教会の受けとめはどうでしょうか。

濱野 昔ほどアレルギーはなくなってきた気がします。かつては教勢拡張主義だ、きわめて右寄りだ、教会派だ、福音派だと言われました。社会的なことに開かれた人たちからは、ノウハウなんてくだらないとか、聖書とは何の関係もないんだという声もあったと思います。しかし、社会運動をするにしてもNPO にしても、マネジメントが必要です。そうでないと、あっという間に無責任で自己満足なものになってしまうところがありますので、今は、福音派か社会派かというような区別は、トータルで見るとなくなりつつあるようにも思います。しかし同時に、そうだとしても、教派、教会によりますが、今また振り子が戻り始めているかもしれないと少し危惧しているところもあります。ただ全体としてはマネジメントに関心を持ち始めてくれているし、逆に、数を増やすことが至上命題だと思っていた教会が、果たしてそうだろうかと立ち止まって、やるべきことは何かと考え始めています。

 社会的な活動をしている教会のほうが数も増えることは、社会学的調査から言えそうです(113 頁「教会って何をやっているの?」参照)。けれども、数を増やすための手段として社会的なことをやるのでは、本末転倒になってしまう。そもそもイエスは、みんなと一緒にご飯を食べて、誰も友のいない人のところに行く、という素朴なところで働きました。これが本来の教会の姿なのだと理解してくれている人たちや、伝道だけではなく、奉仕、ディアコニアの要素も立派な教会の使命の一つなのだということを理解して受け入れてくれるところもあるので、あれかこれかといったことは少しずつ超えられている気がします。

島田 確かに、社会派か福音派かとセパレートしない流れは出てきているかもしれません。そして、教職の先生方も、運営全体のことを学ぼうという機運は出てきているかもしれませんね。ちなみに関西学院神学部では、教会経営論という講座があります。これはかなり早くから開講されていますが、濱野先生のおっしゃるようにマネジメントの重要性が意識されてきていると思います。

濱野 本当に大切なツールなので、何のために使うのか、どこの方向に行くのかが重要ですね。マネジメントという言葉は、ラテン語まで戻れば「手の業」です。手で、しかも馬を手なずけるという意味です。鞭ではなく手で馬を導いていく。どっちの方向に物語が行こうとしているのか、この道はどこに続いているのか、この馬はどこに行こうとしているのか、それさえはっきり見えて、つながっていると思えれば、安心して乗り出せると考える教会も増えていくだろうと思います。

 しかし、これが何のために使われるツールなのかをミッション抜きで語られてしまうと、恐怖でしょう。下手をすると教会を教会でなくしてしまうだけの威力も持ってしまうかもしれませんので、その恐怖はよくわかります。でも、望み、求めるべき方向で説明し、考えていく中で、少しずつ何かが変わってくるかもしれません。

マネジメントが必要な理由

――NPO はマネジメントというものに対してどういう受け取り方をしているのでしょうか。

島田 もともと教会と同じように、非営利組織でもマネジメントという考え方には疎遠であったと思います。一人ひとりの善意や努力がすべて、という傾向がありましたから。しかし今は、NPO 学会や非営利法人研究学会、国際ボランティア学会などにおいても、非営利組織をどう運営していくかというマネジメントに関する研究発表が盛んになってきました。やはり、非営利組織が成果を達成して自分たちが考えているミッションを達成していくためには、どのように事業を展開していくか、どのように人が働いてくださるか、そして財務的な基礎づけをどうするかという点がないと立ち行かないのが現実です。そういうことを体系的に考えて、個人の力を超えたものを創造していくためのマネジメントは、私たちに与えられた賜物だと思いますし、活用するようにしていきたいのです。

 キリスト教のミッションは2000 年間、まったく変わらないのですが、私たちが仕え、福音を宣教している社会や個人の状況は大きく変わっています。ですから、おそらくイエス様が今の時代におられたら、あのころとは違うやり方をなさるだろうと思います。私は企業の営業マンをやっていましたが、自分たちの持っているものは素晴らしいと説得するだけでは駄目で、顧客のニーズをしっかり捉えておかなければ営業は成り立ちません。教会も社会や人々のニーズをきちんと捉えて、それを教会のミッションと一体化させて提示することが大切です。そこに、2000年変わらない福音の喜びや満足を得ていただけるようにすることが、マネジメントにとって大事な原点ではないかと思っています。

濱野 ミッションとニーズが本来は共鳴するものだというのが信仰ですよね。何をもって人間は満足するのか、何が本当の人間のニーズなのか、それこそ人間とは何か、哲学でいろんなことは言われますが、キリスト者として思うことは、やはり人間とは何かということすら人間自身は知らず、真の人であるイエスの姿から、そしてイエスと共に生きた人々の姿から学んで選び取っているということです。「きっとあれが人間だろうし、あれが本当の満足であろう」と。

