【映画評】 香港の心のゆくえ 『我が心の香港』『理大囲城』『花椒の味』『リンボ』『時代革命』 2021年11月6日

 今年10月27日、香港の立法機関である香港特別行政区立法会において、映画に関し過去へ遡った検閲処罰を可能とする条例改正案が可決された。香港では今年6月にも国家安全維持法に基づく検閲の方針が示され関係者に衝撃が走ったばかりだが、中国当局による香港映画への締めつけは留まるところを知らない。こうした流れに対し、表現の自由を尊重する観点などから香港映画の未来を危ぶむ声は大きい。危機を憂う心情に対しては共感を覚えつつも、外野でただ嘆いて済ませることを良としない立場から、ここでは直近の実作に即して香港映画すなわち香港電影の今後を展望したい。

 『我が心の香港 映画監督アン・ホイ』は、丸ごと香港電影史とさえ言える、1952年に一家で香港へ移住した許鞍華(アン・ホイ)の一代記だ。長年の親交をもつ張艾嘉(シルヴィア・チャン)や劉徳華(アンディ・ラウ)ら香港スター俳優の出演をはじめ、徐克(ツイ・ハーク)、陳果(フルーツ・チャン)といった香港電影の生けるレジェンドたちの証言や、日本では観難い許鞍華過去作群からの引用が豊富かつ極めて周到で、師匠筋にあたる武侠映画の巨匠・胡金銓(キン・フー)他の貴重な記憶語りに加え、台湾の名匠・侯孝賢(ホウ・シャオシェン)や中国第六世代の監督を牽引しつづける賈樟柯(ジャ・ジャンクー)らも登場し、中華電影全体における彼女の重要性を確証づける。さらには中国残留日本人の実母めぐる語りなど許映画の精髄そのものであり、全編にわたって興味が尽きることはない。

 終盤では、大陸中国での興行イベントの楽屋打ち合わせにおいて「中国復帰20年で香港に起きた良いこと」を舞台上で尋ねられると知り、質問自体の拒絶という仕方で香港愛を炸裂させる。実は本作、古い学生デモの映像挿入時に、のち香港映画を代表する名優となり、返還後は反北京の姿勢を明確にしたため現在台湾移住を余儀なくされた黄秋生(アンソニー・ウォン)の若き姿をくり返し幾度も映し出している。そこに込められた信念は、たとえば次に扱う匿名監督作『理大囲城』にも通底する、なお広く共有された香港映画人の誇りそのものだ。検閲統制がいかに強化されようと、ゆえに香港電影は終わらない。許鞍華は止まらない。

 さて今年10月開催の山形国際ドキュメンタリー映画祭2021で、2019年11月に起きた大学構内へ立て籠もった学生と香港当局との衝突に密着した『理大囲城』が、国際コンペティション部門の大賞(ロバート・フラハティ賞)に輝いた。

 『理大囲城』が描く11日間に及んだ学生と警察との攻防は、九龍城市東部に位置する香港理工大学を舞台とする。千人以上の逮捕者を出した騒動の内部で何が起きたかを学生側視点で直に捉える映像は、その物量で報道イメージを破壊してくる。警察の暴力は元より、食糧に窮し籠絡されゆく仲間を見送る学生らの孤立心情をも撮り切った監督集団は匿名で、香港ドキュメンタリー映画工作者と名乗っている。

 山形のコンペ部門には今年、構成力やスケールなど個別の尺度で本作を凌ぐものが散見された。しかしながらフレデリック・ワイズマン『ボストン市庁舎』をはじめとする充実の出品作群を押しのけての『理大囲城』大賞受賞は、その水準から順当という以上の意義をもつ。まず山形での大賞受賞には、それ自体が作品知名度の上昇機会となる他に、米国アカデミー賞出品資格という副賞が付随する。それは、映画市場においていまだ確固たる覇権を保つ米国を経由する形で、各国における本作の受容機会の極大化を意味し得る。

『理大囲城』(提供:山形国際ドキュメンタリー映画祭)

