【ハタから見たキリスト教】 〝信じることには懐疑的。でも、無神論ほど怖いものはない〟 安彦良和 Ministry 2009年12月・第4号

 2009年で30周年を迎えた日本アニメ史の金字塔「機動戦士ガンダム」。その作画・キャラクターデザインを担当した安彦良和さんが10年以上前に、イエス・キリストを題材にしたマンガを描き下ろしたことはあまり知られていない。『イエス』(日本放送出版協会)はマルコ、ヨハネの両福音書をもとに、架空の人物ヨシュアの目を通して「人間」イエスの姿を描いた作品。その安彦さんに、キリスト教をはじめ、宗教に対する思いを聞いた。

「脱宗教」の視点で見たイエス像

──『イエス』のあとがきで、お父様が「自称クリスチャン」だったと書いておられますが。

 もともと北海道にはプロテスタントの教会が多いんです。留岡幸助が作った北海道家庭学校が僕らの町にあって、人口のわりには教会の数も多かった。父は熱心なほうだったと思います。でも、僕はなぜか教会に行っていない。親に愛されていなかったのかな(笑)。小さい頃なので、「おいで」と言われたら、ついて行ったと思うんですがね。もう80歳ぐらいになるいちばん上の姉は、今でも熱心に教会へ通っています。

──お父様はどこから教会に?

 時代的なものもあったのでしょうが、キリスト教的社会主義に共鳴したんじゃないでしょうか。賀川豊彦をたいへん尊敬していて、私が子どもの頃は何かと言うと「賀川先生、賀川先生」って、知り合いみたいに言ってました。会ったこともないはずなんですが(笑)。

──その後、特にキリスト教と接点があったわけではないのに、なぜ『イエス』を描かれたのでしょうか。

 どこか気になっていたんでしょうね。キリスト教って実に不思議な宗教だと思うんです。言っちゃ悪いけど(笑)、歴史上、実にいろんな負の影を落としているわけで……。それでもなおかつ、世界に冠たる宗教だという。ヨハネ・パウロ2世がそれらの問題にあえて言及したのは、たいへん勇気あることだと思いますが。

 もうひとつ不思議なのは、日本人はなぜクリスマスや結婚式は大好きなのに、キリスト教を選ばないのかという点。そういう宗教に対する日本人としてのスタンスを確認してみたいという非常に失礼な動機なので、こんな話をしていいものか……。「教会をゲンキに」しないと思うんですが(笑)。

 結局、キリスト教をどう考えるかということ抜きには、ほかの宗教のことも語れない。僕の場合、宗教にからめとられないよう免疫をつけるために考えるというか、その必要があるんじゃないかと思ったんです。『イエス』というタイトルがついていますが、要するに「脱宗教」なんですよね。その視点からイエスを見たらよく分かるんじゃないかと。ここで描いたのは、「イエスは人である。神の子でも何でもない。ましてや三位一体の存在でもない」ということ。

 有史以来、そういう考え方はあったと思うんですが、それは異端として排斥されてきた。それがまず解せない。「神の子イエス」ということがいろんな矛盾をさらけ出すんだけど、それには目をつぶる。信者の方はそういう矛盾をどう考えてきたんでしょうか。

 たとえば復活ということにしても、死体がなくなっていたということが復活の直接的な証拠になっているけれども、聖書ではそんなに神がかり的には書いていないんです。弟子が盗んだのかもしれない。

──それで、主人公がマグダラのマリアを悲しませまいと、咄嗟にイエスの遺体を隠し、「白衣をまとった若者」に扮するという結末を描いた。

 それは大いにあり得るし、当時そういう噂も立った。だから、イエスのそもそもの姿は非常に素朴で、むしろ、もののよく見えた預言者がかつていたということでキリスト教が語られていけば何の問題もなかったと思うんですが、それは封印されて、奇跡の信仰になっていくわけです。

