【映画評】 再監獄化する世界(1)憑依する肉声 『死霊魂』 2020年8月12日

 不毛の荒野、屋根のない収容所、思想矯正の名目で拘禁され、続々と餓死する人々。全編8時間に及ぶ映画『死霊魂』は、ゴビ砂漠・夾辺溝において1960年だけで約3千人の犠牲者を出した「再教育施設」の生残者インタビューから構成される。

 中国共産党主導の反右派闘争により、砂漠上の収容所へ送られた者達の儚き命運。その地獄の日々を語る主要人物に、李景沆という名のキリスト者がいる。3部構成の本作において、その名は他の人物達により幾度も言及されるが、李本人の登場は開幕から5時間半後の第3部開始を待たねばならない。3部冒頭に截然と登場した彼は、まず収容以前の教会礼拝の様子からこう語り始める。

 1956年のクリスマスを控えた未明、懇意の牧師が執り行う礼拝へ李は参加した。100名いた教会員はみな当局の監視を恐れ、連日未明の礼拝に出た者は彼だけだった。そこで李は、ある不思議な出来事を体験する。数年後、収容所に身を置く李景沆はその体験が神からの啓示、一種の予言であったと気づく。カメラに向かいそう語る彼の傍らには、当時を供にして擦り切れた携帯型の聖書が置かれている。聖書の各頁には、拘束下の李による無数の書き込みが残されている。

 文化大革命の11年間(1966~1976年)で損なわれた2千万人とも言われる膨大な犠牲のために、それ以前の失政の記憶はともすれば容易にかき消されてしまう。1956年、ソ連でフルシチョフのスターリン批判が始まると、これに呼応する形で毛沢東は「共産党への批判を歓迎する」とした、いわゆる百花斉放百家争鳴を提唱する。この百花運動のもと知識人層による体制批判は燎原の火のごとく勢いを増し、翌1957年毛沢東は批判勢力の粛清へ一転する。これが『死霊魂』の背景となる反右派闘争であり、至近の人間関係を原因として思想とは無関係に陥れられたり、「少し口をすべらせただけ」で収容所へ送り込まれた人々が多く存在したことは本作中でも頻繁に語られる。

 『死霊魂』(2018)監督の王兵(ワン・ビン)には、これに先立って同じ夾辺溝の収容所をテーマとする長編2作、『鳳鳴 中国の記憶』(’07)と『無言歌』(’10)がある。『鳳鳴 中国の記憶』は、夫を夾辺溝で失くし自身も別の場所へ収監された和鳳鳴という一人の老女の記憶語りにスポットを充てた作品で、『無言歌』は王兵作品には珍しい劇映画の構成により夾辺溝の地獄模様を描き出す。旧日本軍の軍需工場を前身とする巨大工業区の終焉を凝視した9時間作品『鉄西区』(’03)で華々しいデビューを遂げ、『名前のない男』(’09)や『収容病棟』(’13)など新作発表のたび世界の注目を集めてきた王兵にとって、結果的に同収容所テーマこそ現時点における監督履歴の枢軸を占める存在となった。

 「監獄は一見《失敗しつつ》も自分の目標を逸してはいない。それどころか、違法行為の諸形式のなかに或る特別な形式を出現させて、それを別扱いにし、それに充分な光をあて、相対的には閉ざされながらも侵入可能な一つの場としてそれを組立てることを可能にする、その限りにおいて、監獄は自分の目標に到達するのである」 (ミシェル・フーコー『監獄の誕生』)

