【映画評】 水俣に命ながれる 『MINAMATA―ミナマタ―』 2021年9月23日

 映画『MINAMATA―ミナマタ―』が公開となる。

 3年におよび水俣へ住み込み、深刻な病苦に耐える人々へ寄り添いながら水俣病の全貌を撮りつづけた写真家ユージン・スミス(William Eugene Smith, 1918~78)。写真史に唯一無二の足跡を刻んだこの男を主人公とする本作は、この秋日本公開となる映画のなかで最も注目される作品の一つだろう。

 物語は、伝説的な名声を得つつも“過去の人”になり果て、呑んだくれてニューヨーク片隅の古びたビルで暮らすユージン・スミスの元へ、東京からCM制作班が訪れる場面に始まる。それは同時に、のちユージンと結婚し水俣へ住み込むアイリーン・美緒子・スミスとの出逢いとなり、映画の舞台はニューヨークの摩天楼から水俣の漁村へと鮮やかに切り換わる。

 ユージン・スミスの達成に心酔するスター俳優ジョニー・デップが自らプロデュースを買って出た心意気に、真田広之や國村隼、ビル・ナイら熟練の役者やスタッフらが出色のパフォーマンスで応え、辛酸を舐める水俣の人々とユージン・スミスの晩年の生き様とに切々と寄り添う坂本龍一楽曲が全編を際立たせる。これまで時代を画する名作映画を数々担当してきた坂本龍一に、「人生には自分の作品が引き寄せられていると感じることがある。これはそういう映画だ」とまで言わしめた本作は、いまだ映画界の頂点を占めるハリウッドが本気で日本を描くとここまで可能かという水準で、長崎のキリスト教弾圧を描くマーティン・スコセッシ『沈黙‐サイレンス‐』や、第二次世界大戦末期を舞台とするクリント・イーストウッド『硫黄島からの手紙』に比肩する完成度を誇る。

 また、大戦時には東京大空襲へ向かう戦闘機に乗り、硫黄島の激戦へ従軍、沖縄上陸作戦ではカメラを構えたまま顔面へ被弾し重傷を負ったユージンにとって、「ミナマタ」はヒロシマとナガサキへ直に連なる土地であった。こうしたユージンと日本との近しさが、本作では専らアイリーン・美緒子との関係性へ仮託され、その壮絶な戦場体験については時折襲うフラッシュバックにより集約的に表現されるが、このヒロシマ/ナガサキ/ミナマタの構図は2020年代の日本社会においてヒロシマ/ナガサキ/フクシマのそれへと連なり複層的な今日性を獲得する。

 現地水俣での先行上映会の後援を「負のイメージが広がらないように」として当の水俣市長が拒絶した騒動や、「ミナマタ」「フクシマ」という記号化にさえ憤る人々によるヒステリックな炎上などは、外部主体によってこそ実現し得た本作中の水俣病表現をめぐるいくつかの資質と純然たるパラレルを描いてみえる。そこで本稿では、作品のベースとなった既存の水俣病表象へさかのぼることで、すでにあまたある一般的な映画紹介記事とは別角度から映画『MINAMATA―ミナマタ―』を考えたい。

 だまって存在しあっていることにくらべれば、言葉というものは、なんと不完全で不自由な約束ごとだったろう。それは、心の中にむらがりおこって流れ去る想念にくらべれば、符牒にすらならなかった。地の中をもぐってどこかに棲み場所を持っているおけらとか、空にむかって漂いのぼる樹木の花粉とかになって、木の中石の中からゆく道をゆけば、どこに出るだろう。(*1)

 水俣病の苦難を描く『苦海浄土 わが水俣病』の作家・石牟礼道子による、自らの幼時の記憶を堀り起こした随筆に、『椿の海の記』がある。幼いころ暮らした祖母の家を中心にひろがる水俣の自然をめぐる描写は瑞々しく、幼き道子をとりまく人々の醸す風情はどこまでも穏やかで心優しい。それゆえこれら豊穣な記述を読み進める時間がもたらす幸福感は、時を経て同じ土地を襲い『苦海浄土』に書き表される病疫の惨たらしさと、あまりにも鋭いコントラストをみせ心を凍りつかせる。上記引用部につづけ、石牟礼はこう記す。

 けれども青鬼というものには遭いたくない、と突然おもう。鬼というもののみじめさはかなわない。人間はなぜ、自分のゆきたくない世界を考え出すのだろう。それからわたしは、あっと思いあたる。鬼たちよりも、それを考え出す人間の方がむざんなのだと。