 そして、本当に人間を満足させるものは何なのかと言えば、ヘブライ語聖書までさかのぼる歴史の上に現れて、その社会の人々と共に生きたイエスの物語の延長線上にあるのだと。このことを、キリスト者は信じているわけです。この可能性にかけて教会を形成し、もしかしたらあなたにとってもそうかもしれませんよ、ということを訴えている感じです。

――非営利組織と教会の違いは何でしょうか。

島田 教会も非営利組織の一つですが、簡単にいえば、ミッションの中身が違います。私は、非営利組織であるYMCAや日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)でマネジメント奉仕をさせていただいてきましたが、ディアコニア(奉仕)としての働きが前面にあります。もちろん、それが伝道につながる可能性ももっています。教会ももちろんディアコニアを非常に大事にしていくわけですが、そこに伝道の働きがまず託されているといえます。そういうところが、非営利組織一般と教会との大きな違いです。しかし、マネジメント上の共通点はたくさんあると思います。

――教会のマネジメントが必要だと思ったのはそうした経緯からですか?

島田 率直に言って、非営利組織も一般的にはマネジメントは優れたものではなかったのですが、急速に改善ができてきています。そういう意味では、教会のマネジメントはまだ意識が十分ではないと思います。ミッションがもっと有効に伝わるように、マネジメントをみんなが理解して構築していくことが私たちに課せられた課題であり、なおかつ賜物でもあるのではないかという思いです。

――濱野先生のお話で小さい教会での経験があるとおっしゃっていましたが、教会の規模によってマネジメントは違ってくるのか。また、そもそも小さな教会にもマネジメントは必要でしょうか。

濱野 実感として違いはあると思います。数人の礼拝出席者でということであれば、それはマネジメントというよりは「牧会」と呼んできたものでしょうし、それに加えて何か新しいことをすることもないと思いますが、それでも、そこで人と人が向き合い、2人または3人が生きている以上、そして牧師が牧師として立たされている現実がある限りは、その役割は何かということは言葉にしていく必要はあります。聖書のミッションを今は何ほどか現実にさせてもらっていると思えることは嬉しいことです。逆に大きい教会の教会学校や聖歌隊のやり方を真似てみては「あれができてない」とか、あるいはリーダーシップにしても、少人数の場合はそんなに強いリーダーシップはいらないのに、「やはり牧師は強いリーダーにならなければ」と、妙に大きい声を出してみたりするの
は、やがて疲れ、むなしくなることかもしれません。

 自分自身を振り返っても、いくつかの教会を見てまわってみても、他の教会をモデルにしてマネジメントやリーダーシップのスタイルを模倣すると、やらなくてもいいことをやっているような徒労感だとか、あるいは、やらなくてはいけないことをやっていなかった、ということが生まれてくるケースがままある気がします。だから、何か新しいことをしなくてはいけない、変えなくてはいけないというのではなく「肩の力を抜いていい」、そして「できることがまだたくさんあるんじゃないですか」ということを伝えたいです。

――規模にもよりますが、監督制や会衆制や長老制など、教会の制度によっても通用するかどうか変わってくるような気がします。

濱野 そうですね、こういう議論はバプテスト教会では割と受け入れやすいと思います。そもそも牧師は一教会員であって身分ではなく職の名前ですから、自分の役割は何なのか理解しておかないと、ちぐはぐなことになってしまいます。


島田 恒
 しまだ・ひさし(関西学院大学客員講師・経営学博士)
 1939年兵庫県生まれ。神戸大学経済学部卒業後、株式会社クラレ入社。営業部長を務め90年に独立、 島田事務所を設立。 龍谷大学・大阪商業大学経営学部教授を経て現在、関西学院大学神学部客員講師。経営学博士。YMCA同盟、キリスト教海外医療協力会など多数のNPOに協力。日本基督教団芦屋西教会員。著書に『NPOという生き方』(PHP新書)、『新版 非営利組織のマネジメント』『「働き盛り」のNPO――ドラッカーに学ぶ「真の豊かさ」』(いずれも東洋経済新報社)など。

濱野道雄 はまの・みちお(西南学院大学教授・牧会学博士)
 1965年広島県生まれ。上智大学学部・大学院(修士)、西南学院大学学部・専攻科で神学を学ぶ。ドイツ・ハイデルベルク大神学部博士課程(新約聖書学)、アメリカ・太平洋神学校(牧会学博士)に留学。日本バプテスト連盟宣教研究所所長、日本バプテスト連盟東日本大震災被災地支援委員などを歴任。現在、西南学院大学神学部教授、日本バプテスト連盟鳥栖キリスト教会協力牧師。共著に『宣教ってなんだ?――現代の課題と展望』(キリスト新聞社)、『なぜ「秘密法」に反対か』(新教出版社)、『ゴスペルのぬるをあげて』(いのちのことば社)など。

【新刊】 『教会のマネジメント 明日をつくる知恵』 島田 恒、濱野道雄

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