【映画評】 再監獄化する世界(3)不穏の残響、神戸の近代。 『スパイの妻<劇場版>』  2020年10月16日

 1940年の神戸を舞台に一組の夫婦を描く『スパイの妻』は、当時の国際情勢を反映し満州関東軍の謀略を巻き込む、スペクタクル近代史活劇だ。黒沢清監督が本作により今年9月ヴェネツィア映画祭にて銀獅子賞(監督賞)を獲得したことは、コロナ禍の大打撃に加え、著名な映画会社経営者へのパワハラ告発などに揺れた日本の映画業界へ一陣の涼風をもたらした。

 物語は、神戸で貿易業を営む福原優作(高橋一生)のある決断を軸に展開する。その冒頭、優作と親しい白人ビジネスマンがスパイ容疑で憲兵に拘束される。外国語が堪能で国際的な視野をもつ優作は、知人である憲兵分隊長(東出昌大)の諫言を一笑に付す一方、独自の情報網から満州で不可解な事態が進行するのを察知し、己の信念に従いある計画の実行へと動く。優作の妻・福原聡子(蒼井優)は、夫の独断に抗いつつも心酔し、やがてその理想を超えていく。こうした鋭く近代的な個と個の対峙を、国際港湾都市神戸のリアリティが支え切る。

 主人公夫妻を演じるのは、人気と実力の両面でいまや日本映画の若き牽引者となった蒼井優と高橋一生。旧グッゲンハイム邸や旧加藤海運本社ビルなど神戸市内に現存する近代建築を使用し、衣装から小道具まで精緻に再現された映像は眼福というにふさわしい。また優作が趣味で撮る映画に出演する聡子の表情が優作の心境変化を導く入れ子構造など物語は極度に練り込まれ、終幕までその緊張と興奮とが途切れることの一切ない、極上の娯楽作品となっている。

 本作でもう一点注目されるのが、脚本を担当した濱口竜介と野原位だ。殊に濱口竜介は次代の日本映画を担う若手監督としての国際評価も既に高いが、黒沢清と濱口竜介が撮る映画には元来闇深い《不穏さ》が通底し、近年はその源に震災の残響が聴き取られてきた。

 例えば海外映画業界からJホラー(日本のホラー映画潮流)の旗手と名指された時期の黒沢作品『CURE』『回路』『叫』などは、Jホラーの国内的なメインストリームであった『リング』『らせん』や『呪怨』などとは根本的に恐怖の質が異なり、格段に抽象的かつ底知れない。しかし近年この抽象性は具体性へと変容しつつあり、殊に黒沢清2019年の前作『旅のおわり 世界のはじまり』ではウズベキスタンが舞台ながら、津波と業火に襲われる東日本震災の報道画面が不意に極めて具体的な像を伴い登場した。

 また濱口竜介直近の監督作『寝ても覚めても』では、被災地各地に誕生した巨大防潮堤が終盤で突如舞台となる。それらは物語の表層上は必須要素と言えないながら、各々の作品履歴に照らすならそれこそが不可欠の暗喩表現とも言える。

 ところが『スパイの妻』ではこれら震災の残響をも、遠く貫いてきた。

 1930年代と比較する形で世論の右傾化や大国の強圧化を危惧する声は、この数年来よく耳にするところだ。しかし危惧の段階をもはや踏み越えた観もあるこの2020年というタイミングに本作を送り出した、黒沢清監督以下製作陣の感覚の鋭さには、こうした意味からも脱帽せざるを得ない。阪神・淡路大震災や東日本大震災をはじめ、災害後の瓦礫と化した町に1945年の焼け野原を思い起こすという高齢者は常に多い。災害は人間の物語など顧慮せず襲い来る。そこへと踏み込む、予兆たりうる芸術表現本来の煌(きらめ)きはそうして宿る。

