【映画】 宿りとあらわれ 『セイント・フランシス』『千夜、一夜』『重力の光:祈りの記録篇』 2022年10月4日 

 「父と子と聖霊の御名において アーメン」
 
 告解室に座る子守りの女性ブリジットへ、格子窓の反対側で司祭のフリを決めこむ6歳の少女フランシスはそうささやく。

 34歳独身、職業ウェイトレス。『セイント・フランシス』主人公ブリジットの、まわりから置き去られる焦りと倦怠の日々を、ひと夏の子守バイトと不意の妊娠が突き破る。少女フランシスは養子であり、その親であるマヤとアニーは同性愛者である。体外受精で新たに子を出産したばかりのマヤは産後鬱を病み、アニーは人種差別に晒され苦しんでいる。にもかかわらず、終始おだやかな調子で日常が丁寧に描かれるこの物語は、ありふれた日常こそが恩寵であり奇跡であることを想い起こさせる瑞々しさにみちている。

 フランシスとアニーが黒人であることや、レズビアンの家庭という設定自体に何らかの主張を込める種の声高さがここにはない。冒頭では、行きずりの男と一夜を過ごしたベッドシーツを汚す血で、ブリジットと男とが頬を赤く濡らす。こうして言葉で説明すればいかにも奇をてらったこうした場面でさえ、実際に観ると驚くほど演出の棘は抑えられている。

 面接のため母娘のもとを初めて訪れたブリジットは、階段脇の壁に縣けられた聖母マリアのイコン画へ見入る。「それ、驚いたでしょ」と、にこやかにアニーは言う。同性愛者の家庭がカトリック図像を好むことの“ありにくさ”が、ここではそのように表現される。しかしこのありにくさ、すなわち有り難さこそへ日常の恩寵性は潜んでいる。

 ちなみに登場するイコン画は、15世紀ビサンティン美術の名作『絶えざる御助けの聖母』(Nostra Madre del Perpetuo Soccorso)の複製画であり、原画はクレタ島で描かれたとされローマの聖アルフォンソ・デ・リゴリ教会に現存する。また娘の名フランシスは言うまでもなくアッシジの聖フランチェスコ(Saint Francis of Assisi)に由来し、主人公ブリジットの名はキルデアの聖ブリギッド(Brigid of Kildare)に着想されたと思われる。アイルランドの修道女であった聖ブリギッドは乳児・私生児の守護聖人とされるが、本編中で明確には説明されないこうした含意は、ブリジット役で脚本も担当したケリー・オサリヴァン自身のカトリック校を含む来歴に基づいている。

 新たな遊びを覚えたときのように、後半でフランシスは嬉々として食前の祈りを率先する。このとき一家の食卓へ迎えられた、つまりは単なるパートの働き手ではなく家族の良き友人として迎えられたブリジットの、殺伐とした心模様に感謝の念がみちていく。本作はブームを巻き起こす類のヒット作ではないし、批評家を喜ばせる含蓄に満ちたアートフィルムでもない。にもかかわらず一部の観客層から根強く支持されている。その層が日本ではほぼ女性に限られることは、この社会が抱える精神性の不均衡をよく映す。

 またケリー・オサリヴァンは本作を、片田舎のカトリック校で汲々とする少女の解放を描く『レディ・バード』(2017年)に触発されたというが、こうして女性に固有の生理からくる戸惑いや、妊娠や堕胎等をテーマに含む作品が群として力強く潮流を成していることは特筆に値する。

 北の離島で、失踪した男を30年待ち続ける女がいる。その女をずっと想い続ける漁師がいる。2年前に消えた夫を探す看護師が島を訪れる。夫を探すふたりの女を演じる田中裕子と尾野真千子との対峙が凄まじい『千夜、一夜』は、日本海景と特定失踪者問題を質実ドラマへ落とし込む、NHKドキュメンタリー出身監督・久保田直の卓越性が冴える一作だ。また本作では、“消えた夫を探す女”の心変わりを待つ男という構図が二重にリフレインされ、ふたりの女をそれぞれ待つ男演じるダンカンと山中崇の、もろくも心優しい情感演技も素晴らしい。

