【書評】 『説教 十字架上の七つの言葉』 平野克己

「この私に!」

 この人の説教を聴いたことがある者たちは知っている。独特のリズムがあるのだ。ぼくには、それは海の波のようだ。平野さんの心に刺さった聖書の言葉が語られるとき、それは語り直され、繰り返され、言い換えられる。まるで平野さんが、なんとかその言葉を自分の血肉にしようとしているかのようだ。けれども神の言葉は平野さんの中には収まらない。語られるほどに、その波は大きくなり、ついには砕け散ってぼくたちをずぶ濡れにする。

 平野さん自身、23歳のときにそんな体験をしている。たんたんと語る歳老いた牧師のしわがれ声を聴くうちに、「その声が失われないままに背景に退き、目の前にティベリアス湖の情景が広がり、主イエス・キリストの肉声が響き出し、この私に語りかけてきたのです」という。(210ページ、下線編集部)

 「この私に!」

 説教になくてらならないもの、それは多くあるようでいて、実はそんなにはないのかもしれない。いや、ひとつだけかもしれない。それは、「この私に!」だ。

 かつて説教に悩み、牧会に悩み、わらにもすがる思いで説教塾の扉をたたいたことがある。合宿セミナーのある日、ぼくはこの人に悩みを打ち明けた。この人はおおまじめで言ったものだ。「あなたは!自分の会衆のために命を捨てられるか!」そのときあまりにうなだれていたぼくは、ねじれた気持ちだったのだろう。「なにを青くさい」と、そう思った。なにか即効性のあるテクニックのひとつでも教えてくれるかと思ったら、と。けれども、その言葉は今もぼくのこころに響いている。「この私に!」

 つまり、この人はおおまじめで、いつも本気なのだ。その平野さんがコロナの第一波が押し寄せる2020年のレントに、代田教会の広い礼拝堂で語った、主イエスの十字架上の言葉の説教と、復活祭の説教がこの書となった。受難週のはじめは100人以上集まっていた礼拝堂は、復活祭の頃には、牧師・伝道師と奏楽者、その他最小限の奉仕者、あわせて10名ほどになっていた。

 そこでも平野さんは、最後には空っぽになった礼拝堂に向かって、主イエスの言葉を、コロナを、教会員の証を、フクシマを語る。けれどもやはり、ぼくには海の波が見える。いのちを添えて「この私に!」押し寄せる波が。寄せては返し、また寄せる波が。そのたびにますます力を持って迫ってくる。この波は、スマホやパソコンのモニターから溢れて、代田教会のメンバーをびしょ濡れにしたにちがいない。

 コロナの時代に、コロナの時代でしか語り得ない、聴き得ない十字架上の七つの言葉が語られ、書き起こされた。その波を編集者がとらえ、版を組み、そこに若い聖画家が美しい絵を添えた。それはこの書を手に取るであろう「あなた!」のための神の恵みだと思う。

(評者・大頭眞一=京都府八幡市の明野キリスト教会牧師、関西聖書神学校講師)

【新刊】 『説教 十字架上の七つの言葉』平野克己

 

四六判・並製・220頁、定価1,870円(本体1,700円+税)  
ISBN978-4-87395-801-9 C0016(日キ販)

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