【映画評】 明滅するリアル 『MEMORIA メモリア』 2022年3月4日

 観終えて劇場を出たあと、街の風景がそれまでとは違って見える。臆面もなく言えば映画において、真性の芸術体験とはそのような形で観る者へ襲い来る。

 コロンビアの首都ボゴタから、密林の奥深くへと沈み込むひとりの女。生花業を営む彼女ジェシカは、自分にのみ聴こえる爆音に悩まされている。新居の寝室や雑踏のただなかで、あるいは親族との会食時など、ところ構わずその音は彼女を襲う。義弟のつてを頼り大学所属の若い音響技師へ音の再現を依頼するが、音が完成した後その技師は学内に存在しないと知る。妹夫婦からは、すでに死没したはずの歯科医が健在だと聞かされる。自分だけ異なる世界線へズレ込んだような感覚に彼女は戸惑う。どこまでも野良犬がつきまとうように思えてしまう夜の路地。画廊の照明が、自らの歩みへ呼応するように故障する。精神科医は依存の恐れがあるとして、精神安定剤よりもイエス・キリストの教えを勧めてくる。

 カンヌ国際映画祭パルムドール(最高賞)を40歳にして獲得、いまや世界に名声を轟かせるアピチャッポン・ウィーラセタクンはしかし、正味の職業映画監督とはやや異なる。彼の取り組む表現メディアはしばしば映像を用いるインスタレーションや、光や煙を使う劇場パフォーマンスへと展開する。つまりは映画表現が相応しいと感じられるときにのみ映画監督という属性へ憑依する。中島敦「山月記」を取り込んだ2004年の映画『トロピカル・マラディ』では、密林で猿の言葉を聞く森林警備隊員が虎と対峙する。一方で村人に撃たれたシャーマンの霊魂が、虎へとり憑き人を襲うとも語られる。人が人ならざるものとの境界を超えゆくこうした描写は彼の作品履歴へ頻出し、『MEMORIA メモリア』においても粗末に扱われた犬の呪いや、文明からの孤立を選んだ密林の部族が不可視の存在へ化身して外敵を撃退する話などに表れる。

 6000年前の少女の骨が発掘されたトンネル工事現場を見学するため、主人公ジェシカは山間の村ピハオを訪れる。すると林中の河原で、彼女の到来をあらかじめ知る男と出逢う。石から過去の出来事を読みとり、死んだように眠る術をもつ男との接触から、彼女は音の真相へ肉薄する。ジェシカを演じるティルダ・スウィントンは、今でこそ世界の名匠たちやハリウッド・メジャー各社から引く手あまたのスター女優だが、その出自はデレク・ジャーマンを始め英国の前衛的な監督らによる実験映画群であった。そのフィルモグラフィーの初期から通じて、単にオファーを受け出演するより製作段階からの積極関与を好む彼女の熱意は、これまでタイ以外で映画を撮ったことのないアピチャッポンをして、中米コロンビアで映画監督として立ち回らせる(≒つかのま憑依する)呼び水となったことは疑いない。

■密林の記憶(メモリア)と記念像(メモリアル)

 

 ティルダ・スウィントンが耳をそばだてる。音に体をくねらせ、忘我する。病床で夢みる人、無人の場で不気味に点滅する照明、化外の意思を宿したかのような犬、街なかに超然と立つ彫像。これら本作に登場する断片の各々は、アピチャッポンが執拗に繰り返してきたモチーフだ。

 音の正体は謎に包まれたまま物語は進行する。しかしそれが主人公の幻聴でないことは各所で示される。白昼の都心で歩行者を倒し、走行中のバスに白煙を上げさせ、深夜の駐車場に止まる自動車群のセキュリティアラームを一斉に鳴らしさえする。密林の部族のエピソードが登場する妹家族との会食時、作業員が恐れるためアマゾンでの道路工事が進まない話を妹が口にする際には、畳み掛けるように“音”は幾度もジェシカを襲い、目にはみえない何者かの意思を強力に感じさせる。義弟は先住民部族の呪いと、妹の身体的不調との間に何らかの因果を疑っている。ところで本作はジェシカが妹を病院へ見舞う場面から始まるのだが、この冒頭部で妹が粗末に扱ってしまったた犬の呪いにこだわっていたことを中盤の会食時にジェシカがもちだすと、奇妙にも妹は犬への関心をまったく失っている。呼び起こされる記憶(=Memoria[スペイン語])は遷移し、呪いはあとに取り残される。