 『千夜、一夜』メインの舞台は佐渡ヶ島で、うらぶれた漁師町景色があてどなく待ちつづける女の心象を際立たせる一方、尾野真千子演じる看護師が暮らす新潟市の描写も対照的で興味深い。そこでは瀟洒な木造建築が映像的にも映える、日本聖公会・新潟聖パウロ教会が物語の進行上も意味深い舞台として登場する(後述)。これらを背景として、わが子の弱さ不甲斐なさをも愛する漁師の母役・白石加代子、その誠実さゆえに道を見失う夫役・安藤政信、嫁を憂う父役・平泉成、元町長役・小倉久寛などが燻し銀の演技で脇を固める。

 元極道の老人男性がイエスの復活を演じる『重力の光:祈りの記録篇』は、北九州市・東八幡キリスト教会へ集う素人9人の舞台稽古模様と人生模様を映しだす。困窮者支援を行うNPO法人抱樸(ほうぼく)を率いることでも著名な奥田知志牧師の来し方にも迫る構成は見応えがあり、やや映像が決まりすぎ総花的すぎる面も新進監督ゆえの活力をみるようでむしろ好ましい。

 舞台稽古に取り組む面々は、DV家庭に生まれ施設と病院を往還してきた少女やホームレス男性、職と家庭を失い借金を重ねた世捨て人、重い疾病を抱え教会で働きだした女性などまさに九人九色だ。奥田知志の妻であり包容力ある佇まいをみせる奥田伴子や、伴子の母でありミンダナオ島生まれで戦時体験を語る藤田信子が含まれる演者構成も興味深い。

©2022 Gravity and Radiance

 さまざまな境遇から集った人々の共同作業という点では、監督の石原海もまたこの群像劇を為す十人目の構成員と言える。聖書の言葉を試行錯誤しながら咀嚼する九人を撮る視線そのものの迷いや揺れを隠さず本編へ残す手つきには、経験豊富なドキュメンタリー監督にはみられない私小説的質感さえ具わる。
 
 石原海は東京藝術大学出身だが、黒沢清らが教鞭を執り濱口竜介を筆頭に出身若手監督群の台頭も目覚ましい横浜の映像研究科ではなく、写真やパフォーマンスなど美術寄りの分野で活躍する出身者が目立つ取手の先端芸術表現科を卒業している点は、その特異な表現性の由来を考える際ひとつのヒントとなるだろう。演劇ワークショップの映像記録を直に素材とする映画には、神戸が舞台の濱口竜介『ハッピーアワー』や石原と同じ先端科出身の小森はるか+瀬尾夏美が東日本震災の被災地で撮る『二重のまち/交代地のうたを編む』、映像研究科教授・諏訪敦彦が南仏で子ども映画教室を映す『ライオンは今夜死ぬ』、三宅唱『ワイルドツアー』など近年秀作が目立つ。『重力の光:祈りの記録篇』は、石原海の特異性によりこの潮流を一層底深いものとする。 

 ワークショップの効用のひとつに、無意識レベルでのテーマの共有と身体化を可能とする点がある。昨年米国アカデミーやカンヌ国際映画祭で受賞し、濱口竜介を国民的監督へ押しあげた『ドライブ・マイ・カー』は、劇中で手話を含む9言語が交わされ、各国の役者がチェーホフ『ワーニャ伯父さん』を各々自国語で読み合わせる劇中劇の制作が一方の軸となっていた。互いに互いの言葉を解さないなかである種の統一感覚が醸成されゆく舞台稽古の描写は、共同作業による言語の内面化/身体化を考えるうえで興味深い。

 『重力の光:祈りの記録篇』では、聖書になじみのない参加者らの読む台詞が、はじめはいかにも上滑りして感じられる。しかしその言葉一つひとつをめぐり議論が交わされ、咀嚼されゆくうち各々に固有の響きと深みをもった言葉へと膨らみだす。その記録映像を追うことで、観客もまた共同作業を追体験し、参加者に近しい感受性を内に育む。たとえば磔刑のキリストを演じることで感覚されるものの奥行きは、磔刑のキリストを演じた者にしかわからない。しかしそこへ至る心模様の緩やかな変容へ随伴してきた観る者を、そのようにして圧倒する表情を元極道翁は終幕でたしかにあらわす。