──イエス自身の教えや生き方については共鳴しておられるわけですね。

 はい。実に偉い方だったと思います。だから、この人を尊敬しろと言われたら、まったく異存はない。何という偉大な方であろうかと。ただ、この人を神とする宗教を信仰しろと言われたら、それは「どうなの?」という……。

作品に通底する“神格化”へのアンチテーゼ

──「脱宗教」という意味では、神格化されたものの本質は実は違うところにあるというメッセージが、ほかの作品にも共通しているように思うのですが。

 宗教というかたちになると、何となく全部だめになるんです。社会主義も然り。『ナムジ』(徳間書店)などで描いた「古事記」もそうですが、2000年近くも系図を遡(さかのぼ)れる人がいるということは、それだけで畏敬の念を感じるに値すると思うんです。由緒ある家柄の人は尊敬していいじゃないかと。

 ただ、それが現人神とか天皇制というひとつの「宗教」になると、「天皇のために死ぬなんて冗談じゃない」ってことになる。その一線は常につきまとう。だから、信じるということに対しては懐疑的になるんだけれども、一方で、畏れを知らないと人間はどんどん増長してしまう。無神論ほど怖いものはない。それは『ジャンヌ』(日本放送出版協会)のテーマでもあったわけです。

「古事記」「日本書紀」に登場する人物を、大胆な仮説や戧作を加えながら実在の人物として描いた作品。続編として『神武』『蚤の王』がある。

──宗教にも一定の意義はあると。

 これまで、白か黒か、敵か味方かを峻別して、対立を煽るために宗教が機能してきた。宗教はそういう面を持たざるを得ないのかもしれませんが、本来は、区別するよりも、もっと根底にある「人とは何か」といったことを理解し、教え導くものだと思うんです。特に日本人はキリスト教を「愛の宗教」と理解するけど、これだけ人を殺して「愛」と敵対してきた非情な宗教はない。本来は「愛と寛容」の宗教であるはずなのに……。

 「それもいいか」という寛容さがあれば問題にならないはずです。日本人はいい加減で、かつては「宗教的にだらしない」と恥ずかしがっていたんだけども、むしろ日本人こそ鑑(かがみ)にすべきだと思います。クリスマスを祝った後、お正月に神社へ行って、お葬式にはお坊さんを呼ぶ。それでいいわけですよ。そうすれば喧嘩にならない。世界中が日本のようになればいいと思うんだけど、なかなかならない。

 お釈迦様もマホメットも、キリストも親鸞も空海も、みんな偉い。それらをみんな認めれば、それでいい。「どれを選ぶか」と言うから、いけないんじゃないでしょうか。おそらく、そういう「偉い」人たちに共通するものがあると思うんです。それを理解しようとすれば、何の問題もない。

──雑誌『ユリイカ』(2007年9月号)の特集では、マニアの占有物と化した「ガンダム」や、神格化された富野由悠季監督に対するアンチテーゼとして『機動戦士ガンダムTHE ORIGIN』を描き始めたと語っておられましたが。

 「ガンダム」なんて、ちゃっちいもの(笑)でさえ、カリスマ化して祀(まつ)り上げられて、そういう機能が働くんですよ。だから、神様になっちゃった富野さんも不幸なんです。神がかったことのひとつも言わなきゃならなくなる。

 オウムの麻原彰晃なんかも、初めは面白いキャラクターにすぎなかったと思うんですよ。それを周りがおかしくしていくうちに、彼自身もあらぬことを言ったりし始める。直接話が聞けるうちはまだいいんですが、だんだん偉くなると、間に人が介在して、「こう仰っている」と伝達するわけです。直接聞きたいと言うと、「罰当たり」ということになり、それが階層にもなる。

──『イエス』と同じように、「ファースト・ガンダム」の登場人物の背景が改めて解説されているという印象を受けました。

 「ニュータイプ」(従来の人類とは異なり、特異な能力を持った人種)という概念が出てきたことで、それが「ガンダム教」のようなかたちになっていくんだけど、それがいったい何なのかという問いかけなんです。あれは、富野が放映中に思いついた概念であって、最初からあったテーマではない。それをオタクたちが騒いだことで、「人間の革新」がガンダムの主題であるかのようになってしまいましたが、それは違うと。