 黙してただ存在することに比べたときの、口の端に洗われ綴られる言葉の拙さとそのいびつさをよくよく踏まえたうえ、石牟礼はなお文の連なりへと書き著す。「だまって存在しあっていること」の自然な連なりが唐突に断たれた場所ゆえにこそ、これらの言葉は特殊な力を内に育む。読む者はそこに、すでに失われたもの、永久に損なわれたものたちの、不可視のうねりを幽かに聴きとる。

 映画『MINAMATA―ミナマタ―』を観ているあいだ、石牟礼の描写が幾度も脳裡をよぎる。単におなじ水俣病公害を描くから、というのでは足りない親しさを両者に感じる。ジョニー・デップ演じる写真家ユージン・スミスの眼差すもの、この映画が言外のうちに捉えようと挑む表現の根底に、石牟礼作品が総体として露わにする無音の感情にも似た、そしてなにかゴツゴツとした硬質の手触りを予感する。「人間はなぜ、自分のゆきたくない世界を考え出すのだろう」

 ユージン・スミスは、20世紀を代表する写真家のひとりと言える。世界的な写真家集団マグナム・フォトの正会員にして、最盛期には週1300万超の部数を誇ったグラフ誌《LIFE》のスターカメラマン。なにより第二次大戦から泥沼のヴェトナムへ至る戦場写真家隆盛の時代にあって、戦場では兵士が唖然とするほど果敢な撮影行動をとるにも関わらず、その作品構成において反戦姿勢を貫いた彼の特異極まる立ち位置は、今日なお際立っている。その彼が結果として生涯最後の撮影テーマに選んだのが、“水俣”だった。

 映画『MINAMATA―ミナマタ―』製作にあたっては、そのユージン・スミス渾身の珠玉作にして、長らく封印されてきた《入浴する智子と母》(1972,別題《湯舟の中の上村智子ちゃん》)が、再び陽の目を浴びることとなった。これは胎児性水俣病を患う上村智子がその母に抱かれて木製風呂へと浸る姿を、レンブラント調に陰翳を利かせたユージン・スミス十八番の演出を施して撮影現像されたもので、彼個人の代表作であると同時に、戦後の日本社会を映す重要作品として紛れもなく写真史に残る傑作だ。しかし「智子の魂を休ませたい」とする上村家の意向を汲み、現著作権者であるアイリーン・美緒子・スミスが1998年以来美術館などでの展示や出版物への掲載を拒絶してきた。したがって中年世代以上には学校教育や報道などを通じよく知られた作品である一方、この映画を通じ初めて《入浴する智子と母》を知る若い世代は多いだろう。『MINAMATA―ミナマタ―』中盤では、この写真の制作風景が再現され、写真作品自体も劇中に登場する。

 《入浴する智子と母》を観る者は、皆がただちにピエタ像を意識する。慈愛と悲しみを以てイエスの亡骸を抱く聖母マリア。殊にミケランジェロの彫刻作を通じ非キリスト教圏を含む普遍的な神話イメージとなったピエタの構図を象る《入浴する智子と母》においては、母に支えられ水面から差し出された智子の病に冒された手足が、健常ではあり得ない仕方で歪んでいる。中空を見上げる智子の瞳を、上方から母の瞳が優しく見守る。そのさらに上方から白い光が2人へ降り注ぎ、湯船の水面を照り返す。濃い闇のなか2人のからだを浮き上がらせる白光に、『MINAMATA―ミナマタ―』を観る者はユージンの意図を感覚し、さらなる背後に浅野忠信演じる智子の父が放つか細い目線を想起する。智子の父は映画の序盤、智子の撮影を希望するユージンからの申し出を断っている。ただ娘の安寧を願う両親の思いは、《入浴する智子と母》をめぐる現実の道行きにも重なる。浅野忠信は主にアジアの監督に重用される形で早くから国際化した役者の一人だが、台詞よりも寡黙な佇まいによって魅せるその資質は、本作でも子を想いながらチッソなしには生活が立ち行かない苦渋を抱える父の役柄へ十全と活かされている。

 その反面、《入浴する智子と母》の画面広域を覆う深い陰翳は、湯船の外側にあるものを一切映さない。母の眼差しと白光とにより護られた湯船のすぐ外まで押し寄せる災厄や暴力、人々の悪意や企業の隠蔽行為をもその暗闇は象徴する。魔界にも近いその暗闇には、上村家にのち寄せられる「あの写真で儲けてるんでしょ」という近所や周辺の人々からの妬みやっかみや、本稿を含み書き募られる口さがなき言葉たちや、公開を機にインターネット上へ一層溢れるだろう《入浴する智子と母》の大量の劣化コピー画像群が蠢いている。