©2022 Gravity and Radiance

 東八幡キリスト教会へ集う登場人物のなかには、それまで信仰とは無縁に生きてきた者も多い。ほかに行くあてを失った者が最後にたどり着く駆け込み寺、社会的包摂の場として今日の日本ではキリスト教会もまた機能する光景がそこには映り込む。本編中で奥田知志牧師は朗らかな笑みを浮かべながら、よそでは信徒以外を相手にしない教会もあるが、うちは誰であれ来る者拒まずだと語る。

 『千夜、一夜』で、失踪した夫を待ち続ける女(田中裕子)が、夫の母の訃報を受け新潟市内の教会で執り行われる葬儀へ参列する場面がある。さきに述べた新潟聖パウロ教会はここで登場するのだが、その礼拝席で女は義父(平泉成)から「息子のことはもう忘れて新しい人生を生きてはどうか」と諭されたあと、帰り道で予想もしない出逢いを経験する。ごく短い場面ながらも、人の一生をめぐる大きな転換の契機が降りおちる舞台としてキリスト教会が選ばれる点は、『重力の光:祈りの記録篇』にも近しい。

 大きな転換点となる不意の遭遇は、やがてクライマックスの夜へと結実する。そこでは田中裕子演じる主人公の女に対し、ある人物が演劇的身振りによって底深い救済の刻をもたらす。夜が明け、女は日本海の浜辺をどこまでも歩みつづける。こうして千夜は一夜の果てに閉じられる。

 ここで『千夜、一夜』と『重力の光:祈りの記録篇』における劇中の“演劇性”を考えた時、想起されるのは『セイント・フランシス』終盤の告解室場面である。諸々の社会的抑圧を外へ置いた懺悔の場で、ブリジットは己の嘘すなわち罪を神へ告白する。実際に告白する相手が、神の代理である司祭のフリをした少女フランシスであることは、ブリジットの心の解放をより鮮やかなものとする。妊娠と同じく不意に訪れたゆるしの秘跡の端源が、しかしブリジットもかつてそうであった少女の内へ宿るという、演劇的身振りによってのみ可能となる神的現前。東八幡キリスト教会の日々を撮る終幕で十字架へ縣けられ天を仰ぐ元極道翁にも宿る、石原海という海原があらわす相貌。田中裕子の瞳が夜更けの海辺から放つ、遥かに水平線を貫く双眸。それらはたしかに、重力の恩寵そのものだった。

(ライター 藤本徹)

『セイント・フランシス』 “Saint Frances”
公式サイト:https://www.hark3.com/frances/
2022年8月19日より全国順次公開中

『千夜、一夜』
公式サイト:https://bitters.co.jp/senyaichiya/#modal
2022年10月7日よりテアトル新宿、シネスイッチ銀座ほか全国公開

『重力の光:祈りの記録篇』
公式サイト:https://gravity-and-radiance.com/
2022年9月3日より全国順次公開中

*本稿は、「キリスト新聞」2022年9月21日付掲載記事へ大幅に加筆したもの。

**『絶えざる御助けの聖母』 “Nostra Madre del Perpetuo Soccorso” 画像出典: https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Perpetual_help_original_icon.jpg

***脚本・主演のケリー・オサリヴァンは、「フランシスらと過ごしたひと夏はブリジットにとって、最もアグナスティック(人間は神の存在を証明することも反証することもできないとする不可知論者)で非宗教的な神の恵み」だと語っている(プレスシートより)。本作で号泣したと語る若い女性の例を筆者は幾度も見聞きしているが、信仰とは無縁に現代社会の煩雑さを生き抜く彼女たちの胸を打つ表現力の源泉は、こうして物語の基盤をなす世界観のたしかさにあるのかもしれない。

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