 さて本作冒頭で憲兵に逮捕された白人商人は、近々拠点を上海へ移すと優作へ打ち明ける。それを耳にした聡子が露わにする上海租界への憧れに、優作はまったく同調しない。この時すでに優作は、日本が敵と名指し始めた「アメリカ」の未来を見定めているのだが、このことの含意は深い。実際に第二次世界大戦後、世界経済と芸術表現の中心地はナチスとの戦いに疲弊したロンドン・パリからニューヨークへと移行する。上海は共産主義の壁の向こうで凋落し、香港が勃興する。ロンドン・パリは言うまでもなくヴィクトリア朝およびナポレオン創設の大陸軍(グランダルメ)が世界各地から収奪された富の蓄積により近代世界の心臓部となったが、その前段には世界を二分したポルトガルをも呑み込み「太陽の沈まぬ国」となったスペイン帝国が、異教徒放逐によるユダヤ商人の資本流出から落日へ至る過程があった。この資本流出はのち蘭英の東インド会社誕生を準備し、遠くアメリカ合衆国成立への呼び水となりゆくが、これらと考え合わせたとき1940年の日本や上海、これから始まる戦争の無惨の先に優作が見据えるものは何かを想う。多国籍企業や国際金融機関、海外メディアなどのアジア総拠点が、東京からソウルやシンガポールなどへ移転する2010年代以降に顕著な流れは、コロナ禍下で明らかに加速化している。

【映画評】 再監獄化する世界(2)敵対と猜疑のゆくえ 『誰がハマーショルドを殺したか』『プリズン・エスケープ 脱出への10の鍵』『オフィシャル・シークレット』『ジョーンの秘密』『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』『ソニア ナチスの女スパイ』 2020年8月28日

 本稿は、諜報と監視社会化をテーマに公開新作映画6本を扱った8月記事「再監獄化する世界(2)敵対と猜疑のゆくえ」の続編として書いた。顕著な傾向として近年の欧米映画では、ナチスの暴虐やスターリン期ソ連の圧政が盛んに撮られるようになっている。ここには戦時下の直接体験を通した心の傷や生々しい私情を抱える世代の寿命到来によるタブー感の希薄化に加え、「どうしてああなったのか」について正面から考える必要を多くの人間が真剣に感じ始めたという時代の徴候が読み取られる。この徴候をよく表す〝ポスト真実の時代〟という流行語には、インターネットとLCC(格安航空会社)網の発達により情報と人のアクセス障壁が大幅に減衰したことで、逆に人々が自らの見たいものしか見ず、知りたいことしか知らずに選択と交渉を重ね社会の分断を一層深める現代社会の皮肉がよく象徴される。

 いまや手近な情報から端的に〝真実〟を見定められると考える愚直さこそ情報端末への拘束化を促し、形を変えた搾取構造へ埋没して安心と安全を夢みる奴隷心性を自ら望むのが〝正常〟とされる空気が世間を包み込んでいる。スマートフォンに馴致された日常こそ傍目には狂気の沙汰に他ならないが、空気を読まない警鐘に対してもあらかじめ体よく内面規律化された人間の群れは、ただ冷笑を浮かべ手元の画面に目を戻すのみである。それはオーウェル『動物農場』を持ちだすまでもなく養豚場に拘束された豚の集合に他ならず、そこが形を変えた収容所島であることに無自覚、つまり己が立ち位置の選択をめぐる主体性が不在である点では、現中国政府主体のウイグル・香港抑圧より状況は深刻とさえ言えるだろう。

 ナチスやスターリン期ソ連の表象化が昨今顕著なのは、それらがすでに過去のものだからという理由も重要だ。とりわけ商業的成功を宿命付けられる映画産業が、たとえば現代中国を、現代アメリカやロシアを、あるいは有力な多国籍企業をどう描くかについて、そこに暗喩や示唆をめぐる表現上の熾烈な格闘が潜むことを忘れてはならない。大日本帝国下を舞台とする『スパイの妻』もその例に違わず、素朴に表層のみを消費してよしとする態度が、真摯な表現と向き合う唯一の姿勢とは無論言えない。