 ここで登場人物への言及を続けると、水俣にほど近い八代を出身とする國村隼が演じるチッソ社長の、単なる悪役に留まらない人物造形の複雑さは興味深い。國村の役名は公式にノジマ・ジュンイチとクレジットされており、筆者の観測に従えば実在のチッソ歴代社長のうち3人がモデルとなっている。具体的にはチッソ創業者である野口遵(1873~1944)と、水俣病発生後チッソのメインバンク興銀から派遣された江頭豊(1908~2006)、そしてチッソ生え抜きの嶋田賢一(1910~1978)の3人だが、とりわけ水俣病患者との直接交渉に当たった嶋田賢一の人となりに、國村隼の役柄は多くを拠ってみえる。真田広之演じる川本輝夫をリーダーとする水俣病患者らとの対峙の矢面に立った嶋田は、現実には有害物質の水俣湾放流を知りながら隠蔽した水俣病拡大時その責任をとり得る立場になく、いわば自ら犠牲となるスケープゴートの役割を担わされたとも言える。実際、公害続発の事態に鑑み1971年発足した環境庁の初代長官・大石武一は、嶋田を評して「私は十字架を背負ったキリストの像を見るとき、ふと嶋田賢一氏を思い起こすことがあります」との言葉を残した。嶋田は水俣病患者との交渉後、カトリックの洗礼を受けてもいる。(*2)

 劇中における國村隼の流暢な英語台詞は高度経済成長を支える大資本の論理そのものであり、裏で水俣病の事実隠蔽を謀りユージン・スミスを襲わせるマフィアの頭領のような威容を放ちつつも、その黙してわずかに目線を揺らせる演技は極めて両義的であり、自覚される罪過と暗に向き合っているかのようでもある。

 なお、チッソ社長・嶋田賢一と患者側リーダー川本輝夫との対峙は、土本典昭のドキュメンタリー映画名作 『水俣 患者さんとその世界』(1971)や『水俣一揆 一生を問う人々』(1973)において克明に記録され、多くの撮影現場に同席したスミス夫妻の写真作品群とも併せ、『MINAMATA―ミナマタ―』本編中において驚くほど精確な再現が志されている。

 また演者としては他にもアイリーン役・美波や患者の一人キヨシ役・加瀬亮、LIFE誌編集長役ビル・ナイの熱演など触れるべき多くの点を忍んで他メディア記事へ譲るとしても、真田広之の役柄へのこだわりは特筆に値するだろう。真田はハリウッド作品への出演履歴が最も長い日本人俳優の一人だが、東洋系を始め有色人種の役者がしばしば役柄の出身文化圏を超えた仕事を受けるのに対し、真田は極少の例外を除き意図して日本人役にこだわり続け、演出に疑義を抱けば監督へ意見することでも知られてきた。本作における真田の覇気を籠もらせつつも苦渋に満ちきった演技は、戦後も泰緬鉄道の建設現場へ残った元陸軍通訳・永瀬隆を演じる『レイルウェイ 運命の旅路』を強く想起させる。

 主演第2作『シザーハンズ』で両手がハサミの人造人間を演じたジョニー・デップは以来、社会から疎外された特異な立場に身を置く役を多く演じてきた。よく知られた連作『パイレーツ・オブ・カリビアン』での孤高の海賊役も然りで娯楽大作のイメージが強い彼だが、ロマ(ジプシー)青年を演じる『ショコラ』や、同性愛者ゆえに迫害されたキューバ人亡命作家を描く『夜になるまえに』での鮮烈な演技は忘れがたく、『MINAMATAーミナマター』は現状この系譜の頂点に当たる作品となる。

 その一方ハリウッド映画界に端を発し世界中へ拡散した「#MeToo」運動の流れを受けるジョニー・デップ元妻からのドメスティック・バイオレンスの告発で、『MINAMATA―ミナマタ―』の全米公開延期が取り沙汰される事態も起きている。ユージン・スミスは酒に溺れる性癖とともに、歳の離れた女性を次々に籠絡し精神支配を試みる側面を有したらしく、その弱さはジョニー・デップの共感を誘う大きな一因だったのかもしれない。作品が独立して放ち得る力と作者の人格とが混同されがちなポリティカル・コレクトネス全盛の昨今は、たしかに彼らのような在りかたが難しい時代なのだろう。ジョニー・デップは語る。「この作品が今ほどタイムリーな時代はない。“MINAMATA”の公開を通じ世界の注目が集まることで、いまだ充分に支援を受けられていない人々に必要な支援が届くようにしたい」

