【緊急インタビュー】 「死海文書」断片の発見をどう見る 手島勲矢×山森みか×加藤哲平 「見たことない写本がまだ眠っている」 2021年3月19日

 新たに発見された「死海文書」の断片。十二小預言書「ゼカリヤ」「ナホム」を含む「聖書」の発見について学者たちに話を聞いた。

手島勲矢(大阪大学OCデザインセンター招聘教授)
山森みか(テルアビブ大学講師)
加藤哲平(日本学術振興会特別研究員PD)

――「巻物」本文はギリシア語で書かれ、神名のみヘブライ語でした。

手島 アラム語の写本でも「主の名前」だけ古代文字で書いたものがありますから、その延長線上で考えられると思います。今回のもので『アリステアスの手紙』や、テルトリアヌスが『護教論』で言及していた「七十人訳聖書」の巻物について信憑性が出てきましたね。もちろん今回の発見は「律法」ではなくて「預言者」ですから、別の話ですが。

山森 現物を見ないと何とも言えませんが、今でも英語で書く時さえ「YHWH」と転写していますからね。結局、発音も分からないままですし。本当に「アドナイ」と読んでいたのか。まさしく「神聖四文字」問題ですね。

加藤 当時の一般的なギリシア語訳聖書である七十人訳では、神名のところは「主」を意味する「キューリオス」というギリシア語で言い換えられるのが普通です。しかし1961年に「恐怖の洞窟」で発見された「ナハル・ヘヴェル写本」*1は神名のみ古ヘブライ文字で書かれていました。今回発見された断片もこの特徴を持っていたこともあり、この断片はナハル・ヘヴェル写本の一部なのではないかと考えられるようです。

*1ユダ砂漠には有名なクムラン洞窟以外にも写本が発見されて遺跡群がある。「ナハル・へヴェル」はその内の一つ。

――セム語系の発音は異なる言語圏の人間には難しく感じますね。

山森 まさしく、音と文字の問題です。音については、たとえ発音が判明しても「神聖四文字」は訳せないのではないでしょうか。固有性の極みという表現も可能です。神名の翻訳については、イスラム教「アッラー」の場合も同様の問題を抱えているのではないかと思います。

加藤 神名が古ヘブライ文字で書かれているのは発音しにくいからではなく、あえて読まないことで神の名を貴んでいるんですね。ただ、一般的なこととしてヘブライ語の発音をギリシア文字で表現するのは難しそうですね。ヘブライ語の「アモラ」という地名が七十人訳では「ゴモラ」になっているのも、喉音のアインがそう聞こえたからでしょう。

――写本の学術的価値については?

手島 今回の発見はギリシア語の巻物です。「預言者」のギリシア語版は、大文字写本が冊子でしか残っていないので、とても示唆的で、古さと、ユダヤ人の感覚を伝えるものです。キリスト教以前の「聖書」的伝統を感じさせますね。

山森 60年前に見つけたのはベドウィンの子どもだったのですが、今回はIDF入隊前コースの若者も参加したプロジェクトであるところに、現代と歴史の移り変わりを感じますね。

加藤 今回の断片はすでに知られているナハル・ヘヴェル写本の一部と言われています。つまり本当の意味での新発見ではないですが、そもそもこの写本自体の学術的価値は高いです。というのも、この写本の聖書のギリシア語訳は七十人訳ではなく、よりヘブライ語に近い表現を目指した「カイゲ・テオドティオン訳」*2だと考えられるからです。この写本は紀元前1世紀くらいのものと推定されるので、ユダヤ教の内部にはキリスト教成立以前から、こうした「ヘブライ化」を目指すギリシア語訳の伝統があったことが明らかになりました。今回の断片はこの歴史的事実を裏付けるためのさらなる証拠となるでしょう。

*2「カイゲ・テオドティオン訳」は、最古のギリシア語訳聖書「七十人訳」の代わりに、よりヘブライ語原典に近い翻訳を目指して、ギリシア語を話すユダヤ教共同体でつくられたもの。後代の三訳(「アクィラ訳」「シュンマコス訳」「テオドティオン訳」)に先行する。

――また一つ、より古い聖書に関する情報が集まりましたね。

手島 クムランからは完全な巻物が出ていない、つまりタナハ(ヘブライ語聖書)の完成本が見つかっていませんから、完全な写本としては「マソラ本文」に依存します。単純に「1千年遡れる」という話だけには回収しないでほしい。もちろん断片から部分的に古いデータを得るメリットはある。