 後半の舞台となるピハオは、内戦の現代史を直近にもつ点で彼の出生地タイ東北部イサーン地方へと重なる。19世紀末、左派系勢力のリベラレス(自由党)は森奥のピハオを退避地の一つとして、コンセルバドレス(保守党)との間に激しい戦闘を繰り広げた。一方イサーンは、ベトナム戦争における米国撤退とラオス・カンボジアなど周辺国共産化の情勢のなか、長らく共産系ゲリラの根拠地となっていた。ゲリラといっても実態は学生運動を継ぐ若者らが中核を占め、一部が過激化し山小屋へ潜伏した大学闘争時代の日本にも状況は近い。やや異なるのは、この流れがそのままバンコク=体制に対するカウンターカルチャー・ムーヴメントの母体そのものと化して今日にも余韻を残している点だ。

 たとえば造成中の公園に風がそよぎ人々が憩う様が映しつづけられるアピチャッポンの近作短篇“Song of the City”(オムニバス映画“Ten Years Thailand” 第4話、2017年)では、終始映り込みつづける銅像が次第に存在感を増していく。この銅像のモデルはかつてクーデターを起こし軍事独裁を敷いたサリット・タナラット元首相である。森奥のゲリラを弾圧したこの軍人政治家の銅像は、それ以前のアピチャッポン作品にも幾度か登場し、タイ王族の肖像画群やタイ国歌と同様に比重の大きなギミックとなってきた。彼の創作活動において、無形的な夢や記憶や森の幽霊と鋭く対照関係をとり、強引にもそれらへ形を与えるかのように明瞭な輪郭をもつ彫像モチーフは極めて重要な位置を占めている。

 『MEMORIA メモリア』で主人公ジェシカと音響技師との最後の会話は、ボゴタ都心の公園に立つコペルニクス像の足元で為される。また、音響技師と別れたあとジェシカが市中を歩く場面では、『ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』の作者であるセルバンテスの立像が映り込む。ピハオへ舞台を移す後半では、もう一つ正体不明のモニュメントが登場する。その下部ではギリシャ時代の男性像頭部が左右に両断されており、人間の胴体と四肢を象る中央部をへて、上部では岡本太郎作《太陽の塔》を想わせる皿状の顔がひまわりのように天空を見上げている。

 ボゴタにはランドマークといえる規模をもつ冒険者にして支配者コロンブスの立像や、ラテンアメリカ諸国を独立へ導いたシモン・ボリバル像も存在し、上述の経緯を踏まえればむしろこれらのほうがアピチャッポン作品へ登場するのに一見ふさわしい。しかし記念像のカットは現実の地理関係とは無縁に登場することを考え併せても、この選択自体に何らかの意図を読みとることは難しくないだろう。ちなみにピハオには固有の先住民文化が現存し、ジェシカを待つ謎の男の造形的な由来ともなったと推測されるが、ピハオ周辺の先住民グループが、16世紀ピサロの遠征に加わったコンキスタドール(征服者)であるセバスティアン・デ・ベラルカサルの銅像を引き倒したことを2020年9月アルジャジーラは報じている。言うまでもなくこれは米国発の人種差別抵抗運動BLM(ブラック・ライヴズ・マター)の潮流を受けるもので、アピチャッポン個人の彫像への関心がまったく別起源のモードとここで合流したこと自体が感慨深い。

 もっともアピチャッポンは自らの非当事者性を理由に、本作でコロンビアの政治には深く踏み込まなかった旨を言及してもいる。だが私見を言えばコペルニクスとセルバンテスという構成にはむしろ、より深く精神的ないし宇宙的な広領域へと踏み出す積極姿勢を看取する。筆者の力及ばず現状は不詳ながら、ピハオの像はこの見方に対する手がかりとなり得るだろう。映画の中盤、コペルニクス像の礎石にふたりで座り、音響技師が趣味でやっているバンドの名前を聞くに及んで、ジェシカは不躾にも笑いをこぼしてしまう。その名は“The Depth of Illusion Ensemble (妄想の深淵)”。このあと再び登場するセルバンテス像は空高く槍を突き上げ、篠突く雨音に包まれている。