 そして次に、大陸中国に存在する多くのドキュメンタリー映画の撮り手および受け手へ与える影響が考えられる。商業娯楽映画とは異なって国内に依然独自の市場をもたない中国本土の撮り手にとって、「山形」の存在は従来から途轍もなく大きかった。また山形への参加を通じ、世界の作品・作家から直に触発された果実を持ち帰り、地下上映会等を通じ中国国内へ広める回路も存在した。たとえば先にも名を挙げたフレデリック・ワイズマンは齢九十を超えなお世界のドキュメンタリー潮流を革新しつづける立志伝中の人物だが、海外のドキュメンタリー映画が公開されることなど絶無であった時期の中国国内に、ワイズマンありと知らせる役割を果たしたのも山形であった。*1

 しかしながら、細くはあっても力強いこうした潮流を受け2003年に南京で始まった中国独立影像展(CIFF)は、大陸中国で最も長く継続されるインディペンデント映画祭であったが、昨年終了が宣言された。理由は明らかにされてないないが、習近平政権下でのここ数年の検閲強化により存続不能となったものと思われる。山形国際ドキュメンタリー映画祭での『理大囲城』の大賞受賞は無論、このような環境下にある中国籍作家の山形への出品を当局が締めつけにかかる恐れを生む一方で、仮に当局が動けばそれ自体により山形の牽引力は深みを増すとも言える。付け加えるまでもないことながら、己の信念に従い香港のみならずミャンマーやシリア等々で当局の意に抗う仕方で製作をつづける映像作家たちの孤立感を拭う意味も大きい。

 同様の試みは、他の映画祭でも為されている。たとえば今夏のカンヌ国際映画祭では、直前まで情報が伏されたまま周冠威(キウィ・チョウ)監督作『時代革命』がサプライズ上映された。「時代革命」は、「光復香港」と並び2019年の香港における反政府デモでスローガンとされ、翌年にはその使用が国家安全法違反に該当すると香港政府により指定された言葉である。また台湾の最も著名な映画祭でこの11月に開催される金馬奨は、香港に近い政治状況から最も敏感に反応し、香港の反政府デモをテーマ化した作品がすでに複数ノミネートされている。本来は政治性を含み込むこうした決定を下してこその国際芸術祭であるが、「芸術に政治を持ち込むな」という種の未熟な言説がまかり通り、省庁の狭い権益確保の場や広告代理店の草刈り場として消費されがちな日本の環境下にあって、これは紛れもなく稀有の達成だ。関係者の覚悟に敬服する。

 『花椒(ホアジャオ)の味』は、香港のある火鍋屋を舞台とする。店主が急死したため店を今後どうするか悩む店主の娘は、台北と重慶に未知の異母妹がいると知る。本作は、それぞれ香台中の女優が演じる三姉妹の鮮やかな描き分けが香港/台北/重慶の個性ある都市景に重なり、隠し味の謎を探求する過程が亡き父との心情的和解へと連なる多感覚堪能映画だ。監督・麥曦茵(ヘイワード・マック)は1984年生まれの若手ながら、プロデューサーを担う許鞍華(アン・ホイ)の人脈力も手伝い、劉徳華(アンディ・ラウ)や任賢齊(リッチー・レン)をはじめ脇役陣が恐ろしく豪華な一作となった。

 三姉妹を描く中華圏映画といえば、名作『宋家の三姉妹』(原題:宋家皇朝)や『恋人たちの食卓』(原題:飲食男女)を想起する者も多いだろう。殊に李安(アン・リー)監督作『恋人たちの食卓』は、三姉妹の父が台北の中華レストランで働く看板料理人であり、その味覚の衰えが物語の軸となる点で『花椒の味』に通じるものがある。かたや孔子の子孫である大富豪、孫文、蒋介石と各々結婚する三姉妹を主人公とし、歴史という垂直性を基軸とする張婉婷(メイベル・チャン)監督作『宋家の三姉妹』に対し、『花椒の味』は2019年香港・銅鑼湾の火鍋屋という一点から、台北や重慶へと拡張しゆく水平性に重点を置く。

©2019 Dadi Century (Tianjin) Co., Ltd. Beijing Lajin Film Co., Ltd. Emperor Film Production Company Limited Shanghai Yeah! Media Co., Ltd. All Rights Reserved.