 では、ニュータイプという概念はどうでもいいものかというと、そうでもない。人間というのは愛すべき存在でもあり、困った存在でもある。人間中心になると、自然破壊なども含めて、ろくなことにならない。だから、人知を超えた何かに対して畏敬の念を抱くのは必要で、自らを諫める気持ちを持っていないといけない。

 ニュータイプも、そういうことに気づくためのひとつの契機としてはあってもよかった。でも、それが宗教的なテーゼと置き換わってしまって、「恐れ入りなさい」と偉そうに言うのはおかしい。前述の『ジャンヌ』でも、奇跡をまったく否定してしまうと、「ただの作られた神話だ」とか「しょせんフランス・ナショナリズムの話だ」となってしまうわけですが、そうなるとあまりにも寂しい。

ジャンヌ・ダルクの死から10年後のフランスが舞台。ジャンヌに憧れる少女が、その生涯を追体験しながら、人と歴史の宿命に翻弄される物語。主人公は次第にジャンヌの偉大さと、もっと大きな力(奇跡)への畏怖を感じ取っていく。

──バランスは難しいですね。

 おそらくイエスという人もよくできた人で、人格的にも優れた人だった。でも、それだけだったら、どんなに周りに祀り上げられても歴史には残らない。やはり、何か一線を越えたものをお持ちだったんだろう。

 でも、それを「神の子」と言うから間違いになる。何とか別の言い方ができないかと思うのですが、常人にはどうしても届かない高みがある。その一線は何か、分かりそうで分からない。その段階で留められたらいいのではないかと思うのですが。

──その一線がニュータイプ?

 百歩譲ってニュータイプというものがあり得るとしたら、そうなろうと思ってもなれない高みだと思うんですよ。学問の世界でも、ノーベル賞を取るような人は、普通の人が気づかないところで閃(ひらめ)いたりする。同じように勉強したからって、みんなノーベル賞が取れるわけじゃありません。

*全文は『宗教改革2.0へ ハタから見えるキリスト教会の○と×』(ころから)に収録。

【書評】 『宗教改革2.0へ――ハタから見えるキリスト教の〇と✕』 松谷信司 編著

 やすひこ・よしかず 1947年、北海道生まれ。70年に上京し虫プロダクションに入社。73年、現在のアニメーション制作会社「サンライズ」に所属し数多くの作品を手がけ、「機動戦士ガンダム」ではキャラクターデザインと作画監督を担当。後に漫画家に転身、『アリオン』『ヴィナス戦記』を発表し、人気を博する。古事記をベースとした『ナムジ』をはじめ、描き下ろしのオールカラー作品『ジャンヌ』『イエス』『マラヤ』など、歴史や神話を題材とした作品でも独自の視点に定評がある。2001年から「ガンダム」を改めて漫画化し、当時のテレビアニメでは描ききれなかった内容も加え『機動戦士ガンダムTHE ORIGIN』として連載。月刊『COMIC リュウ』でも『麗島夢譚』を不定期連載中。06年からは神戸芸術工科大学の教壇に立ち、後進の育成に取り組む。1992年『ナムジ』で日本漫画家協会優秀賞、2000年『王道の狗』で第4回文化庁メディア芸術祭優秀賞を受賞。

【Ministry】 特集「『説教力』を磨く」/信徒座談会 吉崎恵子×柴崎聰×林あまり×桃井和馬 4号(2009年12月)

「ガンダム」の生みの親、漫画家・安彦良和氏が教文館で講演 〝「お天道様が見てる」で十分〟 2019年2月21日

【書評】 『安彦良和の戦争と平和 ガンダム、マンガ、日本』 杉田俊介

撮影=山名敏郎

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