■ティルダ・スウィントンの閾

 

 『MEMORIA メモリア』をアピチャッポン作品の文脈のみで捉え、ティルダ・スウィントンを主演俳優という位置づけに留めて語ることは到底できない。すでに述べたように、そもタイ国外での映画撮影さえ未経験のアピチャッポンをコロンビアへ導いた文字通りの立役者は彼女だからだ。

 本作へ至るまでのジム・ジャームッシュやウェス・アンダーソンといった、精緻に技巧を尽くし映画芸術の画域を広げゆく職人的名匠らとの長年にわたる協働的な軌跡は、実に9本に及ぶデレク・ジャーマン監督作出演や、クリストフ・シュリンゲンズィーフ、サリー・ポッターらの監督作へ出演した彼女の初期履歴へダイレクトに繋がるものである。これらの足跡を、その資金調達目的という面も色濃いマーベル映画やナルニア国物語など商業娯楽大作への出演と同列に語ることにはまったく意味がない。彼女自身がエグゼクティヴ・プロデューサーへ名を連ねる本作におけるアピチャッポンとの共同製作は明らかに前者へ属し、ひとりの表現者としてティルダ・スウィントンが歩む道行きの中軸を占めるものである。その主演作『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』(2013年)は同じジャームッシュ監督の快作『デッド・ドント・ダイ』(2019年)を生み、ウェス・アンダーソンの珠玉作『グランド・ブダペスト・ホテル』(2014年)への出演は現在公開中の同監督傑作『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』(2021年)へつながったが、こうした個々の名匠との複数作に及ぶ協働のサイクルを近年の彼女はより加速させている。ペドロ・アルモドバルやポン・ジュノらはその顕著な例だが、こうした流れからもティルダ・スウィントンの本作への積極的参画が、今後のアピチャッポン映画へ好影響を与えることは確定的と予測できる。

 その超然とした佇まいから、彼女はしばしば人々の崇拝を集めるカリスマや、異界との交信ないし往還能力を具えた存在を演じてきた。ジャームッシュ作品における葬儀屋や吸血鬼、ダニー・ボイル『ザ・ビーチ』(2000年)でのタイ離島コミューンの支配者、黙示録的世界を描出する『コンスタンティン』(2005)における大天使ガブリエル。夭折した稀代の映画音楽家ヨハン・ヨハンソンの遺作『最後にして最初の人類』(2020年)では、20億年未来からの現人類への手紙を、全編にわたり読み上げ続けた。これら現代映画の良種を詰め込んだようなフィルモグラフィーを見渡したとき、その尖端に立つ『MEMORIA メモリア』における、高潔でありつつも度を越して巨大な空虚を抱えるジェシカ役が、いかにティルダ・スウィントンに相応しいものであるかが再確認される。

■ジャングル/トンネル/宇宙船

 

 初めてのタイ国外での撮影となった点について、アピチャッポンはこう語っている。

 チャレンジとして始まりましたが、とても快適で、コロンビアでは気楽でした。信用できるアシスタントのソムポットと撮影監督のサヨムプーが一緒なら、自国と同じような状況にいられます。*1

 ふたりはいずれもアピチャッポンの制作活動を長らく支えてきたチームのメンバーだが、とりわけ映像質感の点でサヨムプー・ムックディプロームの貢献は見逃せない。なぜならアピチャッポンの代表作『ブンミおじさんの森』(2010年)や『世紀の光』(2006年)、『ブリスフリー・ユアーズ』(2002年)やタイ東北部の森を舞台とする短篇作品の多くにおいて撮影を担当したのがサヨムプーだからだ。『MEMORIA メモリア』前半における公共建築物の無機質で硬質な触感はタイの病院を舞台とする『世紀の光』(ちなみにアピチャッポンは両親が医者の家庭に育っている)へ、後半のジャングル描写は『ブンミおじさんの森』へと連続し、無理なくアピチャッポンの作品世界を成り立たせている。そこではフレーム内の人々が活気づけば活気づくほど、その様を見つめる視線が醒めた距離をとり始めるような、離人症的とでもいうべき奇妙な感覚を引き起こす。この傾向はサヨムプーが撮影を担当したアピチャッポン作中でも、『ワールドリー・デザイアーズ』(2005年)や『ナブアの亡霊』(2009年)といった短篇へより顕著に表れるが、視線の主が人間でなく、観客は人間でない何者かへ憑依するのだと考えればその全てのケースにおいて納得がいく。実際、出身地コーンケンが舞台のアピチャッポン作品は、密林こそ主役であると考えるのが妥当なケースがほとんどなのだ。