 『宋家の三姉妹』や『恋人たちの食卓』がそうであるように、親子の物語といえばふつう“継承”がテーマとなりがちだが、『花椒の味』は必ずしもそうした軌跡を描かない。香港の地場性を表わすフレーズとしてよく知られたものに、「借りものの場所、借りものの時間」(Borrowed place, borrowed time)がある。その半生が1950年代の黄金期ハリウッドで映画化(『慕情』“Love Is a Many-Splendored Thing”)もされた医師で作家の女性ハン・スーインによるこの言葉が示す香港の寄る辺なさを捉える意味でも、『花椒の味』は大陸中国の物語『宋家の三姉妹』や台湾の物語『恋人たちの食卓』と鮮やかなコントラストを描き出している。

 この意味では『花椒の味』の三姉妹が、父の葬儀当日に初めて顔を合わせる序盤の一場面が印象的だ。葬儀は道教式に行われ、主人公である香港の長女は道教に則った喪服を着込むが、葬儀が半ばを過ぎたころになって、長女は父が仏教徒であったと知り愕然とする。しかし周囲の人間は、誰もそのことを深くは気にとめない。彼らの心と伝統的価値観とが切断されているわけではなく、むしろ義理人情など古風な側面も強い香港人の、しかしあくまで現実主義の染みついた気質がよく表れた一幕だ。

 一方、カトリック文脈において“辺獄”を意味するラテン語“Limbo”をタイトルに冠した2021年製作の香港映画『リンボ』(原題:智齒、英題:Limbo)は、香港の廃墟スラムを舞台とする。絡みつく湿り気と腐りゆく汚物の臭気、偏在する死の気配。売春婦や麻薬中毒者などスラムへ居着く女性たちの左手首だけを切り取りつづける猟奇殺人犯を追う、嗅覚が鋭く手荒なベテラン刑事と優等生気質の新人刑事。この2人の刑事に加え、ベテラン刑事の妻を誤って轢き殺した過去をもつ若い女性の3人を主人公とする本作においては永遠の地獄とも異なる、罪のうちに苦しみ惑いつづける辺獄そのものの昏き世界描写が全編に横溢する。

 『花椒の味』の末娘は歯痛に苦しむが、花椒を噛み潰すことで緩和される。他方『リンボ』の広東語原題「智齒」は親知らずを意味し、主人公のひとりである新人刑事は、幾度も耐え難い親知らずの激痛に襲われつづけるが、ある暴力により唐突に歯痛から解放される。噛み潰された花椒は口内の感覚を麻痺させる。不意の暴力は事物の平衡を突き崩す。『リンボ』の後半、闇中より謎の日本人が現れ刑事らを睥睨する。薄白く降り注ぐ雨滴、どす黒く地を這う血液。少女の悔悛、刑事の瞋恚。打ち捨てられ汚物にまみれたマネキンの躯体が散乱するごみ捨て場の高みから、同じく打ち捨てられたマリア像の穏やかな両の瞳がスクリーンを突き抜け観客席の暗がりへ座る我々に問いかける。この辺獄を辺獄たらしめているのは誰なのか。本当のところ辺獄とは何処なのか。

©2021 Sun Entertainment Culture Limited. All Rights Reserved

 思えば歴史上、香港を武力で制圧した唯一の国家は日本であった。許鞍華映画に幾度か登場してきた日本兵が象徴するもの。『リンボ』における謎の日本人に象徴されるもの。1984年に香港の中国返還が決定されて以降、1989年の天安門事件を経て1997年の返還を迎えるまでの香港人が抱いた心情について、文化研究者の李鷗梵はこう表現する。

