日本福音主義神学会 藤本満氏が相次いで講演 「福音派」の諸課題に一石 LGBT「反対派」の論拠に違和感 2021年6月11日

 日本福音主義神学会西部部会(坂井純人理事長)は5月24日、2021年度春季研究会議をオンラインで開催した。今回の研究会議は、昨年11月に予定されていながらコロナ禍で今秋に延期された第16回全国研究会議に向け、準備の意味合いを持たせたもの。インマヌエル高津キリスト教会牧師で、インマヌエル聖宣神学院をはじめ、東京神学大学、青山学院大学などで教鞭をとる藤本満氏が「キリスト者の完全について」と題して講演し、全国から約130人が参加した。

 さらに翌週31日には、同神学会東部部会(関野祐二理事長)主催による春期公開研究会も行われ、同じく藤本氏が講師として登壇し、「神の像に造られ、キリストのかたちに贖われ――imago Daiに関わる諸課題と諸事情」と題して講演した。とりわけ東部部会の講演は、日本の福音派で長く罪とみなされてきたLGBT・同性愛に関する内容を含んでいたため、開催前から注目が集まり、参加者も200人を超えた。

〝「神の像」歪めて用いられた〟差別の歴史
聖書の読み方 神学的な検討を

 ジョン・ウェスレーの主著『キリスト者の完全』(1763年)の訳者である藤本氏は西部部会の講演で、聖化論が成立した歴史的背景と共に、ウェスレー以後の「ホーリネス運動」について概観し、野呂芳男氏、ニュートン・フリューらによるウェスレー批判についても検証を加えた。「破れを受け止めることができない」信仰勝利主義の課題や、ウェスレー自身の破綻した結婚生活についても言及した。

 応答者の一人である金井由嗣氏(日本イエス・キリスト教団千里聖三一教会牧師、関西聖書神学校講師)は、「ホーリネス」を「きよめ」とする訳語は神学的に不正確であり、神との関係において「聖別され」、その結果として「きよくされる」というホーリネスの信仰を十分に伝えているとは言い難いと指摘した。

 現実的な対案として金井氏は、「聖化」の語を基本として用い、聖化の体験的実践的性格を強調する場合に限定して「きよめ」の語も用いることを提唱。「義認」が漢語のままで神学的にも実践的にも十分通用している現状から、「聖化」でも十分通用するとした。

 その上で、「聖書が教える『ホーリネス』を適切な和語で表現する試みが今後なされていくことには十分意味があり、それによって『きよめ』の語も適切な神学的位置を獲得していくことができる」と語った。

 東部部会の講演で藤本氏は、「神学的人間論」の概要について説明した上で、「人種差別、性差別にあって『神の像』は歪めて用いられた」と指摘。「身体的・精神的・知的・政治力に優れた人々を『神にかたどられた人間』とみなし、逆にそれらの能力に欠ける、あるいは劣る人々を『神の像に満たない人間』とする傾向は、教会史の中にいつもある」と振り返った上で、キリスト教界に根づいてきた差別の歴史が、「神学的人間論の中にないことは明らか」と明言した。

 「組織神学の中では『解放の神学』も『フェミニズム神学』も、その特殊性や個別性のゆえに神学の一部に過ぎないと批判されることもあるが、剣のように先鋭な問題意識を持った運動をも神は備えてくださったと考える。そうでなければ、教会は正統主義と伝統を盾に腰を上げようとしない」

 これまで性差別を補完するために用いられてきた聖書の記述をめぐっては、考えるべき点として「聖書の理念は、時に他の聖書箇所によって覆される」こと、さらに「神の啓示は必ずしも完全に歴史や文化を超越しているものではなく、むしろそれらを贖うものであり、その過程は時にゆっくりとなされる」という米フラー神学校の神学者ポール・キング・ジュエットによる指摘を挙げた。

 また、「土の器」である私たちは「はっきりと色分けできない『グラデーション的な存在』ではないか」と提起。身体性も知能も傾向性も一人ひとりに差があり、アンバランスだが、キリスト教はすべての命に等しく尊厳を認めてきたことを前提に、とりわけ今日的な課題としてのLGBT、性的マイノリティに関する課題について、時間を割いて言及した。

 LGBT当事者である友人との交流など、自身の体験をふまえながら、「反対派」と「肯定派」の主張を詳細に検証した藤本氏は、「反対派」が根拠としてきた聖書箇所を列挙し、いずれも「性的放縦は意味されていても、LGBTに限定されているわけではない」と指摘。

 レビ記の「女と寝るように男と寝る」という禁止事項の記述についても、「LGBTの性行為を指すのではなく、異性愛者が他人の妻に手を出し、男性にも手を出し、果ては動物にも及ぶという性欲の奔放な発露への戒めではないか」とし、全体として一つの戒めの中から一部のみを抜き出すことはできないとした。

 また、ローマの信徒への手紙でパウロが批判しているのは、度を超えた情欲におぼれた「性愛を超えていく堕落」であり、「LGBTを肯定することと乱れた性の実態を肯定することとはまったく違う。異性愛にも乱れた実態はある」と述べた。

 さらに、「神学的人間論の理念をもって、他の聖書の教えを否定しないが、神学的人間論に本質的な理念を聖書の他の言葉で覆すような読み方には抵抗を感じる」とし、「創造の秩序」「神の像」に関する創世記の記述から「聖書の言葉は啓示のすべてを含んでいる。男女を基本とする神は人を男女として創造した時に、すでに今日いうような性的マイノリティを予測して、それを否定されていた」という論法には違和感を表明した。

 その上で、カンタベリー大主教だったローワン・ウィリアムズによる「性愛の人格的な意義」を唱えた講演やドイツのルター派神学者ヘルムート・ティーリケの著書などから、「同性カップルにも異性カップルと同じ基準で相互に愛することが認められ、倫理的責任を全うすべき」という同性婚の賛成論を紹介。フェミニズム神学の旗頭であるローズマリー・リューサーの言葉「もし二者の性愛を妊娠出産の視点ではなく、人格的な交わりの視点でとらえるなら、異性間の性愛も同性間の性愛も同じように意味がある」も加えて紹介した。

 最後に、「議論や意見交換はあくまで冷静かつ温厚になされるべき。単なる習慣や嫌悪感、伝統的な概念だけで判断するのではなく、聖書をどう読んでいるかを神学的に検討する必要がある」と提起した。

 講演後には、性的マイノリティ当事者からの発言も含め活発な意見交換がなされた。両講演で提起された課題については、秋に開催される全国研究会議でも引き続き議論が行われる。

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