 ここで、ネタばれにならない範囲で本作後半の展開をめぐる筆者の違和感を述べておく。『スパイの妻』は、神戸に残る洋館や近代建築とその裏山の自然を舞台とする優雅な冒頭部のあと、倉庫や廃墟ないし監獄然とした地下空間へと中盤展開し、終盤から船上ないし洋上場面に主舞台を移していく。熱演する役者たち、とりわけ全編で気を吐く蒼井優が演じる聡子に感情移入した観客の多くは、彼女が歩む予想不能の道行きに興奮し、終盤で彼女が見せる咆哮に物語的なカタルシスを得るだろうが、そこに筆者は正直いびつなものを感覚した。というのもそのような情動的・物語的な流れとは別に、本作の映像がそこへ至る総体として表現するものは、観客席で個別に溜飲を下げ帰途へ着くような受容態度を弾き返すほどの眩しさに充ちている。ひと筋の心象への収束を徹底して拒み、互いに不整合な、断片化された煌きを放つその光の群れは、後半登場する海原に乱反射する白光、あるいは砕け散った鏡の欠片が各々に照らし返す陽光のようでもある。乱反射する光、その欠片の一つひとつの奥向こうから、聡子の夫であり貿易会社の経営者であるという個の実存から遊離し、無数に分岐した優作の視線がこちらを見据える。

 黒沢清の2015年作『岸辺の旅』は、『スパイの妻』同様に一組の夫妻を主人公とする。浅野忠信演じる夫の優介は初めから自身を幽霊だと説明し、深津絵里演じる妻の瑞希がその事態を受け入れる過程を物語は描きだす。古びた町の様々に古びた建物が次々と舞台になるこの作品は、同時に視線が主役の映画でもある。多くの場面で中途半端な距離に固定されたカメラが映しだす視界は、固定されていながらどこか浮遊して感じられる。この視線の主は誰だろうか。その疑問は、『スパイの妻』で優作を「スパイ」と名指す者への懐疑に重なる。『岸辺の旅』の中盤、ほぼ唯一にして最も生々しく人間同士が衝突する場面で、深津絵里演じる妻の対決相手として蒼井優が登場する。病院職員を演じる蒼井優がこのとき最後に見せる不敵な笑みを、カメラは一見不必要と思えるほど時間をかけ無音で凝視し続ける。『スパイの妻』における蒼井優の咆哮を一方的に眼差す視線がそこへ重なる。違和感の正体をそこに見とめる。この多重的にして不可視の視線の鋭さに、日本映画の最先鋭と評され続けて還暦を超えた黒沢清の老獪(ろうかい)な膂力(りょりょく)をみる。

 「スパイ」と名指す者。端的には東出昌大の演じる憲兵分隊長こそ、この「スパイ」と名指す者その人なのだが、四角四面で秩序に従順な規律正しい彼の登場場面が、専ら垂直性と水平性が強調される近代建築内部で占められるのもまた象徴的だ。この分隊長が、幼馴染である聡子への親愛の情を露わにする場面でのみ舞台は裏山の自然へと移される。建物内における彼の登場場面は次第に苛烈さを増し、果ては生血にじむ拷問の爪痕を見せつけるに至る。近代的秩序と規律の行く末としての1940年代の悲惨を暗示するようなこの演出に対する、終盤の直線性から解除された洋上展開という構成の妙。東出昌大が、本作脚本・濱口竜介の監督最新作『寝ても覚めても』では主人公女性を解放する男と引き留める男の1人2役を演じる点を考え併せても、つくづく『スパイの妻』に詰め込まれた巧緻の底は窺い知れない。

 実は『スパイの妻』の主要登場人物で、ほぼ優作だけが神戸弁で話す場面をもっていない。彼は横浜から移ってきたという設定だからだ。黒沢清監督は神戸出身、脚本の濱口竜介と野原位による意欲作『ハッピーアワー』舞台も神戸、そして3人が師弟関係を結んだ東京藝大映像科は横浜にある。演じる高橋一生の神戸弁がどうしても不自然になるという事情があったなど、個別には単なる“偶然”の符号に過ぎない。しかし産業革命に沸いたロンドンを皮切りに、長らく港湾こそが人間の感性に近代をもたらし、都市こそが同時代芸術展開の主舞台となってきた。この近現代史を想うとき、神戸を舞台として2011年と1995年とを貫き、1940年へ接続する蛮勇を遂げた『スパイの妻』の達成は、外出自粛と自助共助が声高に叫ばれる逼塞した当代の環境下、ことのほか雄大に想われる。(ライター 藤本徹)

『スパイの妻』 “Wife of a Spy”
監督:黒沢清
出演:蒼井優、高橋一生、東出昌大ほか
配給:ビターズ・エンド
公式サイト:https://wos.bitters.co.jp/

10月16日(金)より、新宿ピカデリーほか全国ロードショー!

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本稿筆者による『スパイの妻』をめぐる連続ツイート

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