 この意味で『MEMORIA メモリア』において、画面の温度が最も冷え込んで感じられるのは、中盤のトンネル工事現場を撮る場面だろう。6000年前の少女の骨が発掘された現場では、今まさに土中に埋まる肋骨が掘り出されている。そこは完成すれば南米で2番目の長さになるが、トラブル多発のため工期の目処がたたないという、ピハオ近隣に実在するトンネル工事現場をモデルとする。ところで主人公ジェシカをその場へ導いた女性考古学者との出逢いは、大学の廊下の長椅子を動かさないと入れないドアの前でなされる。ジェシカは“音”の作成依頼のあと手持ち無沙汰にその椅子へ座るのだが、あとからやって来た学者は「ドアの鍵が壊れているから、人が入らないよう代わりに椅子を置いたのだ」と言って笑う。この扉をくぐった先には研究室があるのだが、研究室には他の研究者が複数いることも手伝って、考古学者の言い分はいかにも奇怪に映る。それまでジェシカや観客の目にも見えてはいたが存在に気づけなかった扉をくぐることで、彼女は先史時代の少女の遺骨に触れ、後半の森奥へと導かれゆく。その扉はしたがって比喩的に、ないし構成的にピハオのトンネルへと接続し、トンネルを抜けた先ではジェシカを待つ謎の男が魚の鱗を剥がしている。

 ソムポットやサヨムプーに加え、編集のリー・チャータメーティクンもまた特筆すべきスタッフだ。アピチャッポンの映像制作会社Kick the Machine Filmsに初期から参画しともに歩んできたリーは、一方でいまや世界の映画祭で脚光を浴びる新進気鋭の東南アジア・東アジア人監督作の多くに関わり、一帯の映画界にとって不可欠の存在となっている。その担当作はアピチャッポンの後続世代を代表するタイ人若手監督アノーチャ・スウィチャーゴーンポンの代表作『暗くなるまでには』(2016年)や昨秋東京フィルメックスでグランプリを獲得したジャッカワーン・ニンタムロン『時の解剖学』(2021年)、日本では文学者として著名なプラプダー・ユンの“Motel Mist”(2016年)、インドネシアの若手監督カミラ・アンディニのフェミニズム映画傑作『ユニ』や名匠エドウィンのコメディ良作『復讐は神にまかせて』(2021年)、ベトナムのスラムを疾走する少年描くアクション作『走れロム』(2019年)、中国一人っ子政策が生む悲哀を重厚に描く『在りし日の歌』(2020年)など枚挙にいとまがない。リーとサヨムプーはともに1970年生まれでアピチャッポンと同い年にあたり、ともに歩み、ともに世界へと羽ばたいた彼らが、タイ東北部イサーンの森奥に開いたトンネルの入り口からピハオの出口へと抜けでた後、慣れ親しんだテンポと仕方で新作をまたひとつともに編み上げたとしてそこに何ら不思議はない。

 いま挙げたアノーチャやジャッカワーンは、ともにタイ人監督であり欧米由来の映画文法とは異なる方向性を有する点でリーの編集技術に負うところ大なのだが、もうひとつアピチャッポンと共通するのが、3人ともに米国への留学経験をもつ点である。かつて日本の美術史において洋画壇の枢軸を占めた欧州留学組がそうであったように、ひとくちに「東南アジアの映画監督」といってもその欧米で磨かれた感性が「東南アジア土着の人々」から遊離したものとなりがちなことは、誰より彼ら自身が強く問題意識として抱いてきた。またインドシナ紛争の際米国海兵隊の主要基地が置かれた20世紀後半のタイにおける“アメリカ”の強烈な存在感は、陰に陽に米国政治/文化の影響を浴び続けたコロンビアのそれにも通じる。この“脱欧米の必要”という内面の隘路を探るとき、米国を素通りした密林から密林への連絡は一層意義深く思われる。そういえば研究室から発掘現場へと車を運転するジェシカの姿は窓外の景色から遊離して、どこか軌道を外れ惑星間を航行する宇宙船のコクピットをイメージさせる。