 生存者へのインタビュー撮影は、デビュー作公開から間もない2005年に開始されたが、その後十余年の間にも中国と世界を巡る情勢変化は目まぐるしい。200万人ともされるウイグル人を強制収容する「再教育施設」の存在が国際社会へ漏れ出る2018年の末頃には、政府非公認キリスト教会への弾圧も拡大、2019年夏以降は香港への統制強化が猖獗(しょうけつ)を極めるなど、監視と監獄を後ろ手とする中国の管理社会化が今日ほど可視的に進行したことはかつてない。そしてこの動きはまた、コロナ禍を経て国家や多国籍企業に統御された情報デバイスの全世界的普及が加速化する2020年現在、ほぼそのまま現代社会全体の鏡像となりつつある。これらを鑑みても、2018年という時機に本作を完成させた王兵がもつ嗅覚の鋭さはおよそ信じがたい。

 2020年6月30日の「香港国家安全維持法」施行以降、直近の香港における蘋果日報(アップル・デイリー)創業者・黎智英(ジミー・ライ)や周庭(アグネス・チョウ)ら民主活動家の相次ぐ逮捕・勾留は、さながら香港全土の監獄化が一夜にして完成されたかのようですらある。しかしその基底に蠢いてある流れを、中国単独の問題と捉えることは到底できない。オバマ前大統領が公約しながら閉鎖できなかったグアンタナモ湾収容キャンプの存続は、アブグレイブ刑務所における米軍の捕虜虐待の前景として冷戦期から横たわり、米国主導の資本主義世界が基盤とする力を最も醜悪な形で露出させ、現行のBLM(ブラック・ライヴス・マター)運動と対峙的に響き合っている。日本政府による留置所での不法滞在外国人への過酷な扱いは、人権団体や国際社会からしばしば問題視されながら改善の兆しは現状皆無に近い。

 これら個別の事例はむろん事情と原因を互いに異にするが、その是正され難さにおいて一貫して感じられるのは、フーコーの指摘した文明の監獄化が今日、国家を基盤とする国際社会の枠組みをより完成度の高い形で輪郭づけ始めているということだ。2018年に王兵が見据えたもの、それはかつてアレクサンドル・ソルジェニーツィンが『収容所群島』に描き、ジョージ・オーウェルが『動物農場』や『1984年』で警告した抑圧社会が、周到に足音さえ消し真近へ迫り来る時機の再来である。黎智英や周庭らの早期の保釈に沸く国際報道を見渡すかぎり、「一見《失敗しつつ》も自分の目標を逸してはいない」監獄の機能は目下、十全と果たされている。

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 さて、現時点における監督履歴の枢軸を夾辺溝の収容所テーマとすれば、『三姉妹 〜雲南の子』(’12)を皮切りに今後日本公開も待たれる新作を含め、近年の王兵には雲南を足場とする作品が増えつつある。例えば雲南から昆明への出稼ぎ父子を撮る『父与子』(’14)や、同じく雲南から沿岸部工業地帯へ出稼ぎに出る少女を映す『苦い銭』(’16)、雲南から上海へ上京した若者の今を捉える『上海青年』(’18)などは、産業構造の転換による人口移動という文明史上の必然をミクロ視点で映像のフレームへ収める下地に、デビュー作『鉄西区』にも通じる巨視的な歴史感覚が感じられる。また『TA’ANG(徳昂)』(’16)は、ミャンマーのコーカン地方と雲南省の山岳部国境域にまたがって暮らすタアン族にスポットを当てた作品だ。紛争・難民・麻薬といった国家/国際社会の枠組みそのものを問わざるを得なくなるテーマをめぐり、雲南という辺境の地に足場を固め制作に取り組む姿勢はいかにも王兵らしい。

 1967年陝西省生まれの王兵はかつて、飢饉のため母や妹弟と農村へ移り住み、出稼ぎで不在の父を待つ貧しい暮らしを送ったという。両親不在の家に暮らす幼い三姉妹を撮る『三姉妹 〜雲南の子』は、王兵の他作にはない視線の温もりが全編を占めている点で、自身の幼少期を重ねたという彼の述懐がよく納得される。幼い頃の飢饉体験が『死霊魂』『無言歌』などの制作動機へ与えた影響については最早、問うまでもないだろう。