加藤 発見された断片はイスラエル古物局の研究者によって再構成され、予備的な分析をされていますが、それによると七十人訳とは異なった文言があることが分かったそうです。研究者たちはこうしたごく小さなテクスト上の差異に注目して、当時のパレスチナにおける聖書テクストの状況を明らかにしていきます。今回の発見も研究に大きく貢献してくれるのではないかと期待しています。

――文献学としては「古い」だけでは評価できないと。

手島 そう。本文批評は「古ければいい」わけではない。その点で、マソラ本文も巻物も、全体の形式を一番重んじていることが重要です。形式が揃っていてこそ「写本」になる。だから「写本」は好き勝手に作るものでなく、膨大な戒律法規を守って残さなくてはならないものです。それがユダヤの「聖書」ですから、クムラン洞窟から発見されたからオリジナルだ、という発想は文献学者はもたないと思いますよ。

――ヘブライ語の原本をたどり得る可能性について。

手島 「サマリア五書」をヘブライ語テキストの可能性として重んじる人たちもいますね。今回の発見は、あくまでもギリシア語の聖書に関するものです。だから原本というよりは、翻訳の位置付けに関して発見の価値があると思います。

加藤 今回のギリシア語訳の底本がどのようなヘブライ語テクストだったかを、訳文から原文を再構成して考えることはできるでしょうね。しかし、そもそも当時のヘブライ語テクストにもギリシア語訳にもいくつかの版が並存していたことが分かっていますので、「原本」というより、あくまでそうした版の一つがどのようなものだったかを垣間見ることができるということです。

――「聖書」とは何か。難しい問いですね。

手島 ユダヤ教が、なぜ巻物でトーラー(律法)を読んでいるのか。マソラ本文は冊子本ですから、彼らは使わない。つまり巻物での朗読に古代の正統性があるんです。今回の発見は、ギリシア語の翻訳も、そのユダヤの伝統の中にあった、とも言えますよね。厳密に年代を問うて、キリスト教以前の状況かを考えると、バルコクバの反乱に関する洞穴とですから何とも言えません。しかし、ギリシア語でも巻物で読んでいた点が、ユダヤ教徒の世界のあり方を示していると思います。

――「聖書」は巻物なのか冊子なのか。

手島 ユダヤ教の会堂におけるトーラー朗読の仕方、その古さを失ってしまったのか、またはそれに価値を見出せないのか。キリスト教とユダヤ教における「聖書を読む伝統」への違いを考えるには、今回の発見は興味深いものですよ。妙な言い方ですが、キリスト教は聖書を大事にしているように見えて、実はそれほど聖書が中心的ではない。しかし、ユダヤ教は違います。「トーラー(聖書の律法)なくしてユダヤなし」ですから。文献としてトーラーの神聖さは中心的で排他的なんです。そこにキリスト教との差異が明確に表れています。そして、その違いが、今回の「ギリシア語の巻物」の発見に現れているように思えて、興味深いですね。イエスがマタイ伝でいう「律法の一点一画」の「律法」は、旧新約聖書全体ではなくて、トーラーのことですからね。

――また新たな断片の発見もあるかもしれませんね。

山森 今回のプロジェクトは2年前に、盗掘者より先に民族の遺産を自分たちの手で発見するという目的で始まったそうです。今後も新たな発見があることを期待します。断片だけでなく、サンダルや虱取り用の櫛など、当時の生活を知る上できわめて興味深いものも残っていたそうですし。

加藤 確実にまだ我々が見たことのない写本が眠っているでしょうね。実際ブラックマーケットには盗掘者たちが発見した断片が売りに出されているようです。とはいえ昨年には、ワシントンDCの聖書博物館が名だたる研究者たちのお墨付きを得て購入した死海文書断片が、実は最近作られたフェイクだったことが判明しましたから、よくよく注意して真贋を見極めなければなりません。

――ありがとうございました。

(協力/回答 手島勲矢、山森みか、加藤哲平/司会・構成 波勢邦生)

新たな「死海文書」断片を発見 専門家ら今後の可能性も示唆 2021年3月18日

画像:イスラエル考古学庁シャイ・ハレヴィ氏撮影 Photo:Israel Antiquities Authority, Shai Halevi

特集一覧ページへ

特集の最新記事一覧

TO TOP