 なお宇宙船は、彫像や幽霊に次いでアピチャッポン作品には親しいギミック(eg.《ナブア森と犬と宇宙船》2008年)だが、『MEMORIA メモリア』ではその離陸後、謎の男がひとり呆然と佇む姿が映しだされる。彼と親密に語らっていたジェシカはもう現れない。初見の観客はまず見逃してしまうだろうが、実は前半の画廊の場面で、宇宙船から放たれた光が人間を攫う光景を描く(かのような)絵画作品にジェシカが興味を示し、スマホでキャプチャー撮影(capture)する。そこでは光線が攫われた(captured)人間の通路すなわちトンネルの役割を果たしている。ちなみに「河原の石もみな記憶を宿す」と謎の男は語り、男の助力によりジェシカも石の記憶を“聴く”のだが、これら石と宇宙船には明らかに連環が感じられ、アピチャッポンが撮った2014年の映像断片“Fireworks Sketch(Frog)”における、蛙の頭を象った石のカットにその形状・線刻がよく似ている。

 ここで文脈横断的な連想をもう一つだけ己に許すなら、コロンビアの名優エルキン・ディアス扮する謎の男の語り口には、アピチャッポン初期作『真昼の不思議な物体』(2000年)における、論理的回収をひたすら拒みつづけフレーム外から話者の連想を誘うアピチャッポン当人の、禅問答のようなスタンスがやや被る。とすれば男は、アピチャッポンの代理表象ということにもなる。このとき女は、つまりティルダ・スウィントン演じるジェシカは何者となるだろう。これら謎めいた表象の数々にしても、すでに述べた彫像モチーフや不意に現れ彷徨う犬、終盤に為される放射能への言及や軍による検問場面などと同様、そこに政治的含意を読みとることも、怪異の随伴にアニミズム的兆候を聴きとることもできる本作の基底に根づくのは、しかし人間存在に対する透徹した眼差しであり、母国タイでつづく軍事独裁への批判姿勢を露わとする彼が至った瞑想的境地である。

 母国タイ。他人がたやすくそう言ってしまうことそれ自体もまた危うい。東北部イサーンは、言葉も文化習俗も首都バンコクとは元来異なる。長らく鉄道さえ敷かれず、経済格差は最大時数十倍に及び、侮蔑の対象とされてきた近代のしこりは、共産ゲリラの潜伏した現代史と不可分だ。国歌や事実上の国教である仏教組織サンガ(憲法上タイ国王は仏教の擁護者とされサンガの上に立つ)をテーマ化してきたアピチャッポンにとって、国際社会による「タイ代表」のレッテル貼りは、汚名と言わないまでもさして喜ばしいものではないだろう。いまだ独立を掲げるゲリラが森に潜むタイ深南部ほどではないにせよ、被支配地イサーンという彼の郷土意識は無視できない。王国支配下のそれよりも、化外の地の潜勢力を郷土にみる。しかし声高に叫ぶことなく、ささやくように一歩一歩を重ねつづける。いま太平洋の海底をくぐり地球の反対側へと通じたその営みは、祈りにも近い。

 1970年代のタイで広まったイデオロギーへの恐怖は、結局は支配の口実となった。それは今でも搾取の源となっている。こうして異質なものへの恐怖は、もはや恐れぬという人々に古い物語を負わせ、分裂させるために使われている。映写機の中にいる幽霊。それが投影されて僕らが見たものは、慈悲と共感に溢れていた。しかも、時空が歪んだ自然の中にいた。――リクリット・ティラヴァーニャ *2

■季刊誌『Ministry(ミニストリー)』休刊にあたって

 

 (映画『MEMORIA メモリア』を扱う本稿は、キリスト新聞社発行の季刊誌『Ministry(ミニストリー)』2022年冬号への掲載を目した文章へ加筆したものです。本号で休刊となる同誌では映画コラム「シネマ黙想」を中心に、二十数本の記事を不定期に寄稿してきました。以下は、その総括的内容をとの編集部要請を受けた文面になっています)

