【書評】 『魔法少女はなぜ変身するのか ポップカルチャーのなかの宗教』 石井研士

 アニメやマンガといったポップカルチャーにどのように宗教は表されているのか。宗教研究の第一人者である著者が、見るだけでも膨大な時間を要する作品群を照覧し、現代社会における宗教の変容を考察する。

 本書は、無数といっていいほどの作品の中から魔法使いや巫女、超能力者をこれでもかと集めて披瀝したり、「新世紀エヴァンゲリオン」や「魔法少女まどか☆マギカ」といった特定の作品を取り上げて、いかに宗教的であるか深読みしたりしようとするものではない。戦後、祖先崇拝の基盤となっていた「家」が解体し、実生活での宗教性が希薄化したのとは対照的に、ポップカルチャーにおける宗教性の表出は実に多種多様になっている。視聴されているアニメやマンガにどのような宗教的テーマやキャラクターが見られるか観察することで、現代日本の宗教状況を把握できると著者はいう。

 魔法少女は1966年に登場して以来、現在に至るまで常にアニメやマンガの世界に存在してきた。最初は「魔法使いサリー」、続いて東映映画が魔法少女シリーズ第二作品として制作したのが「ひみつのアッコちゃん」だった。90年代に入ると第二次アニメブームが起こり、「魔法少女」についても「美少女戦士セーラームーン」(92年放送開始、以下「セーラームーン」)が現れた。社会的反響が大きかったためか、「セーラームーン」に関しては研究レベルの考察も行われた。

 「セーラームーン」をヒットさせた東映アニメーションは、女児向け作品として2004年から「ふたりはプリキュア」(以下、「プリキュア」)を放映する。「プリキュア」シリーズで、制作サイドは以下のような細かい配慮を払ったという。

 「例えば、『悪者』『敵』という単語は外した、『戦う』という言葉は使わないといった具合である。なぜならば『差別的なニュアンスがいやだったんですよ。『勝つ』という単語は『負け』をさげすむ気持ちがにじみ出てしまうし、『敵』は自分が『正義』であることを正当化して主張する意味合いが出てしまう。プリキュアは自分たちの日常を阻害する者たちに立ち向かっているだけで、勝ち負けでやっていることではない』(注:プロデューサーの言葉を引用)。

 お腹にはパンチをあてないようにしている、海水浴のシーンでは胸の谷間を描かない、外見に関する美醜の表現、食べ物を粗末に扱っているように見える表現は避ける、子どもが健康でたくさん食べるのはすべての親御さんの願いだからプリキュアではダイエットはしない、といった具合で、子どもとともに親への細やかな配慮が随所に見られる。『子どもが大人にしゃべるときも、絶対に敬語』といった決まりすらある」

 また、「プリキュア」の変身シーンは従来の魔法少女ものとは異なっている。一人で変身することができず、手をつないで初めて変身するのだ。性格も関心もまったく異なる者同士の友情、絆を表現するために取られた方式である。

 2011年、深夜に放送された「魔法少女まどか☆マギカ」も大きな社会現象を引き起こし、文化庁メディア芸術祭アニメーション部門で大賞を受賞するなどした。主人公が魔法少女の証として受け取るのが「ソウルジェム」で、魔女を倒すために魔法を使うと濁る。「ソウルジェム」が完全に濁ってしまうと魔法少女は魔女になってしまう。濁りを除去するためには、魔女を倒したときに落とすグリーフシードに濁りを吸収させなければならない。こうして魔法少女は、世界とともに自分が人間でいるために、魔女を倒し続けなければならなくなるのだが、この絶望的なカラクリをキリスト教神学から分析した論考がある。月刊誌『福音と世界』に掲載された高橋優子の論考で、高橋は魂にたまる穢れは「罪」であると解した。

 終章で著者は日本人の宗教性をふり返る。日本人の宗教性は、宗教団体に自覚的意識的に帰属することによってというよりは、もっぱら年中行事や人生の折々の儀礼を通じて維持されてきたといえるだろう。しかし地域社会と家族構造の変化に伴って社寺との関わりも変わっていった。

 「儀礼文化・世界観を支えていた神社や寺院は、少子高齢化、過疎化・限界集落化、そしてライフスタイルの変化によって基盤が脅かされるようになった。他方で御朱印や世界遺産ブームで賑わう社寺もあり、二極化しつつある。戦後活動が活発になった立正佼成会、創価学会、霊友会などの新宗教も、二〇世紀終わり近くになって活動が停滞するようになっていった。クリスチャンは増加せず、聖職者の高齢化が進んでいる。

 私がポップカルチャーに表象されている宗教を問題としているのは、こうした状況が背景にあるからである。宗教団体に対する無関心、生活の中の儀礼文化の希薄化、他方で増大するメディア(とくにテレビ)における宗教的要素の増大は何を意味しているのだろうか。宗教者や宗教団体ではない人や組織が制作した、布教や伝道目的ではない宗教的な物が情報の中を流れ、責任を追うことなく流布している」

 著者は、アニメやマンガに表れる宗教性に、失われゆく宗教儀礼の残照を見る。

 「ポップカルチャーとなった宗教は、私たちの人生に深く関わることをやめ、エンターティメントとしてそのときそのとき姿を現すだけである。多くの人々にとって宗教が文化の中でも中核的で濃い文化だった時代は終わり、今や情報と消費の中を彷徨するゴーストのような存在になりつつあるのではないだろうか」と。

 社会変動と宗教との関係をポップカルチャーという側面から読み解く研究は少ない。だが、アニメやマンガが個人や社会に及ぼす影響が大きくなっている今日、人の精神と、精神の核ともいうべき宗教・信仰にメディアが与えている影響を考えることは不可欠に違いない。

【空想神学読本】 「魔法少女まどか☆マギカ」にみる自己犠牲と贖罪 Ministry 2014年秋・第23号

【2,640円(本体2,400円+税)】
【春秋社】978-4393291627

書籍一覧ページへ

  • 聖コレクション リアル神ゲーあります。「聖書で、遊ぼう。」聖書コレクション
  • 求人/募集/招聘