 「古い主人と新しい主人の両者による政治的策略のために、リンボ(辺獄)のなかに閉じ込められてしまっていた。リンボの果てで自分たちを待っているのは「地獄」なのではないか――そのような不安感が、一九九〇年代の初めまでは支配的で、それ以降は次第に『無奈(どうしようもない、仕方ない)』といった、ある種の諦めと受容の感情が強くなっていった」*2

 1997年の前後には、中国返還を悲観して実に50万を超す香港人が海外へ移住したとされる。これは当時の香港における全人口の1割に相当する莫大な数であった。それから四半世紀が経とうとしている。この数年とくに激化した中国政府による香港への統制強化は、今後の香港電影すなわち香港映画の実相へ決定的な影響を及ぼすだろう。『理大囲城』が公開されるような自由が、香港に回復される時はもう来ないのか。少なくとも過去の香港電影黄金期のように香港単独で成り立つ作品が、今後長期にわたって大幅に数を減らしつづけることは確実に思われる。テーマとしても、『花椒の味』のように中華圏の他都市との人の往来を描く物語が今後は増えるだろう。それは社会変化を反映する自然な描写でありながら同時に、いまだ国境により人々を切断しその心までをも統制しようとする国家的営みへの、映画人によるささやかな抵抗の一環なのだ。

 香港は急激な変化のさなかにある。街をすこし歩くだけでも、その変化は如実に感覚される。矩形に区切られた上空にひしめく看板群は法令で禁止・撤去され、大陸中国からの観光客を当て込んだ貴金属店やブランドショップが目抜き通りを占有し、黄金時代の香港映画に映り込む都心部の猥雑さはすでにない。かつては大陸側の中国映画や台湾映画をはるかに凌ぎ、単体で日本映画や欧州映画と比肩するほどに隆盛を誇った香港映画の、この四半世紀のシュリンクぶりは無惨というに余りある。言うまでもなくそれは人・物・金の中国本土市場への吸収拡散によるもので、北京政府による映画製作配給をめぐる各種の新法がこの流れを促進するのだが、それでも香港映画はなお屹立した《香港電影界》と名指せるだけの個性と内実、地力を有している(マカオ映画界とか、東京映画界という言葉は機能しがたい)。

『我が心の香港 映画監督アン・ホイ』2020©A.M. Associates Limited

 『我が心の香港 映画監督アン・ホイ』で、許鞍華(アン・ホイ)の盟友として登場する張艾嘉(シルヴィア・チャン)は上述の『恋人たちの食卓』にも鍵となる役柄で出演し、許鞍華の長年にわたる友人であり本編中で「商業映画といえば俺だろ」とジョークを飛ばす香港きってのスター俳優・劉徳華(アンディ・ラウ)は『花椒の味』へも友情出演する。また『リンボ』の新人刑事を演じる李淳(メイソン・リー)は『恋人たちの食卓』監督・李安(アン・リー)の実子にあたるなど、香港電影を支える綺羅星のごとき人物群は、実作品を仔細に見渡すと驚くほど相互に近接し重複する。これは一つの都市が一つの“映画界”を育んできたことの明らかな強みであり、筆者はこの点にこそ今後への希望を感覚する。そこには台湾やカナダ・豪州など旧英国領各地を始め、世界各地へ移住した香港人と協働する形での「香港電影」の兆しさえ看取される。土地ではなく人の心のうちに存続・拡張され得る「香港」の可能性。外野の人間がそう言ってしまうのはやや不謹慎かもしれない。に、しても。

 『理大囲城』が映し出す2019年騒擾下の香港で、催涙弾の薬莢散らばる街路を筆者は歩き、若手映画監督たちへ取材した。そのなか、香港警察が長年監獄として使用してきた建物で行ったインタビューにおいて、1991年香港生まれの俊英・李駿碩(ジュン・リー)は、「香港はどうなれば良いと考えるか。あなたに理想の未来像はあるのか」との筆者からの質問にこう応じた。