 「シネマ黙想」への寄稿依頼を最初に頂いたのは2015年秋、筆者タイ在住時のことだった。図版付きで1頁に収まる1200字という本項の字幅は、単なる作品紹介としては若干長く、独自の視点で論を立てるには短い。また作品内容の端的な要約は誰が書いても似通ったものになる一方、書きたいことのためにのみ作品すなわち他人が精魂を傾けた表現をダシにとる粗忽は慎むべきだ。結果として草稿からの大幅な減量が常となったが、継続的な原稿仕事自体が初めてであり、その初期から監督・俳優への取材を一人で任されることも多く、大変に良い即席修練の機会となった。

 2010年『ブンミおじさんの森』のカンヌ最高賞獲得により国際的に著名な存在となったアピチャッポンだが、タイ国内での知名度はいまだ驚くほど低い。同じくパルムドール受賞の現役監督である是枝裕和が全国紙やテレビ地上波で首相に物申し、その作品が全国の映画館でロングランを果たす日本とはこの点で隔絶しており、もとより映画検閲の制約が厳しく、殊に現軍事政権には一貫して批判的なアピチャッポン作品が、今日タイの一般的な映画館にかかることは極めて稀な状態が続いている。その新作がコロンビアを舞台とする背景の一端はここにあり、現軍事政権がつづく限りタイ国内ではもう映画を撮らないことを彼は公言してもいる。

【Ministry】 特集「となりの国のキリスト教★香港/中国編」 30号(2016年8月)

 筆者のタイ在住は2013年に始まり、その年の反政府デモの高まりと翌年の軍事クーデター、翌々年のバンコク爆弾テロ事件等々を間近で体験しつつも夜ごと映画館の暗がりへ沈み込み現実逃避に耽る日常を暮らし、在位70年に及んだラーマ9世(プミポン国王)崩御の2016年を経て、コロナ禍襲来直前の2020年初頭に一旦日本へと引き揚げた。ちなみに個人的なアピチャッポンをめぐる最良の作品体験もこの時期にあり、それは映画でなく2017年10月バンコクのギャラリーで為された公演“Fever Room”だった。本稿がジャンルとしての「映画評」から大きく逸脱しているのも、こうした連なりゆえの必然であり、書かれるささやかな社会的価値もまたそこにあり得る。ともあれこの間、例えば本誌特集「となりの国のキリスト教★香港/中国編」(2016年夏号)では、雨傘運動に沸く香港と地下教会が弾圧に瀕する深圳に取材するなど大いに刺激を受けた。タイと日本を往復する際香港や台北、上海やマレーシア等を好んで中継していた筆者にとって、その体験はタイの反政府デモや台湾のひまわり運動、クアラルンプールの首相退陣要求デモ、ミャンマーの民主化デモへ直に連環して感じられた。同特集では台湾編やタイ編(東南アジア編)なども以前から構想としては存在し、遅足ながら教会取材の準備さえ進めていた。新型コロナ到来がなければあるいは、と考えるに惜しい。

 また熊本震災後の現地取材(同2016年夏号)や、東日本大震災関連での東北取材滞在(キリスト新聞本紙2017年3月11日他)も印象深い。もとより専門的な業績や研究実績があるでもない筆者が映画関連の記事を寄稿できるのも、元来こうしたフットワークあればこそだった。たとえば、過去数ヶ月の『ドライブ・マイ・カー』と『偶然と想像』を通じた急激な国際的評価により国民的監督となった濱口竜介監督作群に通底する震災・災害への隠喩をめぐり、筆者は以前から言及を重ねてきたが(eg. 濱口竜介脚本担当作『スパイの妻』記事、下掲)、これら取材滞在の経験はそこで確実に活きている。また先述の是枝裕和とアピチャッポンは、香港発の短篇オムニバス企画『十年 / Ten Years』において各々母国版の統括監督となったが、香港/日本/タイのいずれにおいても当地に足をつけた視点から書くことができた(本稿末尾・参考文献欄にて詳述)のは、あとから振り返れば筆者自身の東日本大震災以降の10年をめぐる良き総括となった。先にアルジャジーラの報道へ言及したが、思えばこの中東の報道局に初めて着目したのは、2011年3月11日の午後であった。刻々と明らかになる津波被害や拡大しゆく原発事故をめぐり、日本のどのテレビ地上波・全国紙よりも、さらにはCNNやBBCよりも有意味の情報をネット経由で流し続けたのがアルジャジーラであったことは衝撃だった。しかしそれから11年が経ち、終息しないコロナ禍と進行するウクライナでの戦争をめぐる諸々の報道から距離をとり己の視野を深める術も、いくらかは磨かれたように自覚する。ミニストリー誌こそ休刊へ入るものの、目下中断している「キリスト新聞」本紙での教会建築連載と併せ、コロナ禍終息の暁にはインタビュー取材も含め文幅を足で稼ぐ方向性の、より一層の深化を志したい。