 映画の中盤、スミス夫妻が水俣病患者の収容施設へ潜入し、過酷な容態へ陥った患者に許可を得て秘密裡に写真を撮って回る場面がある。施設管理者の目を欺き音無しで展開するスリリングなその場面において、病の進行により言葉で伝える術を失った患者たちの放つ意志の強さが、布団をかぶって顔を隠したある患者の突き出す湾曲した指先へと凝縮する形で表現された映像が目に飛び込んできた瞬間、『苦海浄土』のある描写が蘇った。

 生まれてこのかた聞いたこともなかった水俣病というものに、なぜ自分がなったのであるか、いや自分が今水俣病というものにかかり、死につつある、などということが、果たして理解されていただろうか。

 なにかただならぬ、とりかえしのつかぬ状態にとりつかれているということだけは、彼にもわかっていたにちがいない。舟からころげ落ち、運びこまれた病院のベッドの上からもころげ落ち、五月の汗ばむ日もある初夏とはいえ、床の上にじかにころがる形で仰むけになっていることは、舟の上の板じきの上に寝る心地とはまったく異なる不快なことにちがいないのである。あきらかに彼は自分のおかれている状態を恥じ、怒っていた。彼は苦痛を表明するよりも怒りを表明していた。(*3)

 もともと趣味で短歌をものす文学好きな主婦に過ぎなかった石牟礼道子は、たまたま長男が入院した先で奇病の流行を目撃したことから『苦海浄土』の執筆へと身を駆り立てた。工場前デモの場面でジョニー・デップ演じるユージンの背後の空にはためく「怨」の旗は、石牟礼のデザインに由来する。チッソ五井工場訪問時に受けた暴行の後遺症から死期を早めたユージン・スミスにとって、水俣をめぐる写真集は結果的に最後の仕事となった。ユージンと水俣の日々を共に歩んだアイリーン・美緒子・スミスは、ユージン死没の翌1979年スリーマイル島原子力発電所事故が起こると、調査のため現地へ住み込み、以後今日に至るまで脱原発社会の実現へと目を向けている。水俣渡航よりはるか以前の1946年4月、自身の展覧会場にてユージン・スミスはまだ顔面に受けた戦傷も生々しい状態でこう語ったという。

 私は人類に戦争を止めるだけの知性があるかについては、ほとんど絶望している。だが同時に、私は宗教を信じるような強烈さをもって、自分の肉体的・知的能力の洗いざらいをもって、次の戦争を止めるか、少なくともそれを遅らせるために、ささやかな貢献をしたいと思う。(*4)

 ジョニー・デップが語るように、未認定患者はいまだに存在する。水俣に限った話でなく、莫大な企業利益の裏で不当な被害を蒙る人々が、いまこの瞬間にも世界各地で膨大な数におよんで受難の日々を暮らしていることは想像に難くない。そしてどんなに不完全であれ、どれほどささやかだとしても、個々の人間には力がある。真の自由とは何か。その力をどのように行使するべきなのか。そうした疑問へ指針を与える困難を為し得るのは、しばしば情動の為せる業であり、紛れもなく表現の強味だろう。

(ライター 藤本徹)

『MINAMATA―ミナマタ―』 “Minamata”
公式サイト:https://longride.jp/minamata/
9月23日(木・祝)TOHOシネマズ 日比谷他全国公開

*本稿中段のジョニー・デップ言及箇所に関し、一部過去の出演作を取り違え記述しておりました。お詫びして訂正いたします。SNSを通じてのご指摘に感謝申し上げます。(筆者・編集部)

【主要参考文献・参照資料】

石牟礼道子 『苦海浄土 わが水俣病』 講談社 1969 *3
石牟礼道子 『椿の海の記』 朝日新聞社 1976 *1
石井妙子 『魂を撮ろう ユージン・スミスとアイリーンの水俣』 文藝春秋 2021 *2,4
『ユージン・スミス写真集 1934-1975』 岩波書店 1999
『ユージン・スミス写真集』 クレヴィス 2017
土本典昭 『水俣 患者さんとその世界〈完全版〉』 東プロ 1971
土本典昭 『水俣一揆 一生を問う人々』 青林舎 1973

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