 「完璧な制度は存在しない。米英や福祉に厚い北欧でさえ、その実は他者排斥の上にしか成り立たない。したがって自由、民主、人の愛を体験するためにベストなのはただ求めつづけ、闘いつづけることだ。ずっと闘いつづけてあることが理想の状態だ」*3

 香港電影の今後が楽しみだ。

(ライター 藤本徹)

*カンヌ国際映画祭でサプライズ上映された周冠威(キウィ・チョウ)監督作『時代革命』、本記事出稿後の11月7日、第22回東京フィルメックスにおいても直前まで情報が封じられる形で上映された。

 筆者の期待値を遥かに上回る作品で、周監督の構成力、映像の圧力、情感迫る描写力のすべてに圧倒された。2014年の雨傘運動描く『乱世備忘』から2019年反送中デモの『理大囲城』まで、香港デモを撮る各々に素晴らしいドキュメンタリー秀作群のまさに極北と言うべき傑作で、上映中は涙を拭い鼻を啜る観客が絶えることはなく、終幕後の満席の会場から湧く拍手はしばらく鳴り止まなかった。相対的に観客の温度が低い東京の映画祭でこれはかなり稀な事態だが、同時代を生きる10代20代の若者たちが比喩でなく命を賭け、覚悟のうえ収監されゆき、幾度かは命を散らす様までも映り込ませた本作に対するそれは、至極正当な評価だと言えるだろう。

筆者撮影(2019年8月、香港・彌敦道にて)

『我が心の香港 映画監督アン・ホイ』 “好好拍電影” “Keep Rolling”
公式サイト:http://www.pan-dora.co.jp/kokoro_hongkong/
11より新宿K’s cinemaにてロードショー!全国順次公開

『理大囲城』 “理大圍城” “Inside the Red Brick Wall”
山形国際ドキュメンタリー映画祭:https://online.yidff.jp/film/inside-the-red-brick-wall/
香港インディペンデント映画祭:https://jphkindie.wixsite.com/2021/上映作品
山形国際ドキュメンタリー映画祭、第2回香港インディペンデント映画祭などにて上映

『花椒(ホアジャオ)の味』 “花椒之味” “Fagara”
公式サイト:https://fagara.musashino-k.jp/
11月5日(金)より新宿武蔵野館他全国順次公開

『リンボ』 “智齒” “Limbo” 
公式サイト:https://2021.tiff-jp.net/ja/lineup/film/3403GLS07
第34回東京国際映画祭にて上映。今後全国公開可能性、邦題変更可能性あり

『時代革命』“Revolution of Our Times”
公式フェイスブック:https://m.facebook.com/RevolutionofOurTimes/
2021年カンヌ国際映画祭、第22回東京フィルメックスにて上映

【参考引用文献】

佐藤 賢『中国ドキュメンタリー映画論』平凡社 2019 *1
川田 耕『愛の映画 香港からの贈りもの』大隅書店 2011 *2
野崎 歓『香港映画の街角』青土社 2005
藤本 徹「月歩の果て、銀幕の映しゆくもの」(『STUDIO VOICE vol.415』所収)INFASパブリケーションズ 2019 *3

【関連過去記事】

日本・香港インディペンデント映画祭2017 返還20年 激動の香港描く 映し鏡として見える日本の姿 2017年5月6日

中国、その想像力の行方と現代 新作映画ジャ・ジャンクー『帰れない二人』、フー・ボー『象は静かに座っている』にみる表現の自由と未来 2019年11月27日

【映画】 この幼稚園はわたしが守る 『小さな園の大きな奇跡』監督インタビュー 2016年10月1日

【映画評】 『最愛の子』 親子愛に見る現代中国の矛盾 ピーター・チャン監督最新作 2016年1月30日

【本稿筆者による言及作品別ツイート】

2020©A.M. Associates Limited

映画・音楽・文化一覧ページへ

映画・音楽・文化の最新記事一覧

  • 聖コレクション リアル神ゲーあります。「聖書で、遊ぼう。」聖書コレクション
  • 求人/募集/招聘