【映画評】 不穏の残響、神戸の近代。 再監獄化する世界(3) 『スパイの妻<劇場版>』  2020年10月16日

 アピチャッポン監督と初めて話したのは、米国同時多発テロ直後の2001年9月下旬、イスタンブールにおいてであった。筆者はすべてが未分化な一学生に過ぎず、当時31歳の青年アピチャッポンもまた新進の映像作家として美術界でこそ認知され始めていたものの、日本ではまったく無名に等しい存在だった。その出身地であるタイ東北部イサーンでの製作に特化していた当時の彼にとっては恐らく、9年後の世界的な快挙も21年後の母国タイを含む今日の世界情勢が陥る逼塞も、遥かに想像の埒外だろう。

 にもかかわらず、強靭だ。その足どりを、まさか中米コロンビアの森奥へ跳躍させるとは。初めて『MEMORIA メモリア』製作の報へ接した時の、虚を突かれたような爽快さ。完成された実作がもたらす、脳髄が震えるほどに深い余韻。「アピチャッポン・ウィーラセタクンは、むしろここから始まるのでは」とさえ思わせる。いや違う。つまりはティルダ・スウィントン演じる個の空虚を受け入れた女ひとり、すなわち束の間そこへ身を置き換えられる己たちこそ、ここからしか始まらない。客席の暗がりから抜け出ると、大空を東京都心の摩天楼が矩形に切り取る視界はあきらかに、紺碧の明度を上げていた。

(ライター 藤本徹)

『MEMORIA メモリア』 “Memoria”
公式サイト:http://www.finefilms.co.jp/memoria/
3月4日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ他にてロードショー

注)引用文について。リクリット・ティラヴァーニャは、東南アジアにおいて現代美術市場そのものが未形成であった1990年代から、タイ人アーティストとして国際美術展シーンを牽引してきた第一人者。引用文はアピチャッポン作品をめぐる文章「映写機のなかの亡霊」より。出典はApichatpong Weerasethakul: Primitive, eds. Gary Carrion-Murayari and Massimiliano Gioni, New Museum: New York, 2011。日本語訳文は下記*2による。

【主要参考引用文献】

『MEMORIA メモリア』パンフレット ファインフィルムズ 2022年 *1
夏目深雪 金子遊 編著『アピチャッポン・ウィーラセタクン ――光と記憶のアーティスト』 フィルムアート社 2016年
東京都写真美術館 編 『アピチャッポン・ウィーラセタクン 亡霊たち』 東京都写真美術館 2016年*2
Simon Hattenstone, Tilda Swinton: ‘My ambition was always about having a house by the sea and some dogs’, The Guardian 2022
https://www.theguardian.com/film/2022/jan/07/tilda-swinton-my-ambition-was-always-about-having-a-house-by-the-sea-and-some-dogs
石坂健治 夏目深雪 編著『躍動する東南アジア映画~多文化・越境・連帯~』 論創社 2019年
(本稿筆者による『十年 Ten Years Thailand』評「兵士、SF、宗教――タイの抽象と具象のあいだで」、およびアノーチャ・スウィチャーゴーンポン『暗くなるまでには』評寄稿)

【関連過去記事】

東日本大震災 尽きぬ不安 残る爪痕 6年目の被災地を行く 2017年3月11日

【本稿筆者による言及作品別ツイート】(言及順)

©Kick the Machine Films, Burning, Anna Sanders Films, Match Factory Productions, ZDF/Arte and Piano, 2021.

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