 ちなみに、『死霊魂』のタイトルロゴとして王兵が採用した“死靈魂”の字体は、北魏時代の紀元5世紀へ歴史を遡る龍門石窟の石碑から採られたという。眼前する人物の微細な表情や仕草へ肉迫してやまない王兵の視線を下支えする、射程の長い時間意識の息遣いがこの挿話からも窺える。こうした王兵の制作姿勢は、張芸謀(チャン・イーモウ)や陳凱歌(チェン・カイコー)を第5世代とし、賈樟柯(ジャ・ジャンクー)を第6世代、胡波(フー・ボー)や畢贛(ビー・ガン)ら若手を第8世代とする現行の中国映画史において、どこにも位置づけ難い特異さをもつ。世代論はその社会全体の発展や構造変化に共通項を見出すが、王兵はそうした発展や変化から隔絶した生き道をあえて選択しているようにも映る。収容所や雲南という固定点への執着は、この意味では表層の変容に流されずに真実を射抜くための、世界の底へ投げ降ろす錨のようなものなのだろう。

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 『死霊魂』の撮影は十余年に及び、李景沆ら生存者の晩年とその最期までをも映し出す。声を張り大手を振って当時の様子を矍鑠(かくしゃく)と語る人物が、後の場面では十数年の時間を経て寝たきりの衰弱した姿となり現れる構成の生々しさは凄まじい。また登場する十余名による語りは、多くが当人の自宅で撮影されている。その背景に映り込む室内の様子もまた、記録映像としての本作の価値をいや増している。それらは一様に質素であり、幾つかのケースでは極度に貧相でさえある。彼らの名誉回復が為されたのは第一次天安門事件で再失脚した鄧小平や胡耀邦が再復活した1978年以降であり、しかし彼ら生き残った者たちにとってその後の人生もまた決して平坦なものではなかったことが映像からは窺われる。なお、本作で当時の記憶を明晰に語った人々の殆どがすでに逝去した。

 「すると、その平野にはおびただしい骨があり、それは枯れ果てていた。主は私に言われた。『人の子よ、この骨は生き返ることができるか』私は言った。『主なる神よ、あなたはご存知です』」(エゼキエル書 37:2~3)

 眠りに落ちたまま冷えて固まった仲間を運び出す毎朝。遺体を掘り返して喰らい、他人の嘔吐物をすすり飲む人間のリアル。李景沆の強烈な信仰心に由来する神秘体験は、砂漠上の拘束下でも再来する。奇跡にも近いその体験をここでは描写せずにおくが、常識的には荒唐無稽な回想へ耽る李の姿は、アウシュヴィッツ体験を書き下すヴィクトール・フランクルやプリモ・レーヴィらの筆致が醸す、信念を携える者の強靭さを嫌でも想起させる。

 生き延びた彼らの証言は、言の葉のこぼれ落ちる瞬間ごと個別の表層から遊離して、死者の肉声へと憑依する。ゆえにそれらは過去ではなく“現在”する。終盤、白骨の散乱する荒野を踏みしめ歩く王兵の足音に混じり、乾いた何かの細かく折れる音が灰空へ弱く響く。客席の闇中に潜む8時間を経て、踏み砕かれた者たちの発するそれら幽かな呼び声を、私たちはすでに聴いている。(ライター 藤本徹)

シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開中。

原題:死靈魂/英語題:DEAD SOULS
監督・撮影:ワン・ビン
配給:ムヴィオラ
公式サイト:http://moviola.jp/deadsouls/

【主要参考/引用文献】
土屋昌明 鈴木一誌 編集 『ドキュメンタリー作家 王兵 現代中国の叛史』 ポット出版プラス 2020
『死靈魂 Dead Souls』映画パンフレット ムヴィオラ 2020
ミシェル・フーコー 『監獄の誕生 監視と処罰』〈新装版〉 田村俶 訳 新潮社 2020
『聖書 聖書協会共同訳』 日本聖書協会 2018

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本稿筆者による王兵作品別ツイート

 

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